2023夏アニメ 8月12日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2023年夏アニメのうち、8月11日深夜に録画して8月12日に視聴した作品は以下の5タイトルでした。

 

 

七つの魔剣が支配する

第6話を観ました。

今回は前半パートは前回の続きで魔眼のミリガン先輩に立ち向かうオリバーとナナオのタッグのバトルが描かれました。これがなかなか凄いバトルでした。魔法も剣も遥かに格上のミリガンに対して、あくまで力押しの剣で立ち向かうナナオと、トリッキーな魔法の使い方でナナオのサポートに徹するオリバーのコンビプレイが良い。ただミリガン先輩の方が本気ではなくて遊び半分なので互角の戦いが出来ているのだが、その互角の戦いゆえの緊迫感の中でナナオの剣が覚醒していく。それでもミリガン先輩の方が一枚上手で、実は魔眼が片目だけではなくもう1つあり、それを剣を持っていない方の左手に隠していたという奥の手でナナオは敗北必至の状況となるが、その危機の中で更にナナオが本格的に覚醒を遂げ、これまで存在していなかった未知の魔剣、第七の魔剣が誕生する流れがアツい。

このナナオの編み出した第七の魔剣というのは、自分と敵の間に存在する距離と時間の概念を斬り捨てる技のようで、どんな魔法や呪いでも防御することが不可能な攻撃みたいです。なんだかよく分からないけど、とにかく必ず相手を斬ることが出来る技が魔剣である以上、これは魔剣なのだそうです。とオリバーが言っていた。

そうしてオリバーとナナオはミリガンに勝利するのだが、ミリガンはもともとオリバー達を殺すつもりはなく、カティの脳を解剖すると言っていたのもあくまで魔法施術での話であって、特にカティに危害を加えるつもりではなかった。もともとミリガンは悪意があってカティに近づいたわけではなく同じ人権派の先輩として親切心で接していただけであり、ミリガンが密かに行っていたトロールの知性化実験でカティが偶然に成果を出してしまったのでミリガンの探求心が暴走してしまっただけのことでした。トロールの知性化実験にしても結果的にはトロールを殺処分から救うことに繋がったし、まぁミリガンはそんなに極悪というわけではないでしょう。オリバー達もミリガンを倒した後、魔法で治癒してあげてますし、本気の殺し合いではなかったわけです。ただ凄いのは、本気の殺し合いでないのにこの迫力のバトルシーンということです。

そして後半パートから急に今度は本気の殺し合いが始まります。なんか錬金術の先生がミリガンを陰で支援していたとか、人類を更に知性化する計画を企んでいたとかいう話の後、その先生がオリバーを助手にスカウトしたところ、急にオリバーが全然関係ない話を始めて、昔その先生がオリバーの母親を殺した連中の一味だということが発覚して、オリバーと先生の間で本気の殺し合いバトルが始まる。先生の方が遥かに格上なんですけど、ここでオリバーがなんと第四の魔剣を使って勝利します。

どうやら第四の魔剣はオリバーの亡き母親が使っていたらしいのだが、オリバーが継承していたみたいです。この第四の魔剣というのは未来のあらゆる可能性を見ることが出来て、自分が勝てる勝ち筋を見つけて引き寄せることが出来る技みたいで、つまり必ず相手を斬り倒すことが出来る魔剣ということになります。

そしてオリバーは先生に激痛呪文で拷問を繰り返して殺します。なんか急にオリバーが怖い人になってビックリ。どうやらオリバーは復讐のためにキンバリー魔法学校に入学してきた模様。復讐相手にはキンバリーの学園長も含まれている模様。更にオリバーには兄や姉と呼ぶ同志や、配下のような連中も学園に潜伏しているようで、最後は仮面を被って戴冠式だとか言ってるし、もうほとんど秘密結社のノリです。とんだダークヒーローでした。面白くなってきましたね。

 

 

彼女、お借りします(第3期)

第30話を観ました。

今回は和也と千鶴の2人っきりの撮影旅行の続きで、映画のラストシーンも無事に撮り終えて無事にクランクアップとなりました。まぁ2人っきりの旅行といってももともとはそんな予定ではなくて、八重森に嵌められた結果なんですが、八重森の思惑通りにはいかず和也と千鶴の2人の関係に特に進展はありませんでした。それでも2人の心情は丁寧に描写されていて、今回もラブストーリーとして十分に見応えがありました。映画のラストシーンの撮影旅行という大きなイベントですからもっと賑やかな展開もあり得たとは思うんですが、ほぼずっと和也と千鶴の2人だけでストーリーが展開し、かなり落ち着いたしっとりとした真面目なエピソードであったと思います。つまり結構ガチだったといえるでしょう。だから割と面白味は無いんですけど内容的には充実していて、濃いエピソードでしたね。

まず冒頭は斑尾高原の宿泊先である斑尾観光ホテルに到着した和也と千鶴の様子から始まります。ラストシーンの撮影が夜のスキー場であり、ゲレンデに隣接したホテルに宿泊して夜中に外に出て撮影するという段取りなのです。まぁスキー場のゲレンデといっても夏のシーンであり夏の撮影ですから、雪は無くてただの高原の風景ということになります。夜のシーンですから背景として重要なのは高原というより、とにかく満天の星空ということであり、満天の星空が見える場所ということで信州の山奥なのであり、見晴らしの良い場所という意味でスキー場をロケ地に選んだというだけであり、スキー場とか高原とかいうのは映画のシーン的にはそれほど重要な要素ではありません。満天の星空が一面に広がる撮影場所に直近のホテルがゲレンデ横の斑尾観光ホテルだったということです。

その斑尾観光ホテルはなかなか立派なホテルで温泉なんかも完備で、千鶴もずいぶんテンションが上がってはしゃいでいます。だが和也の方は前回のラストシーンのことが気になってそれどころではない。前回のラストシーンというと、新幹線を降りた飯山駅の外で千鶴が急に和也に対してしとろもどろになった場面です。何かを言い出そうとして真っ赤になって結局何も言い出せずウヤムヤになったのですが、普段の千鶴にはあり得ない突然の意外な行動に和也は驚きました。

和也の方は千鶴が突然そんなふうになった原因に心当たりは無かったので、八重森が言っていた「女にも性欲がある」というのを連想したのかなとも前回は思いましたが、実際は同じ八重森の言葉でも「水原さんは師匠のことが好きッス」という方を連想したようですね。それでもしかしたら千鶴が本当に自分のことを好きで、愛の告白をしようとしたんじゃないかなどと疑ったりしますけど、まさかそんなことがあるはずがないと結局は自分で否定して一旦和也も落ち着きます。

一方で千鶴の方はホテルに着いてから妙にテンションが高いが、もちろん飯山駅での自分の不自然な態度のことは覚えており、和也に変に思われてしまったと反省して、それを誤魔化すために妙にハイテンションになっているのだと思われます。それで、そもそもどうして千鶴があんな変な態度を取ってしまったのかというと、何かを言おうとして結局は照れて言えなかったのだというのは間違いない。それは和也が感じたまんまでありますが、千鶴が言おうとしていた内容は、もちろん和也が一瞬想像したような「愛の告白」などではない。

前回の飯山駅のシーンの前に新幹線の車内で和也が映画制作の話をするのを聞いて祖父のことを思い出す場面があり、かつて祖父がそうであったように今では和也が自分の夢を支えてくれていると千鶴が感じたのであろうと解釈しました。それを承けての飯山駅の場面だったので、千鶴がよほど和也のことを大切な存在だと意識してしまった結果ああいう照れた態度になってしまったのだろうと思っていたのですが、今回千鶴が飯山駅で何を言おうとしていたのかについては明かされました。

それは後のシーンのことになるので後に回すとして、まずはホテルのチェックインの段階でトラブル発生です。なんと八重森が和也と千鶴が同室になるように部屋を予約していたのです。もちろんこれは八重森が2人をくっつけようとして仕組んだことだというのは明白で、和也も千鶴もそれはすぐに分かりました。それで和也はすぐに別室をとってそこに自分が泊まると言う。これは八重森にホテルの手配を丸投げしていた自分のプロデューサーとしての落ち度なので自腹でも別室に泊まると言うのだ。一見すると正論だが、和也の内心は、いくら自分が千鶴を好きでも決して結ばれない2人の関係で同室宿泊なんて自分の精神が耐えられないというのが本音でした。

しかし千鶴は同室宿泊で構わないと言って予約していた一室の鍵を受け取ってさっさと部屋に向かってしまう。千鶴の方は和也は別に自分のことを好きではないと思っており、自分が変な気にさえならなければおかしなことにはならないと思っている。今晩は夜中に撮影であるし、撮影が終わればさっさと寝て翌朝にはチェックアウトです。八重森が期待するようなことが起きるはずはない。もともと上野駅で2人で新幹線に乗る決断をした時点で、いっそ八重森の策に乗った上で八重森に変な誤解をしても無意味だと分からせてやろうと千鶴も多少意地になっているところもあった。

