2023冬アニメ 3月9日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2023年冬アニメのうち、3月8日深夜に録画して3月9日に視聴した作品は以下の4タイトルでした。

 

 

もういっぽん!

第9話を観ました。

いや、今回も素晴らしかったです。泣かせる感動場面がたくさんあって、とにかく構成に隙が無くて、よくこれだけの要素を短い尺に盛り込めるものだと感心します。主人公の未知の活躍もたっぷりだったし、柔道の描写も見事で、登場キャラがみんな良い人ばかりで爽やかで、変にベタベタに泣かせるような話じゃなくて、ホントに爽やかな青春だなぁという感じで自然に観ていて心が震えるという感じで、文句無しの神回だったんじゃないでしょうか。「柔よく剛を制す」という柔道の真髄がサブタイトルになったエピソードでしたが、まさにその言葉の意味で全編が貫かれていた見事な構成で、これほど柔道というスポーツの魅力を見事に描いたお話は見たことがないというほどの完璧なエピソ-ドであったと思います。相変わらずここまでの伏線の回収も巧みで、主人公の未知の物語として完成度も高かったし、もう褒めるところしかない。作品のテーマの魅力を完璧に表現し切った神回としては、ちょっと「かげきしょうじょ!!」の第8話を想起させられました。

どうせここから金鷲旗編は神回連発なんだろうから、今回あたりは出来るだけ辛目の採点をしておきたいんですが、ここまでの内容を見せられてはなかなか辛目というのも難しい。かなり凄い神回だったとは思いますが、それでも「進撃」とか「不滅」の最新話の神回と比べると感動の度合いでは僅差で劣るのかなとは思います。ただ、「進撃」や「不滅」はこれまでの積み重ねがあっての感動であって、今回の「もういっぽん」の場合は博多南とかいうポッと出のキャラでさえ、あそこまで感動させたという点はやはり高く評価しないといけないと思います。今期は印象は地味でも割と上位は強い作品が揃ってると思うんですが、それでも最も地味なこの作品がそれらの強い作品の中でどうも頭1つ抜けてきてしまってる印象なんですよね。今回でそう確信させられてしまったかもしれません。

まず冒頭は前回からの続きで未知が博多南の大柄な強い選手である湊との試合をしている場面から始まりますが、未知は身長の高い湊に奥襟を押さえられてなかなか動けない状況となる。ここで未知の耳に聞き馴れた気合の入った雄叫びが聞こえてくる。それはさっき一緒に1回戦前の気合を入れた同じ埼玉県勢の霞ヶ丘の先鋒である妹尾の声でした。青葉西とほぼ同時に少し離れた試合場で試合開始した霞ヶ丘の1回戦でも先鋒の妹尾が未知と同じように身体の大きな選手と試合をしていて、その声が未知の耳に入ってきます。その声に釣られて一瞬その妹尾の姿を見た未知は、こういう湊のような大きな選手に奥襟を持たれている状況で繰り出す技を妹尾から教えてもらい練習を繰り返してきたことを思い出す。

それはあの第7話の霞ヶ丘との合同練習の時に未知が妹尾に教えてほしいと食い下がった技であり、結局居残り練習の中で妹尾が1回だけ教えてくれたようです。その妹尾の教えを頭の中で反復しながら、身体に覚え込ませたその技、懐に潜り込んでの低い態勢からの一本背負いを未知は湊に決めて豪快に投げ飛ばす。同時に別の試合場では妹尾が同じように大きい相手にその本家技を決めて投げ飛ばすのだが、未知と妹尾を画面分割で同時に見せて、2人が別々の試合場で同時に豪快に一本を決めるのを見せる演出はカッコいい。

そして湊を投げ飛ばして畳の上に叩きつけた瞬間、未知の脳裏に子供の頃に兄に言われた言葉が去来します。未知が柔道をやっていた兄から「お前もやってみるか?柔道」と誘われた時、兄が「気持ちいいぞ!」と言った言葉を信じて柔道を始めて、最初は何が楽しいのか分からず苦しいことだけだったが、大きくて強い相手を投げ飛ばして一本を取ったら気持ちいいと言う兄の言葉通り、最初の試合の時に大きくて強い相手を投げ飛ばして一本を取って気持ち良くて、それ以来柔道に夢中になった。でも結局あんまり強くなれなくて、最初の試合の時みたいに気持ちいい一本も取れなくなってきて中学で柔道は辞めてしまったけど、青葉西高校に入って再び柔道を始めて、ようやく金鷲旗大会という大舞台で綺麗な一本勝ちを決めることが出来た。しかもちょうど今朝、夢で見た最初の試合の時と同じような大きくて強い相手であった湊からの一本勝ちであったので、「柔道を始めて良かった」と思えたような最初の試合の時と同じような高揚感が湧き上がってきて、未知は跳び上がって全身で喜びを表現する。