そうして結局2人で一室に泊まることになり、部屋に荷物を置くと、昼間であったがさっさと2人で撮影場所の下見に行くことにした。とにかく映画のラストシーンの撮影が大目的なのであり、その大目的に集中している限り、和也も千鶴も同室泊のこととか、そういう余計なことで心を煩わせることもなく前向きになることが出来ました。そして撮影ポイントにカメラを据えて千鶴が本番時の立ち位置を決めて、深夜12時からの本番撮影に備えてちょっとカメラを回してみようということになり和也はマイクチェックのために千鶴に何か喋るよう求め、それを承けて、これで下見も終わろうかという段階なので千鶴はふと気が緩んで「これでラストなのね」と呟く。これは千鶴の本心から出た言葉であったのだが、和也は千鶴が演技モードに入ったのだと解釈して、この言葉をあまり気には留めず、千鶴が演技に集中しているのなら自分も集中して撮影しようと気合を入れ直すのでした。

そんな和也も夜になって撮影準備に集中していたところに、撮影前に温泉に入ってきた千鶴の湯上りの浴衣姿に見惚れてしまい集中を乱されたりもします。それでも撮影までは集中を持続しようと踏ん張る和也が「自分がやりたいことだから」と必死になる姿を見て、再び千鶴は頭の中で祖父の姿を思い出す。そして夜中12時を回り、2人が下見した時に決めていた撮影場所に到着すると、まずテストを行い、それが完璧に決まったのでいよいよ次は本番の撮影を開始しようという段階となる。すると、そこで突然に千鶴は「やっぱり話しておきたいことがある」と言い出す。

それを聞いて和也は驚き、もしかして飯山駅で言いかけて止めたことを言うつもりなのかと気付き、焦ります。あれはもしかしたら愛の告白を言おうとしたのかもしれないという疑惑がまだあったからです。いや、愛の告白であったとしてもそうでなかったとしても、どうしてこんな大事なラストシーンの撮影直前に言おうとするのか和也には千鶴の考えが理解出来なかった。それで撮影が終わった後にしようと言うのだが、千鶴は「クランクアップ前に伝えるって決めていた」と言って頑として譲らない。決めていたと言う割には飯山駅では躊躇して言い出せなかったのはよく分からないが、とにかくラストシーンを撮る前に伝えておきたいことであるらしい。

和也はまさか本当に愛の告白なのかと焦りますが、千鶴が続けて口にした話は和也にとって全く意外な内容でした。それは千鶴の祖父の話だった。初めて女優になりたいと言ってくれた時に応援してくれたのが祖父であり、その祖父に映画女優になった姿を見せると約束していたのだが3年前に祖父が交通事故で死んでしまい、だから祖父の代わりに祖母に自分が映画女優になった姿を見てもらいたかった。そうすれば祖父に届くと思った。でも祖母も病気で倒れて老い先短いと分かり、もう間に合わないと諦めかけていたのだと千鶴は和也に打ち明ける。

こうした千鶴の過去に関しては視聴者的には既に知っていることだが、和也は千鶴の祖父の話は初耳だった。また、千鶴が祖母にどうしても映画女優になった姿を見せたがっていた真の理由も初めて知ることになった。そして、自分が映画制作の話を持ち掛ける直前に千鶴がそんなに精神的に追い詰められていたことも和也は初めて知った。

だから自分は和也に映画制作の話を持ち掛けられた時、嬉しかったのだと千鶴は言う。そして、ちゃんとお礼を言えてなかったからと言い、千鶴は和也に「ありがとう」と感謝の言葉を伝える。そして「演技で返せればと思う」と言う。千鶴が「クランクアップ前に伝える」と言っていた理由はこれだったのです。自分が和也に返せる感謝の形が「演技」しか無い以上、映画の全てのシーンの撮影が終わってしまってから伝えても意味は無い。だから千鶴は映画のクランクアップ前、ラストシーンの撮影前に和也に感謝の言葉を伝えて、そしてその感謝を演技で示そうとしたのです。

それが千鶴が「話しておきたい」と言っていたことだったのだと納得した和也は、そのままラストシーンの撮影を開始し、撮影に集中しながらもボロボロと涙を流していた。今まで知らなかった千鶴の辛い境遇と、そんな千鶴の役に立つことが出来て感謝してもらえた嬉しさ、千鶴がいつにも増して美しく輝いて見えて、そんな千鶴のために映画を撮って本当に良かったという達成感など、色んな感情がグチャグチャとなっていたのでした。

だが、これが本当に千鶴が「話しておきたい」ことであったのだろうか?クランクアップの前に和也に感謝の言葉を伝えて演技で感謝の気持ちを示すというのであれば、いっそクランクインの前に言っておくべきではないでしょうか。そもそもラストシーンの撮影も当初は田臥監督と千鶴の2人旅行だった予定だし、それなら千鶴は和也に感謝の気持ちを伝えられないままクランクアップを迎えていた可能性も十分あったのです。それに、単に和也に感謝の気持ちを伝えるためだけならば祖父の話はする必要は無かったはずです。祖母の病気の話とオーディションを落ちまくっていた話だけで事足りる。だから、どうもここで千鶴が言っていることは不自然なのです。それに単に和也への感謝の言葉を伝えるだけならば飯山駅であそこまで真っ赤になって躊躇した理由の説明がつかない。今まで千鶴は和也に「ありがとう」ぐらいの言葉は何度でも伝えており、「ありがとう」を言うだけであれほど赤面して躊躇するのは不自然です。

だから、千鶴は和也に本当に言いたいことは別にあって、それを飯山駅で言いそうになったが結局言うのをやめて、おそらく和也への感謝の気持ち自体は本心であろうから、このラストシーン撮影直前に千鶴が和也に伝えた言葉は肝心の部分を省いた中途半端な内容だったのだと思われる。本当は「ありがとう」の後に続く別の言葉があったのでしょう。それを飯山駅では言いそうになったので話すのを止めて、考え直して肝心の部分を省いて感謝の言葉だけ伝えようということにしたのでしょう。そして、その本当に言いたかった言葉の代わりに「演技で返す」と言うことにしたので、どうしてもラストシーン撮影前に言わねばならなくなったのでしょう。では、どうして「演技で返す」と言ったのかというと、それは千鶴が自分は女優としてしか和也に認められていないと思い込んでいるからです。「演技で返すしか無い」と思っているのです。

そうなると、千鶴が本当に言いたかった言葉の方は、自分が女優としてではなく1人の女性として和也に認められているという前提での言葉ということになる。千鶴は結局それはあり得ないことだと思ったから飯山駅ではその言葉を口にすることが出来なかった。だからその後、軌道修正して、和也に感謝の気持ちを伝えた後、あくまで女優としてお返しをしようとしたのです。そしてお返しをすればそれでもうお別れです。女優とプロデューサーの関係なのですから、映画が完成すればもう終わりです。その寂しさから千鶴は下見の時に「これでラストなのね」と呟いたのです。

そして、その千鶴の本当に言いたかったことというのはおそらく祖父に絡んだ話です。和也への感謝の言葉の前に不自然に祖父の話が挿入されていることからそれは明らかです。新幹線に乗っている時や、ラストシーン撮影前のホテル室内でも不自然に祖父の回想カットが入っていたのもそこに繋がります。そして、このラストシーン撮影中にもボロボロ泣いて撮影している和也の心中とは全く別の千鶴の心中が描写されているが、これも祖父との過去の会話シーンの回想になっています。

この回想シーンで中学生時代の千鶴は、ずっと自分が女優になる夢を応援するとか言っておいて、どうせ自分より先に死ぬに決まっている祖父は無責任だと言って責めている。これは本心では長生きしてずっと自分の夢を応援してほしいと言いたいのですが、素直じゃないのでキツい言い方になってしまっているだけです。これに対して祖父は大笑いして無責任は認めます。つまり自分は確かに早くに死んでしまうだろうと認めているのです。だが、それでも大丈夫だと祖父は言う。前を向き「夢は叶う」と諦めなければ、お前を支える者は必ず現れるのだと祖父は言ったのでした。つまり、自分が死んでも、千鶴が夢を諦めない限り、自分に代わって千鶴の夢をずっと支えてくれる別の者がきっと現れるのだと祖父は予言しているのです。

千鶴は和也が映画制作の話を持ち掛けてきた時、和也が祖父が言っていた、祖父の代わりに自分の夢を応援してくれる存在なのだと思えたのでしょう。だから感謝した。そしてクラファンの活動や映画撮影の日々の中で和也への想いが次第に大きくなっていき、ラストシーン撮影が2人旅になり、新幹線の中での会話で和也が祖父と重なって見えてきて、和也こそが祖父の代わりにずっと自分の夢を支えてくれる人なのではないかという想いに心が占められてしまった。それで飯山駅に降りた後、和也への感謝の言葉を口にして続けて「ずっと私の夢を支える人になってほしい」とでも言いそうになってしまい、ギリギリのところで踏み止まって、あくまで自分はレンタル彼女であり和也にとっては女優でしかないと認識し直して、感謝の言葉だけ伝えて、最後に演技でお返しして2人の関係のケジメをつけようと決めたのでしょう。

そうしてラストシーンの撮影が終わり、和也はホテルに戻って温泉に浸かって千鶴について様々な感慨に耽り、これから同じ部屋で寝るのかと思うと様々な妄想を膨らませたりもするが、部屋に戻ると千鶴は撮影の疲労もあってか既に部屋の隅で布団を敷いて眠っており、和也も部屋の逆の端に敷いた布団に入ると疲労のためにあっという間に眠りに落ちていった。

ところが実は千鶴は眠っておらず、和也が眠りにつくと布団から上体を起こして和也の寝顔を見つめる。そして「お前を支える者は必ず現れる」という祖父の言葉を思い出し、結局は口にすることなく永遠に蓋をしたはずの「ずっと私の夢を支える人になってほしい」という言葉が喉の下まで込み上がってきて、そうした想いの昂りで千鶴は眠れなくなっているようです。そして千鶴は頭から布団を被って寝転び「もう最悪!なんで私が寝れないのよ」と心の中で呟くのでした。

そして結局は一睡も出来なかった千鶴は朝風呂に入って気合を入れた後、和也と共にチェックアウトし、バスで飯山駅に向かう。そしてバスの中で千鶴は、自分はもう和也のことは何とも思っていないというふうに気分を切り替える意味合いで瑠夏や麻実などの話を振って和也が他の恋人を作るのを応援する姿勢をアピールしつつ、気が付けば和也と他の女との関係に探りを入れるような形になってしまったりする。和也の方は映画制作を振り返り、もうこれで千鶴に会う機会も無くなるだろうと思い、千鶴にこれまでの感謝の気持ちを伝えようとするのだが、結局一睡もしていなかった千鶴はバスの揺れで寝オチしてしまい和也の肩にもたれかかって眠ってしまう。和也は千鶴を愛おしく想う気持ちを抑えるのに必死で、気が付けば飯山駅に到着して千鶴を起こして2人でバスを降りると、なんとそこに瑠夏がやって来ていた。

瑠夏は昨日の新幹線内の和也との電話が怪しいと感じて八重森を問い詰めて和也と千鶴が2人で撮影旅行に行ったと知り、激怒して帰りの新幹線の時間に合わせて飯山駅で待ち伏せしていたみたいです。それで和也と千鶴の間で疚しいことがあったのではないかと疑惑の目を向け、これから和也と斑尾で泊まるとか無茶なことを言い出したりする。それで結局、8月26日の瑠夏の誕生日には和也が瑠夏の頼み事を何でも聞くという約束をさせられるのでした。

 

 

スプリガン

第6話を観ました。

今回は「帰らずの森」の章の後編となります。前回の前編ではアーカムのS級エージェント「スプリガン」の御神苗優が「神酒」という伝説の不老不死の薬を手に入れるためという任務でインド北部の「帰らずの森」という悪霊の跋扈する森に赴くという話が描かれ、そこに遺跡荒らしの女盗賊の染井芳乃や、同じく「神酒」を狙う武器商人トライデントの傭兵隊長の暁巌も絡んできて、結局3人で手を組んで森からの脱出を目指すことになったところまでが描かれました。

前回において判明した重要な事項は「帰らずの森」の起源でありました。古代インド神話に登場する英雄王が敵に追われて王妃と共に森に潜んでいた時に留守中に魔神により王妃を奪われてしまい、そのことを報せなかった森の精霊を恨んだ英雄王が森の全てに呪いをかけて、それにより森の精霊は悪霊と化して、おそらく紀元前の出来事なのでしょうけど、それ以来この森は呪われた森となり、立ち入った者は二度と帰ってくることはない「帰らずの森」となったのです。

ただ、この「帰らずの森」の神話と「神酒」の話は何の関係も無い。この神話には「神酒」などというものは一切登場しない。そもそも「神酒」の話がこの神話に書いてあるようなポピュラーな話だったら多くの人が知っているはずであり、遺跡荒らしを生業としているような芳乃のような人間がこの森に「神酒」があるかもしれないという優の話を聞いて初耳だと言うはずがない。ただ芳乃は「神酒」という不老不死の薬の存在が昔から噂されていること自体は知っていた。だから「神酒」というのは各国の諜報機関や古代遺産に群がる有象無象の界隈における都市伝説のような存在であったようです。そして「神酒」がこの「帰らずの森」に存在するかもしれないという話は、そうした界隈の中でも特に極秘情報として出回っていた話だったのでしょう。だからこれはインド神話とは何の関係も無い噂話であり、この噂話の出所は不明であったが、これほど確実性の低い情報が妙に信じられているということは、かなり古くから存在する極秘情報みたいです。

今回はまず、その「神酒」が「帰らずの森」に存在するという情報の起源が判明するという話が描かれるのですが、その前に優と暁が死生観について語り合うちょっとした場面があり、そこもこの「神酒」の話に関わってくるので、まずそっちを触れます。3人で森の脱出を図ったものの、悪霊によって方向感覚を狂わされているのか何度も同じ場所をグルグル回ってなかなか脱出が出来ず手詰まりとなった優たちが野営している時、優が暁にトライデントは「神酒」を手に入れて何に使おうとしているのかと問いかける。そして、もしかしたら不老不死の軍隊でも作ろうとしているのかと心配する。

質問された暁の方はどうして急に優がそんな質問をするのか意味が分からないようです。暁にとっては「神酒」を手に入れるまでが任務であり、その先のことなど興味はない。それは同業者である優も同じはずだと暁は思っていたからです。だがどうやら優が本気で「神酒」が悪用されないかと心配しているようだと気付くと、なんとも甘いヤツだと呆れながらも、暁個人の見解を話し始める。それによると、暁自身は「神酒」にも「不老不死の軍隊」などにも興味は無いとのことです。何故なら「死の無い人生など面白くないから」だそうです。

暁は「生還者(リターニング・マン)」という異名を持つ傭兵で、どんな過酷な状況でも生きて帰ってくるのでそういう綽名がついたようです。だからよほど生きることに執着した男なのかと思っていたら、実際は死のスリルを楽しむ男だったようです。死の危険と隣り合わせの極限のスリルの中で足掻くことによって生きている実感を得られるのだそうで、その快感を繰り返し得るために何度も生還してきているみたいです。つまり再び死にかけるために何度も生きて戻ってきているわけで、ちょっとイカれた男といえます。だが暁にとっては死ぬかもしれないという危険の中でこそ生が最も充実するのであり、もし最初から不老不死になって死なないと分かってしまっていたら、人生の充実感は失われる。だから「神酒」などには興味は無いのです。

そして、そうした暁の話を聞いて、優にも共感するものはあった。死のスリルを味わうために危険な任務を選ぶなどという趣味は無かったが、確かに死なない人生ほど退屈なものはないとは思えた。人間は死ぬと分かっているからこそ今を懸命に生きようとするのであり、そういう人生の方が面白いはずだというのは優にも分かる。それで優は少し暁という人間に親しみが湧いて、少しは信用しても良いように思えたのでした。

ここで芳乃が「妖気の薄い場所に行く」と言って移動を開始したので優も暁もそれについて行くと、確かにそれまで森の中で感じていた気持ち悪い悪霊の気配を感じない場所に辿り着いた。芳乃もよく考えると不思議な女で、前回の描写においても優が察知していた暁の気配を勘付いていなかったクセに、優や暁が察知できない悪霊の接近にいち早く気付いたりしており、どうも常人よりも霊的なものに感受性が高いようです。森の中でも3人の中で一番苦しそうにしていたのは体力面で劣っているからではなく、悪霊の影響力を最も受けやすい体質だったからみたいですね。だからその環境に耐えきれず、より悪霊の少ない場所を察知して、そこに移動したわけです。