あんまり喜びすぎて審判に注意されてしまって謝った未知だが、それでも満面の笑顔のままで、一方で敗れた湊も悔しがりつつも笑顔で未知の投げを称えてくれる。互いに礼をした後、未知の勝利を喜ぶ仲間たちのもとに未知は駆け戻っていくが、皆に試合場に戻るよう注意される。金鷲旗大会はインターハイ予選とは違い勝ち抜き戦だから、勝った選手はそのまま居残って次の相手と戦うのです。中学柔道では金鷲旗大会のような勝ち抜き戦は無く、未知も勝ち抜き戦は初めてなので、ついつい高校柔道での初勝利、初の一本勝ちの喜びに浮かれてうっかりそのルールを忘れてしまっていました。だが、もう1試合出来ると思うと改めて闘志が湧いてくる。いつもだったら1試合しか出来ないのに2試合も3試合も出来るのなら、さっきみたいな気持ちいい一本が2本、3本と取れるかもしれない。そうなったら最高だと未知には思えた。

一方、湊が敗れて1敗してしまった博多南の3人は、これで後は2人しかいない。負けたことを謝る湊にキャプテンの梅原は仕方ないと言って元気づけ、次鋒の野木坂に「いつも通り、落ち着いて」と声をかけようとするが、そこに応援席からの博多南OBの人達からの応援の声が飛び込んでくる。「絶対取り返せ!博南!」という声援を送り「博南!博南!」と盛んにコールを送るOBの人たちはかなり人数が多い。博多南は元は柔道の強豪校だが近年は柔道部は廃れてしまい5年前に廃部となり、今年になって新入生の梅原たち3人が入部して復活させた。青葉西と似た感じの経緯なのだが、青葉西と違って昔は全国大会で上位にも名を連ねた強豪校だったので柔道に熱心なOBの人達が多くて、母校の柔道部が廃部になって寂しい想いをしていた人が多かった。その柔道部が5年ぶりに復活して全国大会である金鷲旗大会にも出場すると聞いて、多くのOB達が喜んで応援に来てくれているのだ。だから彼らは強豪校だった昔の頃のノリそのままで「博南!博南!」と派手に応援しているのだが、これが梅原たちには重圧となっていた。

梅原と湊と野木坂の3人は博多南が昔は柔道の強豪校だったなどということは知らず、単に進学した高校で、中学から始めて続けていた柔道を続けようと思って3人で新たに柔道部を立ち上げただけというつもりだった。だから単に自分達の柔道を楽しみたいと思っていたのだが、実は昔は強豪校だったということを知り、金鷲旗大会に出場しようと決めたら、OBの人達が大挙して応援に来るらしいと聞いて戸惑っていた。OBの人達が善意で応援して期待してくれていることは分かっていたが、かつての強豪校だった頃のような成績を期待されても、自分達がそれに見合った実力は無いということは分かっているだけに、昔のノリで強豪校のような応援をされても梅原たちには重圧となってしまっていた。

本当は落ち着いて自分達の柔道を楽しもうと思って出場を決めた金鷲旗大会だった。だが、これだけ多くの人に期待されたら応えなければいけないと焦った梅原は、本当は野木坂に「いつも通り、落ち着いて」とアドバイスしようとしていたのに、ついつい応援団の調子に呑まれて「博南!ファイト!」と普段はやらないような気合を入れて「取り返そう!」と野木坂にプレッシャーを与えてしまう。

そうして未知と野木坂の試合が始まるが、格上の湊に一本勝ちした未知の勢いを警戒して野木坂は慎重姿勢で先に仕掛けてこない。だが、それが逆に未知に攻め時を与え、未知は先制攻撃で大外刈りを仕掛ける。野木坂はこれを何とか凌ぐが、このままでは劣勢だと焦った野木坂は何とかして取り返さなければいけないと思い、再び大外刈りを仕掛けてきた未知に対して返し技を仕掛けようとします。実は野木坂は早苗のような寝技主体の選手で、公式戦のデータが少なかったので青葉西の情報係の南雲も野木坂のことはよく調べられていなかったのでそのことは知らなかった。だからいつも通りに粘り強い柔道で寝技に引き込めば体格に劣り連戦の疲労もある未知を倒すことも出来たかもしれないのだが、OB達や梅原からプレッシャーをかけられて、つい慣れない派手な投げ技で決めようとしてしまったのが失敗でした。