だが、どうしてこの悪霊に満ちた森の中にそんな清浄な場所が存在するのか不思議でしたが、その原因と思われるものがすぐに見つかった。それはミイラでした。しかもただのミイラではなく、いわゆる「即身仏」というやつです。仏教において悟りを開くために肉体的な苦痛を自らに与えながら修行をするという手法は昔からあるが、究極の肉体的苦痛とは「死の苦しみ」であり、この即身仏という修行法は、水や食料を断って生きながらミイラとなって死んで、その死の苦しみによって精神の悟りを開くというものです。「悟りを開く」というのは簡単に言えば「あらゆる執着から解き放たれ超越した状態」であり、その即身仏はそういう状態であるゆえに、森の精霊に対する英雄王の恨みという一種の「執着」から発した呪いによって侵されることがない狭い聖域を周囲に作れているのでしょう。

ただ、その聖域はごく狭いものであり、このままここに避難していても優たちはいずれ食料も尽きて餓死してしまう。だから森からの脱出方法をどうにかして見つけなければならない。そこで優は芳乃に特技を披露するよう頼む。それは「口寄せ」というやつで、実は霊媒体質の芳乃はこの「口寄せ」の術を使って死者の霊を自らの身体に召喚して喋らせることが出来る。恐山のイタコみたいなもので、芳乃の身体に召喚して死者の霊と会話することも出来る。優は何度も芳乃と任務先で出くわしており、芳乃がこの術を使って遺跡に所縁のある死者の霊から独自の情報を入手して他の組織を出し抜くところを何度も見ているので、この芳乃の特技については把握済みだったのです。

今回の芳乃の「口寄せ」のターゲットはもちろんこの即身仏であった。その即身仏の霊を芳乃の身体に降霊させ、優がその霊と会話して森からの脱出方法を尋ねることにしたのです。だが、この即身仏はどうやら「神酒」について何か知っているようで、「神酒を漁りに来た俗物どもはこの森の呪いから逃れることは出来ない」と言って、どうも脱出方法を教えてくれそうもない。すると暁が「どうしてお前だけは呪いから逃れることが出来ているのか」「そもそもどうしてこの森に神酒があるのか」と問い返す。確かに当然の疑問です。それに対して即身仏は、自分は神酒を求めてこの森に入った者ではなく、逆に神酒をこの地に封じるためにやって来たのだと言い出す。

この即身仏は生前は古代の北インドの仏教の修行僧だったようで、ある日、寺院で神酒の製法が記された石板を発見したのだという。それは彼の時代から更に遥か昔の超古代の遺産であり、当時の権力者たちは不老不死を求めて、その石板を奪い合い争いが起きたという。それでその寺院の僧たちはその事態を憂えて話し合いを重ね、「帰らずの森」の奥深くにその石板を封印することにして、彼が代表してそれを実行し、神酒の製法を記した石板をこの森に持ってきて封印したのだそうです。つまり、この即身仏の人は「超古代の遺産が悪しき者たちに悪用されないように封印する」という優たちスプリガンと同じような理念で行動したのだといえます。

だが石板の封印後に悪霊によって方向感覚が狂わされた彼は森から帰ることが出来なくなり、そのまま悪霊の一部になり果てることを避けるために即身仏の荒行を実行して悟りを開いて死んで、それによって彼の霊は悪霊に取り込まれることなく聖域からこの森の歴史をずっと見守り続けてきたのだという。それによると、彼がこの森に神酒の製法の記された石板を隠したという情報は何処からか漏れて、不老不死の欲望にかられた愚か者たちが多くこの森にやって来るようになったのだそうです。そして彼らは全員、森の悪霊によって呪い殺されて悪霊の一部として取り込まれていった。

生への執着を捨てて死の苦しみを受け入れることで悟りを開いた修行僧の霊は悪霊に取り込まれることはなく、永遠の生に執着した俗物たちは死んで悪霊に取り込まれてしまった。これはつまり、もともとのこの森の悪霊というのが英雄王の王妃への執着から発した恨みの感情によって呪われた存在であったがゆえに、同じように強い執着心を抱いたまま死んだ者の霊と融合しやすかったということなのでしょう。そうしてもともとの悪霊たちに加えて、神酒を求めて森に入って無念の死を遂げた強欲な悪霊たちがどんどん融合していき、いつしか後者の方が多数派になって、この森に神酒を求めて入ってくる新たな俗物たちを競合する敵と見なして攻撃して殺戮し、そうしてその霊たちをまた取り込むという歴史を繰り返してきて今に至るということみたいです。だから即身仏は「神酒を漁りに来た俗物どもはこの森の呪いから逃れることは出来ない」と言うのです。

そういうことが繰り返されて、古代以降、様々な連中が「帰らずの森」に「神酒」があるという情報を信じて森に挑んだが、森に入った者は全員帰ってこなかったわけだから、その情報を知る者自体がどんどん減っていった。そうして情報の確度はどんどん下がっていったが、それでも細々と情報を伝える者もいて、いつしかこの「神酒」が「帰らずの森」にあるという情報は各国や各組織の諜報機関の一部にだけ伝わる確度の低い機密情報という位置づけとなっていき、それが最近になってアーカムの活動に触発されて多くの諜報機関がこの「神酒」の情報も見直すようになり、一気に「帰らずの森」に要員を多数派遣するようになり、遂にはアーカム本部もその争奪戦に参戦するという事態となったのです。

ここでこの修行僧の霊は優たちに対して「命というものは限りあるものであり、限りある生を精一杯生きてこそ命は初めて生命となり、人は生の有難味を知ることが出来るのだ」と説法のようなことを言う。命を限り無きものにしようという欲に呑まれて、限り有る生を精一杯生きなかった俗物たちが生きることの意味を理解できず悪霊に呑まれたのだという戒めの意味のようにも解釈は出来ますが、それに続いてこの修行僧の霊は「しかし、それはもはや叶わぬ夢。私もお前たちもここで朽ちてゆくしか道は無い」と言っており、どうやらこれは修行僧が自分自身に向けて言っているようなのです。

この言葉を聞く限り、彼はどうやら後悔をしているようです。彼は死の苦しみを乗り越えて、生への執着を捨てて悟りを開いた身であり、現在は他の人間よりも一段高い精神レベルに達した存在であるはず。しかし、そんな彼も生前の自分が精一杯生きていなかったのではないかと後悔しているようです。だから自分は悟りを開いた身でありながら、結局はこうして森の中でいつかは朽ちてゆくだけの存在になってしまったのだと彼は悔やんでいる。

いったい彼ほどの解脱者が何を悔やんでいるのでしょうか。それはおそらく仏道の求道者としての後悔なのでしょう。仏教を収める者として果たして自分は真に為すべきことを精一杯為したのであろうかということを突き詰めると、彼には後悔が残るのだと思います。何故なら彼が「帰らずの森」に「神酒」を隠したために多くの人々が「帰らずの森」で殺されて悪霊となるという結果を招いたからです。それは彼の望むことではなかった。どうしてそんな最悪の結果を招いてしまったのかというと「悪霊の住む危険な森に石板を隠そうとしたから」です。そんなことをすれば愚かな人間が森にやって来ることになることは十分予想はつくことであった。それなのにその道を選んだのは当面の神酒を巡る戦争を避けるためであり、戦争で死ぬ人間の数よりも森で死ぬ欲張りどもの人数の方が少ないだろうという一種の逃避でしかなかった。

いや、状況的に考えて神酒の石板を隠すには「帰らずの森」が最適であったし、それによって大規模戦争は回避出来て、森で欲張りどもが死ぬだけで済んだのは正しい判断だったとは思う。ただ、それはあくまで「隠す」という意味では最適だったというだけの話です。石板を粉々に砕くとか、海の底に投棄するとか、「神酒」の製法が完全に失われてもいいという前提であれば、他に手段はあったはずです。その方法を選ばなかったのは、僧たちが「神酒」の製法が完全に失われるのを惜しく思い、残しておいて後で利用しようという下心があったからです。そうした自分たちの下心のために余計な犠牲者を生んでしまったことが修行僧の霊にとっては後悔なのでしょう。本当に自分たちは最善の道を選んだのだろうかという悔恨が残るところなのです。

ここで修行僧の霊が「私もお前たちも」と言って後悔の念を示しているところは示唆的です。修行僧は超古代の遺産である「神酒」を再利用したいという下心によって悪い事態を招いてしまったことを悔やんでいるわけですが、ここで彼が言っている「お前たち」というのが優たちアーカムを指していると考えると、考えさせられるものはあります。アーカムも超古代の遺産を封印しているが失わせてはおらず保管しているものが多い。そこに自分たちのために悪用しようという下心は無いか、それによって後悔することになるのではないかという問いかけがここで為されているように思われる。