未知の大外刈りはフェイントで、そのため野木坂の返し技は不発となり、体勢が崩れたところに未知の支え吊り込み足で野木坂は投げ飛ばされて一本負けしてしまった。この未知の技は、インターハイ予選の霞ヶ丘との試合で未知が白石に負けた際にやられた技であり、その後で未知はこの技を練習して、第7話の姫野先輩加入時に、姫野先輩の目の前で未知がこの技を豪快に決めた時が未知にとってこの技をモノにした時であり、それ以降更に練習を重ねて、今やこの技は未知の得意技となっていた。

こうして未知はなんと2人抜きを達成し、博多南は残るは梅原1人となってしまう。野木坂は悔いの残る敗戦となってしまう項垂れるが、梅原はOBの大応援団の重圧を1人で背負う羽目となってしまい、野木坂を元気づける余裕も無くなってしまった。OBの声援を気にしてひたすら自分にプレッシャーをかける梅原の姿を見て、顧問の先生も「OBもプレッシャーをかけたいわけじゃないのだからそんなに気にしないように」と言うが、OB達が一斉に校歌まで合唱し始めると、梅原には嫌でも重圧がかかってしまい、梅原はこんなはずじゃなかったのにと思いつつ、柔道部を3人で立ちあげた日のことを想い出します。

中学で一緒に柔道をやっていた仲良しの湊と野木坂と一緒に「高校でも柔道をやろう」と言って、一緒に入学した博多南高校にたまたま柔道部が無かったので「3人いれば部活動として認められる」というから3人で入部届を提出し、顧問の先生は柔道未経験の素人の先生で、とにかく3人で楽しく柔道が出来ればいいと思っていた。だが入部届が受理された際に顧問の先生が昔はこの学校は柔道の伝統校で強豪だったという話をして、梅原は45代目のキャプテンになったと言われて、ちょっと思っていたのと違うと思って戸惑った。でも湊が高校でも柔道が出来るのを楽しみにしている姿を見ていると、梅原もやっぱり自分達は過去には惑わされず楽しく自分たちの柔道をしようと思えたのでした。

そういう気持ちで今日まで柔道をやってきて、こうして金鷲旗大会に臨んだのに、OBの人達の大声援を聞くと自分達の柔道を見失ってしまった。なんて情けないのだと思ったが、こうして校歌の大合唱を聞いていると梅原は自分達のためではなく学校の伝統のために柔道をしなければいけないと重圧を感じてしまい、どうやったら平常心を取り戻すことが出来るか分からなくなってしまった。そうして遂に梅原は校歌が聞こえないように耳を塞いで、応援団を見ないように目を閉じてしまう。顧問の先生も梅原が過度の応援の重圧に苦しんでいるのを見かねて応援団を制止すべきかと思うが、応援団のOB達の圧が凄くて、柔道素人の先生はどうしても気後れしてしまい、応援団を制止するのを躊躇してしまう。

すると、梅原の前に野木坂が進み出て、口元に指を1本立てて、応援席に向かって「しー!!」と大きな声で注意し、黙るように促す。野木坂は口数も少なく大人しくて引っ込み思案な性格であり、体育会系丸出しのオッサン達の集団であるOB達にこういう態度に出るのはさぞかし勇気が要ったことだろうと思うが、大事な友達の梅原の様子を見かねての行動でした。自分が重圧に負けて悔いの残る負け方をしてしまった野木坂は、自分の悔しさに沈むことよりも、友達の梅原が同じような悔しい想いをしないよう行動する方を選んだのでした。

この野木坂の行動に驚いてOB達は校歌を歌うのを止めて一瞬静かになり、そこに野木坂は「うちらの試合ば」と言うと、梅原の方に振り向き「良かよ、いつも通りなっちゃんがバリ楽しめば」と笑顔で言う。さっき梅原は野木坂に対してその言葉をかけてあげることが出来ず、逆に余計なプレッシャーをかけてしまった。その結果悔いの残る負け方をしてしまった野木坂が梅原を恨むことなく、梅原に「いつも通り楽しめばいい」と言ってくれたのです。その心意気を受け取って梅原も遂に平常心を取り戻し勝負に集中することが出来るようになり「全員、倒してくる!」と野木坂と湊に誓う。そして対戦相手である未知も「もう一丁!」と気合十分で、3人抜きで勝負を決しようと張り切る。

そうして未知と梅原の試合が始まり、勢いに乗る未知は3試合目だというのに梅原を押しまくり、お互いにノーポイントではあるものの完全に未知が優勢で試合は終盤に突入します。ただ、未知と梅原の差は単に勢いだけの差ではない。体格は同じぐらいでありながら未知の方が梅原よりもパワーもスピードも勝っているのは、やはり未知が青葉西に入ってから強くなっているからです。永遠という強い練習相手を得て、夏目先生の指導も受けて、更に白石や妹尾のような他校のライバル達の技も研究して、確かに未知は強くなっていた。だが、梅原だって顧問の先生は確かに素人だが、夏目先生だって教師になってから柔道を始めたのだからそう大差は無い。そして未知に永遠という強い練習相手がいるように、梅原にだって湊という強い練習相手が中学時代からずっといる。だから未知と梅原の差はもっと根本的なところにあるといえます。

そうこうしているうちにも未知の猛攻は続き、梅原はそれを凌ぎきるのに精一杯となり、遂に未知の押さえ込みが決まってしまい、懸命に押さえ込む未知と、懸命に逃れようとする梅原の我慢比べとなる。その2人に対して青葉西チームからは「未知!未知!」と声援が送られ、博多南チームからも「なっちゃん!なっちゃん!」と声援が飛ぶ。だが梅原はどうしても逃れられないと思い力尽きようとしていた、その矢先に応援席から博多南のOB達が「なっちゃん!」と声援を送り始め、未知の寝技からの脱出法をアドバイスし始める。そして、これを実行して何とか梅原は寝技からの脱出に成功し、それでも未知は17秒間押さえ込んでいたので終盤に来て「技あり」のポイントを獲得します。

いよいよ劣勢となった博多南であるが、ここから応援のOB達は「博多南」や「博南」ではなく「なっちゃん」と声援を送るようになり「なっちゃん」コールの大合唱となり、これには野木坂も「きっつぅ~」とこぼすが、梅原は嬉しくなる。OB達はさっき野木坂に「うちらの試合ば」と一喝されたことで、自分達が母校愛が強すぎるために学校の応援に傾き過ぎて、試合をしている彼女たちの柔道を応援していなかったことを反省していた。それで「博多南」を応援することは自粛して、あくまで試合をしている選手である「なっちゃん」を応援することに徹しているのです。それが梅原には、自分達が楽しんで柔道をしていることをOBの皆が認めて応援してくれているように思えて、嬉しく心強く思えたのでした。

だが、会場に響く「なっちゃん」コールの大合唱の中でも未知は全くひるむ様子も無く、目をキラキラさせている。その様子を見て梅原は脅威を感じるのだが、博多南の顧問の先生は未知を見て「すごいな、勢いに満ち溢れている」と呟くと「柔よく剛を制す」だと梅原に向かって助言する。その言葉を聞き、梅原は顧問の先生が以前にもその言葉について話していたことを想い出し、更に自分の中学時代、柔道との出会いの時のことを想い出す。

梅原は中学に入学した時、部活見学で見た柔道場に掲げてあった横断幕に書かれた「柔よく剛を制す」という文字に惹かれて柔道部に入った。それは「身体の小さい力の弱い者でも身体の大きな力の強い者に勝つことが出来る」という意味だと言われていた言葉だった。梅原は身体が小さくて非力なことがコンプレックスで、柔道をやればそんな自分でも本当に大きくて強い相手を制することが出来るのかなと期待して柔道を始めたのです。

その時、一緒に入部した同じ1年生が湊幸であり、湊は身体が大きくて力も強かった。柔道をやっていればそんな湊にも自分は勝てるようになるのかと梅原は期待していたが、湊は柔道も強くなり、梅原はいつも湊に負けてばかりだった。それで梅原は「柔よく剛を制す」なんて嘘だと思い、もう柔道は辞めようと思ったが、湊が自分と柔道をやるのを楽しそうにしているのを見ていると、やっぱり湊と一緒なら柔道をやってもいいと思えて、それで梅原は柔道を辞めずに続けていた。つまり梅原は湊のことが好きで、湊が一緒にやろうと言うから柔道をやっていたのであり、柔道自体がそんなに好きというわけではなかった。それで湊に誘われるまま高校に入っても柔道を続けていたのです。