ただ、ここで修行僧の霊が後悔しているのはそういうレベルの話ではないのではないかと思う。彼は仏道を極めて悟りを開いたような霊であるから、その後悔はもっと根本的なところにあるように思う。仏教者として本当に生前の自分は精一杯やるべきことをやったのだろうかという後悔があるのだと思う。そう思う根拠には仏教には「小乗」と「大乗」の2つの悟りがあるからです。「小乗」というのは個人の悟りを開くことによる救済を目指すものであり、「大乗」は衆生の救済を目指すものです。つまり、この修行僧が到達した悟りはあくまで彼個人が悟りを開いて解脱した「小乗の悟り」であり、他の人々を救済する「大乗の悟り」ではない。彼は自分が仏教者として真に目指すべきだったのは「大乗の悟り」の道、つまりこの森の呪われた悪霊たちの魂の救済だったのではないかと後悔しているのです。

彼が仏教者として真になすべきであったことは、神酒の石板を隠すために森の呪いを利用することなどではなく、呪われた森の精霊たちの魂を救済して、その上で神酒の石板は粉々にして海の底にでも沈めるべきだった。それが彼にとって「精一杯生きた」といえることであり、そうしなかった結果、彼は呪われた森の中で自分1人だけが悟りを開いてそのまま朽ち果てていくしかないのであり、彼はその自分の選択を後悔している。

そうした修行僧の霊の後悔の言葉を聞き、暁は「俺はそんなつまらん死に方は御免だぜ」と不敵に笑う。精一杯生きることを諦めてここで朽ちていくなど、暁の行動理念には受け入れがたいことでした。死の瞬間まで精一杯生きようとして足掻いてこそ、死の恐怖のスリルを満喫できる。最初から諦めて死を受け入れるなんて退屈な死に方は暁のポリシーに反していました。また優も「俺はどうせ死ぬなら自分の行動に納得して死にたい」「自分の行動に後悔だけはしたくない」と言い、だからこの森の脱出法を教えてほしいと頼み込みます。

そうした優と暁の言葉を聞き、修行僧の霊は自分は死を乗り越えることに執心するあまり、彼らのように死の瞬間までみっともなくも精一杯足掻く姿勢に欠けていたのだと反省し、この者たちであれば自分がやり残して後悔していることを託せるかもしれないと感じ、森からの唯一の脱出法を教えると言う。それは同時にこの森の悪霊たちを救済して成仏させる方法でもあり、極めて危険な行為でもあった。「生きて地獄を見ることになるぞ」と修行僧は念を押すが、優は「望むところだ」と不敵に笑う。

ただ、その修行僧の脱出法の説明をそのまま優たちがすんなり聞けたわけではなかった。このタイミングで芳乃の口寄せが突然終了したからです。それまでは芳乃の口を通して修行僧の言葉が優たちに聞こえていたが、芳乃が口寄せをストップしたことによって話は途中で終わってしまった。ただ、芳乃は即身仏となった修行僧の霊の思考は全て読み取ったので大丈夫だと言う。芳乃の真の能力は霊の思考を強制的に読み取ることであり、その過程で口寄せのようなことも出来るだけのことであり、芳乃が思考を全て読み終わった以上、もういちいち口寄せで会話をする必要も無く、全ての情報は手に入っているのです。だから修行僧の霊が知っていた森からの脱出法も芳乃は既に把握していました。

その方法とは、この森の中心にある「呪神樹」という大木の思念を解き放つことだという。その「呪神樹」が英雄王の怒りを依り代としてこの森の悪霊の全てを束ねる存在なのであり、その怒りを解消すれば呪いは解けてこの森の悪霊は解放されて成仏していき、この森は悪霊の居ない普通の森に戻るので脱出可能になるというわけです。ただ、どうやって英雄王の怒りを解消するのかはノープランだったが、とにかくまずは呪神樹に向かうしかない。そういうわけで3人は森の中心に向かって駆けていく。

しかし当然、森の中心に向かえば悪霊も増えてくるわけで、多くの悪霊が襲ってきて優と暁は悪霊を迎え撃って戦うが、そうしていると芳乃の姿が消えてしまった。そんな簡単に悪霊に捕まるタマでもないので、優はどうやら芳乃が自分達を出し抜こうとしているようだと悟る。芳乃の能力は霊の思考を強制的に読み取ることであり、相手が拒否しても情報は引き出されてしまうという。優は芳乃の能力の本質がそういうものであるのはさっき芳乃に聞かされて初めて知ったが、そらならば芳乃はおそらく神酒の製法の記された石板の隠し場所の情報も引き出したはずだということに気付いた。そして、そのことを自分たちには黙っていたということは、自分たちを出し抜いて石板を手に入れようという魂胆だと分かった。

そうした優の推察通り、芳乃はドサクサ紛れに優たちから離れて別行動をとり、石板の隠し場所に行き、石板を手に入れていた。その隠し場所は悪霊たちが近づけないように修行僧が作ったと思われる結界に守られていたようだが、芳乃が石板をリュックに入れてその結界を出た瞬間、悪霊たちが襲い掛かってくる。そうして芳乃が悪霊に追われて必死で逃げる羽目となった一方、優と暁もいよいよ呪神樹に近づいて強力な悪霊に囲まれてどうにもならなくなってきて、暁が悪霊たちを食い止めて、その間に優が呪神樹をどうにかするということになります。そうして呪神樹に向かった優は途中で芳乃と合流して、共に呪神樹に向かう。なお、優は芳乃が石板の隠し場所に行く前に悪霊に襲われたのだと思っているので芳乃が石板を持っていることにはこの時点ではまだ気付いていません。

そうして優と芳乃は遂に呪神樹のもとに辿り着きますが、その圧倒的なパワーの前に全くなす術がない。無数の強力な悪霊たちが襲い掛かってきて防戦一方となった優たちは絶体絶命の危機に陥ります。すると悪霊の攻撃を喰らった芳乃のリュックが斬り裂かれ、中に入っていた神酒の製法を記した石板が転がり出てくる。それを見た全ての悪霊たちの動きが一瞬止まり、そして全ての悪霊がその石板目掛けて殺到してくる。この森の悪霊の大部分は神酒の石板を手に入れようとして無念の死を遂げた悪霊たちなのであり、神酒の石板に対して異常な執着を抱いているので石板に引き寄せられるのです。芳乃は慌てて石板を拾って逃げ出しますが、そのおかげで全ての悪霊が芳乃を追いかけることとなり、優の周囲から悪霊が一時的に居なくなります。

それで少し余裕が出来た優が呪神樹の観察をすると、呪神樹の幹の内部には空洞があって、その中に小さな石像のようなものが置いてあるのが分かった。その石像には優は見覚えがありました。それは確か、この森に入る前に事前調査で立ち寄った神殿遺跡で見つけた王妃像でした。だが王妃像とはどこか違うと感じた優は、王妃像は左半分が欠けた半円形をしていたことを思い出す。そして呪神樹の内部に見える石像は右半分が欠けた半円形をしており、よく見るとそれは王妃像のような女性像ではなく男性像だということが分かった。つまりこれは王妃像と対になる王の像なのではないかと考えた優は、その事前調査で立ち寄った神殿遺跡で芳乃が発動させたトラップから逃げる途中で見かけた石像に夫婦一対となったものがあったのを思い出し、このあたりの古代宗教では夫婦一対で神を祀る信仰が普通だったのだろうと思った。つまり、この呪神樹の中の王の像も、あの神殿遺跡に祀ってあった王妃像も異常な祀り方だったのだと気付いた。

そう考えると、どうしてあの神殿遺跡では王妃像を奪った者に対してトラップが発動するような仕掛けが施してあったのかが分かった。あの神殿を作った者は王妃像が奪われることを強く警戒していたのです。何故ならその王妃像は奪ったものだったからであり、だから奪い返されるのを警戒しなければならなかったのです。ではあの神殿の主は誰からあの王妃像を奪ったのかというと、それは対となる王の像の持ち主からです。つまり英雄王本人から奪ったのです。正確に言えば英雄王から王妃を奪った際に、王妃が持っていた王妃像も一緒に奪ったのでしょう。つまり、あの神殿は英雄王から王妃を奪った魔神を祀る神殿だったのです。古代インドは多神教ですから、あの神話では悪い神みたいに描かれている魔神の側にもちゃんと信仰する者はいるのです。