だが、それでも梅原の心の奥底には、それでも柔道をやっている限りは、いつか自分よりも大きくて強い湊を投げ飛ばしてみたいという想いがあった。いや本当は梅原は自分が信じた「柔よく剛を制す」という言葉が嘘ではないと信じたくて、それを証明するために湊を投げ飛ばしたいとずっと思っていたのです。梅原が湊と一緒に柔道を続けている理由は、単に湊のことが好きだからなのではなく、いつか湊を投げ飛ばして「柔よく剛を制す」というのが本当であり、自分みたいな小さくて弱い者でも大きくて強い者に勝てるのだということを証明したかったからなのでした。

だが梅原はそういう想いをあまり表現することはなく、表面上はあくまで後ろ向きで「柔よく剛を制す」なんてそう簡単なことではないとネガティブなことをよく言っていました。だが博多南柔道部を発足させて練習を開始すると、顧問の先生が柔道について知るために柔道の教本を読みながら「柔よく剛を制す」という言葉の意味を考察し始めた。先生の言うには、柔道は基本的に個人戦は体重別で試合が行われるので「身体の小さい者が身体の大きい者を投げ飛ばす」というシチュエーション自体があまり無いので、「柔よく剛を制す」というのはそういう意味だけの言葉ではないはずだと言う。

そこで先生が思いついたのが「剛」というのは剛速球のように「勢いや力が物凄い状態」を指し、「柔」というのは、そうした相手の「勢いや力を受け流す柔軟性」のようなものではないかという考えでした。つまり「柔よく剛を制す」というのは「相手の力や勢いを利用して勝つ」ということではないかと先生は考えた。つまり「相手の勢いが凄いほど投げやすい」のではないか。そのようなことを自分が言っていたことを顧問の先生は思い出した。未知の勢いがあまりに凄いのを見て、顧問の先生はかつて自分が素人考えでした話が役に立つのではないかと思いついたのです。「柔よく剛を制す」が「相手の勢いを利用して勝つ」という意味だとしたら、相手の未知が凄い勢いで攻めてくる今こそが梅原にとって最大のチャンスなのではないかと。そのことに梅原も気付いた。実際、この先生の解釈は正しい。これこそ「柔」の本質といえる。技に入る前の「崩し」なども相手の力を利用して相手のバランスを崩すテクニックなのであり、力任せに行うものではない。そのように相手の力を利用して勝つ武道だからこそ、柔道では小さい者が大きい者を投げることも可能になる。だからそのように小さい者が大きい者を投げることが「柔よく剛を制す」の意味だと誤解されることが多いが、その本質は「相手の力を利用して勝つ」という「柔」の本質なのです。

そのことに気付いた梅原は、勢いに乗って未知がかけてきた内股を透かして未知を逆に投げ飛ばした。まさに未知の勢いを利用して投げ飛ばしたのです。未知はこれを何とか背中から落ちて一本を取られることは回避したが、梅原は「技あり」を取り返し、これでポイントは同点に並びました。これで梅原は初めて「柔よく剛を制す」を実感することが出来て、柔道で強い相手の勢いを利用して強い相手を投げ飛ばすことの気持ち良さを知った。それでもう一度その気持ち良さを味わいたいと思い、更に未知に挑んでいく。これが梅原のこれまでに無い鋭い攻めとなり、その勢いは未知を上回った。だが、それこそ未知の待ち望んでいたことであり、未知はその梅原の勢いを利用して、梅原の伸ばした左手をかわすと、その袖を掴み、更に右襟を掴むと、突進してきた梅原の勢いをそのまま利用する形で背負い投げの体勢に入り、豪快に投げ飛ばして一本勝ちを決めたのでした。

こうして1回戦は未知の3人抜きで青葉西が博多南に勝利して2回戦に進出を決めたのだが、敗れた博多南の梅原は「柔道を続けていて良かった」と嬉し涙を流す。ずっと「柔よく剛を制す」など嘘だと言って、自分は強くなることはないと諦めていたが、それでも辞めずに続けていたからこうして柔道の本当の気持ち良さ、素晴らしさを知ることが出来た。柔道のことが好きになれた。自分のことも好きになれた。だから梅原は柔道を続けていて本当に良かったと思えたのでした。

一方、勝利した未知も同じように「柔道を続けていて良かった」と嬉し涙を流す。ただ、これは梅原とは少し違う感慨です。未知は梅原とは違い、柔道を始めた時からずっと大きくて強い相手を投げ飛ばす気持ち良さを知っていた。梅原がずっと湊を投げ飛ばすことが出来ず「柔よく剛を制す」は嘘だと思っていたのとは違い、未知は最初の試合で大きくて強い相手を投げ飛ばして柔道の魅力に憑りつかれてしまっていた。だからずっと「柔よく剛を制す」の精神を強く信じ続けてきた。ただその後未知は伸び悩んでしまい一旦諦めてしまい中学で柔道を辞めてしまった。だが、やはり柔道の気持ち良さを忘れられず高校で柔道を再開して強くなった。強くなれたのは永遠という練習相手や夏目先生の指導などに恵まれたという中学時よりも恵まれた環境への変化という要因もあったが、未知が一貫して「柔よく剛を制す」の精神を確信していて、大きくて強い相手を投げ飛ばして一本取る気持ち良さを強く求め続けていたことが未知が強くなれた最大の理由といえます。ここが梅原との大きな差であったといえます。

ただ、未知はそうした自分の柔道の成果を確かめる機会にまだ巡り合っていなかった。インターハイ予選では空回ってしまったり、白石に逆転負けしてしまったりしていたし、合同練習などで妹尾や天音などと組手をしても、それは満足のいくものではなかった。やはり大きな舞台で強い相手と本気でやり合って勝たなければ柔道の本当の気持ち良さは味わえないのです。そして、その機会がようやく巡ってきたのが今回の金鷲旗大会の1回戦、全国大会という文句無しの大舞台で、博多南の先鋒の身体が大きくて強い湊を豪快に投げ飛ばし一本勝ち、次鋒の野木坂にも一本勝ち、そして中堅の梅原の鋭い攻めを相手の勢いを利用して豪快に投げるのは、もともと大きくて強い相手のものすごい力を利用して投げることを身上としていた未知にとっては得意分野といえるものであり、この「柔」の勝負でも決して未知は梅原に後れを取るわけもなく、豪快に一本勝ちとなった。これによって未知は自分の子供の頃の最初の試合からずっと信じて続けてきた「柔よく剛を制す」の柔道が間違っていなかったと確信することが出来た。それが嬉しくて涙が溢れたのです。つまり未知の言った「柔道を続けていて良かった」というのは梅原のような単に「柔道を辞めなくて良かった」という意味とは違い、「自分の信じる柔道を諦めず続けていて良かった」という意味なのです。あんまり強くなれず諦めそうになった時期もあったけど、それでも気持ちいい一本を取る柔道を貫いていて本当に良かった。そういう感慨でいっぱいになって未知は涙を流したのでした。

そして試合後、未知の頑張りに早苗も勇気を貰い、自分も未知みたいにやれるんじゃないかと午後からの2回戦に向けて自信を持つ。昼食時には未知はソフトクリームを余分に1本買って妹尾にプレゼントします。湊から取った一本は妹尾のお陰なのでそのお礼というわけです。それで青葉西は霞ヶ丘と一緒に昼食をとることになり、妹尾が1回戦え5人抜きしたことで敢闘賞の盾を貰ったことを知って早苗も2回戦は自分も頑張ろうと更に気合を入れます。そして永遠と天音も決勝で戦おうと誓い合う。姫野と白石の3年生同士のライバルも闘志を燃やします。そして南雲が2回戦の相手の情報もしっかり収集しており、そのために夜遅くまで起きて資料を作ったりしていたのを知っている姫野は、南雲の心意気に応えようと更に闘志を高めます。未知も2回戦でも大活躍してやろうと張り切り、青葉西の5人が2回戦に向けて盛り上がったところで今回は終わり、次回に続きます。次回以降、更に金鷲旗編が盛り上がってくるのは必至で、神回の連続のまま最終話を終えそうな期待大ですね。

 

 

トモちゃんは女の子!

第10話を観ました。

今回は校内マラソン大会の話と、中学時代の回想話でした。マラソン大会の話はドタバタ展開になるかと思わせて最後は綺麗にまとめてくれて、中学時代の話はこれまで謎だった、現在のトモと淳一郎の奇妙な関係が始まった原点の部分が描かれていて、これでこの物語の全貌がほぼ明らかとなり、この後、残り3話でいよいよ2人の関係に決着がつくための前フリにもなっていましたので、非常に重要なエピソードであったと思います。相変わらず面白くて、内容も興味深くて、とても良かったです。