おそらく英雄王と王妃はお互いの守り神のように自分の石像を夫婦で1対に円形になるような形で持っており、王妃が王妃像と共に魔神に奪われて怒り狂った英雄王は、パートナーを失った王の像をその恨みの依り代として森の精霊たちに呪いをかけた。その呪いの依り代の石像を置いた巨木の周りに森の精霊たちが悪霊と化して憑りついて呪神樹を形作り、その周囲には神酒を求めて森に入ってきた俗物どもの成れの果ての悪霊たちが跋扈しているというのがこの「帰らずの森」の中枢部の構造なのでしょう。そして呪神樹の思念を解き放てば呪いは解けて悪霊は成仏するというのならば、この呪神樹の中心にある王の像の求める思念を満たしてやればいい。つまり対となる王妃像を返してやればいいのです。そして、その王妃像は長い年月遠く離れた魔神の神殿に置いてあったのだが、今はたまたまこの場にある。芳乃が盗み出したからです。芳乃のリュックがさっき斬り裂かれた際に神酒の石板と共に王妃像も地面に転がったのを優は見ていた。芳乃は神酒の石板は拾って逃げたが、王妃像は地面に転がったまま放置していました。

ただ、神酒の石板に釣られているのは新参の神酒狙いの俗物どもの悪霊だけであり、古参の森の精霊の悪霊の方は石板に釣られておらず、呪神樹の幹に憑りついて中心の王の呪いの像をガードしたままです。王の像のもとに王妃像を届けるためにはその悪霊たちの憑りついた呪神樹の幹を分け入っていかねばならず、それには時間と労力を要する。そこで優は更に時間稼ぎをするために芳乃に神酒の石板を渡すようにと言う。芳乃は最初は嫌がっていたが、そのまま石板を持ったまま逃げ続けていても悪霊に呑み込まれそうになったので仕方なく優に石板を投げます。それを受け取った優は石板を追ってきた悪霊たちの前で石板を投げつけて粉々に割ってしまう。すると悪霊たちは錯乱して動きが止まってしまいます。

優はその隙に王妃像を拾って呪神樹の方に行き、アーマードマッスルスーツのパワーと精神波を最大出力にして呪神樹の幹を分け入っていき、渾身のサイコブローと共に王妃像を王の像の隣に叩き込み、王の呪いの像に最大限のショックを与えました。悪霊の方も石板を破壊した優に向けて怒り狂って迫ってきていましたが、一瞬早く王の長年の恨みの思念が王妃を取り戻したことで満たされて解放され、呪いが解除した。それによってこの全ての森の悪霊が呪いから解放されて一気に天に向かって昇っていき、呪いの森は静かな普通の森に戻ったのでした。

その後、芳乃はパワーを使い果たして油断している優を催眠ガスで眠らせて、その隙に粉々になった石板の破片を集めて回収しますが、それは優が芳乃に石板を回収させるためにワザと眠らされたフリをしていただけであり、芳乃が石板の破片を回収し終わったタイミングで優は芳乃からそれを取り上げようとする。しかしそこに暁が現れて石板の破片を横取りしようとする。そうして優と暁が再び戦って石板を奪い合うという流れとなります。

優は神酒を巡って争いを起こさせないためにアーカムが封印すると言って石板を暁には渡せないと言うが、暁はアーカムは絶対正義などではないと指摘する。優がたとえ世界平和のために動いていたとしても、アーカムは超古代の遺産を使って世界支配を企むかもしれない。だからアーカムに神酒の製法を記した石板を渡すことが本当に正しいとは言い切れないのだと暁は諭す。だが、それに対して優は、もしアーカムが神酒を悪用しようとするなら自分の手でアーカムをぶっ潰すと言い不敵に笑う。優としてはそれが無謀であることは分かってはいたが、それでもさっき修行僧の霊に誓ったように、たとえ生きて地獄を見るようなことになったとしても自分の行動に後悔だけはしたくなかったのです。

それを聞いて暁は優の正気を疑う。アーカムという組織に1人で戦いを挑んで勝ち目などあるはずがない。だが、そんな勝ち目の無い戦いこそ最高のスリルを味わえそうだとも思えた。それこそ死を乗り越えた最高の生の実感だと思えた。そんな戦いを挑むと言い切って不敵に笑う優を見て、暁は優もまた自分と同じように極限の戦いを楽しむタイプの人間だと理解し、そんな相手と本気で殺し合いをしたなら最高に充実したバトルを楽しめそうだと思い、本気モードで戦闘態勢に入る。

だが、優のダメージが大きいのを見て、今戦ってしまうと簡単に自分が勝ってしまい楽しめそうにないと判断した暁は戦うのを止めてしまいます。そうなると神酒の石板は諦めることになるが、もともと暁には神酒などどうでもいい。戦いのスリルこそが暁には最重要なのであって、戦いのスリルを台無しにして神酒など手に入れても意味は無いのです。トライデントには神酒など見つからなかったと報告すればいいだけのことです。それよりも暁にとって目下最重要なことは、万全の状態の優と今度こそ本気の殺し合いで再戦することでした。その再戦の約束をして暁は去っていきました。

そして後日、日本に帰って普段の世を忍ぶ仮の姿「お嬢様学校に通う病弱な美少女」を演じている芳乃のもとにいきなり優が訪ねてきて「神酒」の原料について教えてくれる。アーカムで復元した石板に書かれた文字を解読した結果、アンブロディアという高山植物が原料だということが分かったのだという。だが、このアンブロディアという植物は紀元前にヒマラヤで生息していた特殊な植物だったらしいが現在は気候変動で死滅してしまい存在していないとのこと。つまり神酒は現在は生成不可能ということであり、結果的に誰も悪用できず完全に封印されたということになる。優は芳乃がどうせ抜け目なく石板の画像を撮っていたのであろうことを読んでおり、いくらあちこちに手を回して解読しても無駄だということをわざわざ親切に教えに来てくれたわけだが、すっかり恥をかかされた形の芳乃に思いっきり恨まれてしまうのでした。

 

 

AIの遺電子

第6話を観ました。

今回は2つのロボットの話でしたが、ロボットと人間やヒューマノイドとの良き関係を描いたような感じの話でしたね。ストーリーとしてはロボットと人間側との交流を描いたシンプルな作りの美談という感じなんですが、作り手側が見せたいのはこのストーリーラインそのものではなくて、そこに込められたテーマなんでしょうね。この作品は他のエピソードも大体いつもそんな感じなんですけど、今回は特にそう思えた。序盤からここまではテーマは非常に秀逸なんですけどストーリーはいつも寓話のような感じで、まだ物語として盛り上がってきてはいないですね。第1話で須堂の母親絡みの話が出たり、第2話でMITIという存在が出てきたりして縦軸のストーリーも示唆されたりもしましたが、それ以外は現状は近未来SF設定において人間という存在を描く寓話という趣といえます。今回は特にそういう傾向が強く、主人公の須堂の出番自体がほぼ無かった。まぁ面白かったから別のそれでもいいんですけど、もっと物語が盛り上がってほしいのも事実ですね。

今回のようにロボットが重要キャラとして描かれたエピソードとしては第3話がありましたが、あれはロボットに心があるかどうかというお話でした。SF作品ではよくロボットに心が芽生えたりするような描き方がされますけど、この作品の場合は第3話でもあくまでロボットには心は無いという描き方でしたね。この作品の場合には既に「心を持つロボット」としてヒューマノイドが存在していますから、自律思考回路を持たない産業用ロボットには心は無いという設定なのです。その原則は変わっておらず、今回登場する2体のロボットもあくまで心を持たない道具のような存在として描かれています。

第3話でもメインテーマはロボットに接する人間側の心の在り方であったが、今回もロボットとの交流を通して人間という存在を描くのが主目的でしょう。ロボットが高度に発達して特定分野における完全な存在となることによって人間は不完全な存在であることが浮き彫りとなる。本来、人間というのは不完全な存在なのですが「完全に物事をこなす道具」としてのロボットと対比することによって、人間が本来的に不完全な存在であるということがより明確に描けるわけです。そして不完全な存在だからこそ、完全な道具であるロボットには出来ないことが人間には出来るのだということが今回は描かれているのだと思います。

まず前半パートでは大学で文化記録研究を専攻としている有田という学者が産業ロボットの「覚える君」というのを連れて桐山という年寄りの頑固そうな鍛冶職人のもとに行く話です。桐山は片田舎で包丁や鉈などの日用品の刃物を細々と作っている伝統的な鍛冶職人で、その桐山の営む小さな鍛冶屋を訪れた有田は伝統工芸技術の記録継承のために産業ロボットの「覚える君」を弟子入りさせてほしいと頼み込む。

ただ桐山はあまり歓迎していない様子です。つまり産業ロボットに伝統的な鍛冶の技術を覚えさせようということなのだろうけど、それならばもっと相応しい場所があるはずだと桐山は思う。おそらくそうした伝統工芸に関する博物館とか歴史保存施設みたいなところもあるのでしょう。大学の工学部にもそうした伝統工芸のノウハウは体系化されてまとめられており、その技術を教える教育の専門家だって存在しているはず。何もこんな田舎のオンボロな鍛冶屋に来ることはないんじゃないかと桐山は思ったようです。自分は親から叩き込まれた鍛冶しか出来ることがないから鍛冶屋をやっているだけであり、それなりの腕前ではあると自負はしているけれど、わざわざ後世に残すほど特別な技術を持っているわけでもない。教育の専門家でもないから他人に教えるのも不得手であり、物好きな若者が何人か弟子入りしたこともあるが、すぐにキツさに耐えられず逃げ出した。だから自分は適任者ではないと桐山は思い、有田が本当に伝統技術の継承だけが目的でここに来たのだろうかと疑問にも思った。

だが、覚える君は桐山の話を聞くと、自分はそんな逃げ出した人間の若者とは別物だと言う。そして「手仕事を覚えるという点に関してはどんな人間よりも上手くやる自信があります」と言い放つ。それはつまり桐山よりも自分の方が上だという意味にも受け取れる。それを聞いて桐山は「なんて生意気なヤツだ」とムカッとして、そこまで言うのならちょっとシゴいてやろうと思い、とりあえず覚える君を1週間弟子入りさせることにした。もちろん親切丁寧に教えてやるつもりなど無い。「勝手に見て盗め」という桐山自身が父親に仕込まれた、いかにも昔気質の職人らしい手荒な教え方です。

しかし、そうやって覚える君を前に立たせて鍛冶の仕事をしてみると、桐山は自分の若い頃を思い出した。父親が今の自分の立っている場所で鍛冶の作業をして、自分が今の覚える君の立っている場所で父親の仕事ぶりを見つめていた頃のことです。そして当時の自分も父親などよりも自分の方が上手くやれると生意気なことを考えて自信満々だったということを思い出すと、桐山はなんだか覚える君に親近感を覚えた。

その晩、夕食時に桐山は有田や覚える君に亡き父親の話をする。自分の父親は正直言って大した鍛冶職人ではなかった。工場で機械が作る既製品の方が品質が良いと思えたのだと桐山は言う。自分はそんな父親よりも上手にやれると自負して、実際に改良を重ねて良いものを作ってきたつもりだ。しかし産業ロボットの技術の進歩は凄まじく、大資本の工場でロボットが作る包丁や鉈の方が自分の作るものよりも品質は良いのだと言い、桐山は「だから後生大事に受け継ぐようなものじゃない」とこぼす。こんな古臭い技術を受け継いだところで、それで作った包丁や鉈など誰も買わない。どうして有田はわざわざこんな自分なんかの技術を覚える君に受け継がせようと思っているのだろうかと桐山は疑問に思う。ただ単に放っておくと失われる古い技術だからという理由なのだろうか。だとすればずいぶん物好きな話だと桐山は思う。

しかし、それに対して有田は「人間が技を磨き続けたからこその現在です」と言い「私たちはその営みを歴史として後世に伝えたいのです」と続ける。どうやら有田はただ単に技術を継承したいだけではないようです。人間が技術を磨き続けた営みそのもの、職人の技だけでなく経験そのものも記録したいみたいであり、そのために覚える君を桐山に弟子入りさせているみたいです。

なるほど、単に技術だけでなく、技術を磨き続けた職人の営みや経験を生で継承するのだというのなら、確かに博物館や大学などではなく自分のような職人のもとに来たというのは納得がいくと桐山は思った。ただ自分が具体的に何を教えればそれが継承されるのかは桐山にはよく分からなかった。自分に出来ることは鍛冶の手順を教えることぐらいであり、そんな「営み」とか「歴史」なんてものを教えることは出来ない。それでも桐山は有田の志には好感を持った。単に古い技術を保存しておこうという懐古趣味なのではなく、技術を進歩させてきた営みそのものを受け継ぎ後世に伝えたいという有田の志は、それを未来の技術革新に活かそうという前向きな姿勢が感じられたからです。だから桐山はとりあえず自分の出来る範囲での最大限の協力はしようと思い直し、有田たちが覚える君を置いて一旦引き上げた後、桐山は今度は懇切丁寧に覚える君に自分の持てる鍛冶の技術を教え込みます。そうして1週間が経ちました。

1週間が経って再び有田たちが桐山の鍛冶屋にやって来た時、覚える君の鍛冶の技術は格段に向上していました。「手仕事を覚えるという点に関してはどんな人間よりも上手くやる自信があります」と豪語していただけあって、覚える君の模倣能力は人間とは桁違いに素晴らしく、桐山の技術を完全に模倣出来ていたのです。そしてその結果、覚える君の作った包丁は桐山の作った包丁よりも優れたものになったのです。

桐山の技術を模倣したのなら全く同等のものが出来るのではないかと思われるかもしれないが、桐山の場合は人間ですから常にベストパフォーマンスが出来るわけではなくどうしてもムラがある。一方で産業ロボットである覚える君は常にベストパフォーマンスが出来るわけですから、同じ技術を持っていても出来上がった製品は覚える君の方が上質なものになるのです。

そうして、覚える君の作った製品が自分の作った製品よりも優っていると知って桐山は愕然とします。それを見て有田の助手は心配します。これで桐山が自信喪失して意気消沈したらあまりに気の毒であるし、最悪の場合はもうこの実験に協力してくれなくなるかもしれないとも思えたのです。しかし有田は桐山なら大丈夫だと言う。自分も覚える君もこれまでに同様の実験で数多くの職人を見てきて、その上で桐山を選んだのだから、きっと大丈夫のはずだと有田は言う。

果たして、翌朝、桐山はいつもより1時間早起きして鍛冶仕事を始めました。そして「うちの道具と材料でもっと良いものが作れる」と嬉しそうに笑う。そして「俺も親父と変わらん。まだまだ未熟者だ」と笑いながら楽しそうに鍛冶仕事に打ち込むのでした。桐山はいつの間にか自分の技術はもう頂点に達したと思い込んでいて、勝手に限界を決めてしまっていたのです。自分としては持てる技術や環境で最大限の仕事は出来ている。それでも工場で作る既製品に勝てないのは資本力や最先端の機械や技術との差によるものだから仕方ないことなんだと諦めてしまっていた。しかし覚える君が自分と同じ条件で自分よりも優れたものを作ったのを見て、桐山は自分もこの条件下でもっと良いものを作れる余地があることに気付かされたのです。まだ自分にも伸び代があると気付いたのです。

そうすると桐山の心は熱く燃えてきた。まだまだ未熟者の自分だからこそもっともっと技術を向上させたいという向上心が湧いてくる。そのことに気付いた桐山は、この自分の向上心を刺激してくれる存在として、覚える君を更に今後もこの鍛冶屋で預かりたいと有田に申し出て、有田はもちろん喜んでそれに応じます。何故なら有田が真に覚える君に記録してもらいたかった「人間が技を磨き続けた営み」とは、まさに今の桐山の姿そのものだったからです。つまり、不完全で未熟な存在だからこそ常に向上心を持ち続けるのが人間の最大の強みなのであり、それによって人間は常に技術を進歩させ続けてきた。それは最初から完全な存在として作られているロボットには真似が出来ない能力なのだといえる。いや、だからこそ有田はその人間の聖域をロボットにも理解させて継承させるという野心的な試みに挑戦しているのだといえる。そうして更に1ヶ月、桐山のもとで修業した覚える君を回収した有田は自分の研究の第一歩に確かな手応えを感じたのでした。

そして後半パートはまた別の産業ロボットが登場してきます。そのロボットは「パーマ君」という名前で、介護ロボットだそうです。正確には介護ロボットのAIを作るために「人生経験」というものを積ませるために各地の学校に転校生という形で派遣される学習用ロボットというところでしょうか。「人生経験」と言っているところを見ると、あるいはパーマ君の派遣先は学校だけに限らず、色んな職場なども含まれているのかもしれません。かなり大きなプロジェクトのようで、各地に派遣されている全てのパーマ君はネットワークで統括AIのようなもので管理されていて、各地のパーマ君の経験は一旦統括AIに集められた後、各地のパーマ君にフィードバックされてその経験は共有されているようだ。そして、そうした常時の情報の共有による更新の結果、各地のパーマ君のパーソナリティも変化していき、より完成形に近づいていく。最終的にはそうして各地のパーマ君を通して統括AIに集積されたデータが介護ロボットとしての「パーマ君」のプログラムとして活用されるのでしょう。

そうしたパーマ君のうちの1体が、とある小学校4年生のクラスに転校してくる。笹倉というヒューマノイドの少年をはじめクラスメイト達は、パーマ君が介護ロボットになるために皆と一緒に勉強するという簡単な説明は受けたが、あまりよく分かっておらず、とりあえずパーマ君と友達になろうと言って快く迎え入れます。しかし笹倉たちはパーマ君と一緒に学校生活を送ることになり、パーマ君が笹倉たちのよく知るロボットと全く違うことに驚くことになります。