まずマラソン大会は、トモと淳一郎が競い合って2人でトップを独走し、トモも淳一郎も久しぶりに互いを相手と全力で競い合えるのを嬉しく思います。淳一郎は「空手のルールの中の戦いではまだ自分はトモには勝てない」と言っていましたが、実際はもう空手では淳一郎はトモ相手に全力で戦えなくなっており、それで負けていただけでした。そのことはトモは気付いていましたが淳一郎は無自覚というか、気付かないようにしていたといえます。「トモに勝って子供の頃の約束を果たしたい」と思っていた淳一郎でしたが、もう全力で勝負出来る機会そのものが失われようとしている。そういう嫌な現実に最近は淳一郎も気付くようになっており、どうにも寂しい気持ちであったのですが、マラソンならばまだ淳一郎が全力を出してもトモには勝てない数少なくなってきた体力勝負の1つであり、走りながら淳一郎はトモに負けそうな悔しさと共に嬉しさも感じていた。

実際は男子と女子は走る距離が違っていて、男子のコースの途中で女子の折り返し点があって、そのことに気付いた淳一郎はやはりトモと勝負する機会はもう無いのかと寂しく思うが、トモは折り返し点を無視して直進して淳一郎との勝負を継続してくれる。だが突然トモが熱を出して倒れて、淳一郎はトモを背負って走り1位でゴールし、勝負は台無しになってしまったが、淳一郎はトモの苦しい時に助けてやれるだけの存在となったことをトモに認められることになった。

それでトモは子供の頃に淳一郎から借りっぱなしになっていたゲーム機を淳一郎に返す。もともとこのゲーム機は2人が何か勝負して勝った方が手に入れるというような経緯でトモの手に渡っていたものではない。トモが淳一郎が困っている時に助けてやった結果、このままでは自分はトモの対等な友人とはいえないと思った淳一郎が、自分がトモのために同じことをしてやれるぐらい強くなるまでの貸しとしてトモの手に渡っていたものです。だから淳一郎が今回トモの苦境を助けてくれたことにより、借りは返した形となり、2人は対等な友人となった。その証としてトモはゲーム機を返したのです。

勝負に勝ったわけでもないのにゲーム機を返してもらうことに抵抗を覚える淳一郎であったが、トモはお互い自分の得意分野では相手に負けるつもりはないのが対等な友人というものだと言い「自分と対等な友人では嫌なのか?」と淳一郎に問う。そう言われて淳一郎は確かにこのゲーム機はトモと対等な友人になりたいという気持ちでトモに貸したままにしていたものだったということに気付き、トモにこうして対等な友人として認められたことで心から嬉しく思っている自分にも気付いた。そして、自分がとっくにそうした目的は達成出来ていたことにも気付いた。そう考えると、そもそもトモとの勝負にずっとこだわってきたこと自体があまり意味の無い事だったということにも淳一郎は気付く。

それで、どうして淳一郎がやたらトモとの勝負にこだわるようになってしまったのかの原因が描かれたのが後半パートの中学時代の回想話になります。実はトモと淳一郎は小学校は別々だったので個人的に遊んだり道場で稽古する時しか接点が無く、やはり淳一郎はその頃はトモが男だと思い込んでいたようです。それで以前の小学校時代の回想話の時に淳一郎がトモにときめいてしまって「おかしいだろ」と1人で困惑していたのですね。男が男にときめくのは変だと思ったのでしょう。だが実際はトモは女の子だったわけで淳一郎は至って正常だったわけで、むしろ実は子供の頃から異性としてのトモに惹かれていたのです。淳一郎がトモが女だと気付かなかったというのも、実際は2人の現状の男同士の友情が壊れるのを無意識に恐れていたせいであったのかもしれません。

ただ2人は同じ中学に入学し、しかも制服ですからセーラー服で登校してきたトモを見て、遂に淳一郎はトモが女であることを知り、それを無意識に否定する余地も無くなってしまった。トモの方は最初から自分が女であることを隠す気など無く、単にワンパクで男っぽい行動が多かっただけだったので、とっくに淳一郎は自分が女だと知っているものだと思っていましたので、淳一郎に男だと思われていたことを知りちょっとショックを受けます。ただ、この中学入学時には現在のように淳一郎に対して恋心は抱いていないので、ただ単に男だと思われていたことがショックだっただけで、自分が女だろうが何だろうが淳一郎との友情は変わらないと単純に思っていました。