笹倉たちの日常生活には人間やヒューマノイドの生活をサポートするロボットで溢れかえっていましたが、それらは完璧に仕事をこなすカッコいいものでした。産業ロボットというものは人間やヒューマノイドを満足させるためにプログラムされたことを完璧にこなす存在でなければいけないからです。ところがパーマ君は出来ないことがたくさんあり、変に出来ることもありましたが、それらも結構どうでもいいようなことが多く、ドジで間の抜けた言動も多く、笹倉たちから見て、こんなので本当にその「介護ロボット」なんてものになれるのだろうかと疑問に思うほどでした。でもまぁ笹倉たちは子供でしたから、そんな小難しいことはどうでもよくて、とりあえずパーマ君は面白いので一緒に遊んで楽しい。だからパーマ君が来て大喜びでした。

だが、しばらくするとパーマ君は物凄く勉強が出来るようになっていた。それは小学4年生で習うレベルを遥かに超えていたりしたので笹倉たちは一体パーマ君はどこでそんなものを習ったのだろうかと不思議に思い、そこで初めてパーマ君は実は他にもたくさん別の学校の色んな学年にいて、それらのパーマ君は全部繋がっているらしいということを知った。それでパーマ君は上の学年で習うようなことも知っているのかと納得した笹倉であったが、何かパーマ君に自分たちの理解を超えた得体の知れない気持ち悪さも感じてしまった。

そんな中、パーマ君がカッターナイフを見て怖がる様子を見せ、以前はそんなことはなくてカッターナイフで切り絵を作って楽しく遊んでいたのにどうしたのだろうかと笹倉たちは不審に思う。もしかしてクラスの誰かがパーマ君を虐めたのではないかと級友たちは言うが、笹倉のクラスにパーマ君を虐めるようなヤツがいるわけがないとも言う。それで笹倉は、もしかしたら別の学校の別のパーマ君が誰かにカッターナイフで虐められたのではないかと想像する。

笹倉がそんなことを思いついたのは、それが十分にあり得ることだと思えたからです。それはつまり、笹倉たちもパーマ君を虐めたであろう連中の気持ちも理解出来るということを意味する。笹倉たちだって、実行には移していなかったが、パーマ君を虐めていたかもしれないぐらいにはパーマ君に対して以前とは違って距離感を覚えていたのです。もともとロボットとしては不自然なほど出来が悪くて、そのくせ急に勉強だけ出来るようになったり、急に落ち込んで暗くなったり、実は他に何人もパーマ君がいるかもしれないとか不気味なイメージもつきまとい、笹倉たちも何となくパーマ君に対してフラストレーションが溜まっていた。つまりパーマ君はどうも不器用で他人と上手くやれていないのです。だから他の学校でも同じようにパーマ君に対してイライラしてイジメに走った奴らがいたとしても、それは十分にあり得ることだと笹倉たちには思えたのでした。

問題はそれに対して笹倉たちがどう対応するのかでした。そうしたイジメに同調するという道もある。自分たちも他人と上手くやれないパーマ君を嫌って同調してイジメに加担するという道もあるのです。しかし笹倉たちはその道は選ばなかった。確かに笹倉たちもパーマ君を嫌だと思う気持ちはある。でも、そういう気持ちを持つことは決して正しいことではないと分かっている。正しくない気持ちを持ってしまう自分たちも不完全な存在なのであり、そんな自分たちがパーマ君を不完全なロボットだからといってイジメる資格など無い。むしろ自分たちと同じ不完全な存在であるパーマ君を気遣ってあげるべきなのだ。そう気付いた笹倉たちはパーマ君を誘って校庭でパーマ君の大好きな大縄跳びをしてパーマ君を元気づけようとする。

これにはパーマ君も大喜びで大縄跳びを跳びまくりますが、すっかり大縄跳びが上手になっていたパーマ君は夢中で跳び続け、いつまでも失敗しそうにない。おかげで縄を回す笹倉たちはクタクタになってしまうのだが、それでもパーマ君がこんなに喜んでいるのだからと思うと止めるわけにもいかない。それで笹倉たちが限界に達しそうになると、パーマ君が失敗して縄を踏んでしまい大縄跳びは一旦止まり、次はパーマ君が縄を回す役をすると言う。そうしたパーマ君の様子を見て、笹倉たちは何となくパーマ君が自分たちを気遣ってわざと失敗したのだろうと察するのでした。

その後、パーマ君が半年の一緒にいられる期間が終わり、もうすぐ居なくなると聞いた笹倉がパーマ君と話をすると、パーマ君はその縄跳びの日のことを採り上げ「私が経験した全ての半年の中で一番素敵な時間でした」と言う。そして「私のことを本気で友達にしてくれてありがとうございました」と笹倉に感謝の言葉を贈った。そうして2人は共にずっと友達同士だと誓い合い、そして別れの日がやってきて、パーマ君は学校を去っていきました。

そうしてパーマ君を見送った笹倉は、この半年の間にとても大事なことを学ばせてもらったと感じた。それは、上手くやれていない人を気遣ってあげる優しさでした。完璧なものや優秀なものに憧れたり認めたりすることは簡単です。また、不器用で上手くやれていない者をバカにしたりからかったりイジメたりすることも簡単です。でも不器用で上手くやれていない者、カッコ悪い者を気遣って優しく接することは難しい。でもそれが必要なことなのだということ、そして自分たちにはそれが出来るのだということを学ばせてもらった。それは自分たちの人生でとても貴重な経験だったのだと笹倉は思った。

そして、それは実はパーマ君にとっても非常に重要なことだったのです。パーマ君自身が笹倉たちが弱っていた自分を気遣ってくれた経験を、他の全てのパーマ君の経験した出来事の中でも「一番素敵な時間」だったと言っていました。どうしてそれが一番素敵で一番重要だったのかというと、それが「介護ロボット」にとって最重要な経験だったからです。

「介護」というのは基本的に万全ではない状態の人を相手にする作業ですから、「不器用で上手くやれない相手を気遣う」ということが出来ないといけない。だがロボットは基本的に完璧に作業をするために作られますので「上手くやれない」ということがまず理解出来ない。だから「上手くやれない相手を気遣う」というのも出来ない。だから、それが出来る者から直接学ぶしかない。それが出来る者とは「人間」です。何故なら人間は不完全な存在だからです。人間は不完全な存在だからこそ、上手くやれない相手を気遣うことが出来る。笹倉たちは不完全な人間(およびヒューマノイド)だったからこそ、上手くやれないパーマ君を気遣うことが出来た。そして、その笹倉たちの行動に学んだパーマ君も笹倉たちの不器用な頑張りに気遣いを返したのです。この瞬間、介護ロボットとしてパーマ君は最重要なスキルを獲得したのであり、だからこれが彼にとって「一番素敵な時間」となったのです。パーマ君を様々な人間集団の中で生活させるというプロジェクトはそうした貴重な経験を得させることが目的だったのでしょう。そうして介護ロボットとして完成したパーマ君はこれから多くの人々を救っていくことになるのでしょう。

 

 

デキる猫は今日も憂鬱

第6話を観ました。

今回は冬になったのでコタツを買いたいと言う幸来だが、1年前にコタツでビールをこぼしてボヤ騒動を起こした前科があるので諭吉が許可してくれない。だが諭吉もあまりに幸来が必死なので買わないまでも、買い物で溜まったサービス券を使ってスーパーの福引でコタツを当てようと頑張ったりする。それでも結局ダメで家に帰ると幸来がいないのでコタツが無いのを苦にして自殺したのではないかと心配しますが、幸来はスーパーで知らないお婆さんに余ったサービス券をもらって福引でコタツを当てていた。諭吉に比べてやたら強運ですね。それで諭吉も部屋にコタツを置くのを許可して幸来にビールを出します。

後半パートは幸来の実家の母親から諭吉の写真を送るようにと言ってくるという話。幸来の母親は諭吉が巨大化したことを知らないので、幸来はなんとか誤魔化そうとするのだが、母親はしつこく送ってくるように言ってきて、送ってこなければ幸来の家に見に来ると言い出す。諭吉に猫っぽくするようにと言っても、諭吉はなかなか猫っぽくしてくれない。上から撮っても下から撮っても諭吉の巨大さは誤魔化せなくて、諭吉の毛をブラッシングして出来た毛玉を猫型にして撮ったりするが誤魔化せず、諭吉のアイディアで遠近法を使ってなんとかする。最後に実家の母親から砥石が送られてきて諭吉が大喜びします。