だが淳一郎の方は自分がトモと仲が良いことを知ったクラスメイト達が自分とトモが付き合っていると思い込んでいることを知り、周囲の目を気にしてトモに話しかけにくくなってしまう。一方、トモも淳一郎と付き合っているのかをクラスメイトに質問されて、淳一郎はそもそもこれまで自分のことを男だと思っていたぐらいだから自分を恋愛対象として見ているわけがないと思い「あいつとはそういうのは有り得ない」と答える。ところがその会話をたまたま淳一郎が聞いていて「トモは自分を恋愛対象として見ていない」と解釈し、自分と喋ったりしたら周囲が勘違いしてトモが迷惑に思うかもしれないと気を遣い、トモとついつい距離を置いてしまい、上手く接することが出来ず、そういうことが重なってトモとの関係が気まずいものになってしまい、いつしかたまに喋る知り合い程度の関係になってしまった。

そうして1年が経ち、中学2年生になった時、淳一郎はトモと仲直りしたいと思いつつどうしたらいいか分からず困っていた。そこで「自分に彼女がいればトモと仲良くしていても誰も2人が付き合っていると誤解せずトモに迷惑もかからない」ということに気付き、ちょうど中学に入っても相変わらず男遊びばかりしているトモとの距離を感じて悩んでいたみすずと利害が一致して付き合い始めたが、これが大失敗に終わったことは以前にも描かれた通りですが、今回はその裏でみすずのトモへの想いが強調して描かれており、これはまた終盤の展開のカギとなっていくのだと思います。

とにかくみすずと3日で別れた後、淳一郎はやはり思い切ってトモに直接話しかけて仲直りするしかないと思ってアプローチしますが、トモにどうして1年も自分を無視してたのかと怒りをぶつけられる。それで淳一郎が自分とトモが付き合っていると誤解されていて、それでトモに迷惑がかかるんじゃないかと気にしていたからだと事情を説明すると、トモは「お前と俺が一緒にいたいのなら他のヤツなんか関係ない」と怒って言い、「お前は俺と一緒にいたくないのか?」と問い質す。

それを聞いて淳一郎は小学校の頃のように変わらずトモと一緒にいたいという自分の気持ちに素直になり「俺はお前と一緒にいたい」「変わらずずっと一緒にいたいよ」と想いを伝える。だが、これがトモには愛の告白のように聞こえて、淳一郎に対して初めて女としてときめいてしまう。これ以降、トモはずっと淳一郎のことを異性として意識して恋心を自覚するようになって現在に至るのだが、淳一郎の方は違っていた。淳一郎はトモと「変わらずずっと一緒にいる」ためには、中学に入ってギクシャクする以前の2人の関係をずっと続けなければいけないと思い込んでしまった。つまり小学校時代の完全に男同士の親友であった頃の関係を続けなければトモと一緒にいられなくなるという強迫観念が生まれてしまったのです。そして、その小学校時代の淳一郎の心を支配していた「いつかトモに勝てる強い男になる」という想いにもずっと淳一郎は支配され続けることになってしまった。

だが、勝負の決着がつかないまま、その想いの象徴であったゲーム機を返されて、ようやく淳一郎は自分とトモの関係は小学校時代とは全く違うものに変わってしまっていたのだということに完全に気付いた。だが、それでもトモと一緒にいたいと思う淳一郎は、それなら現在の2人に合った別の方法を考えるしかないと思った。そのためにはまず、昔のトモではなく現在のトモに正面から向き合おうと思い、淳一郎は初めて素直な気持ちで現在のトモを見て、トモを完全に女として意識し始めるというのが今回のお話でありました。さて、次回からこれは一体どうなるか楽しみですね。今回は男性陣が唄う特殊EDも良かったです。

 

 

転生王女と天才令嬢の魔法革命

第10話を観ました。

今回はアルガルドが廃嫡になって辺境に追放されたので代わりの王位継承者としてアニスの継承権が復活して、要するに次期国王はアニスということがほぼ内定します。そうなると王家の血を繋げるためにアニスは男性の配偶者と結婚して子供を産まなければいけなくなります。そもそもアニスはガチレズなので、そういうのが嫌で王位継承権を放棄したわけですから辛いところであり、アニスを慕うユフィリアにとっても面白い話ではありません。

ただ、そういう百合的要素は私はあんまり興味は無いのでどうでもいいです。「王宮百合ファンタジー」と銘打ってある作品であり、百合好きの人も多く観ている作品ですから、一応ちゃんと百合的な心情も描いてはいましたが、今回はむしろ「ファンタジー」の方の側面をしっかり強調して描いてくれたので私としては助かりました。つまり、男性配偶者の件ももちろんアニスにとっては憂鬱なことではありますが、やはり王位を継承するにあたって最大の問題は「アニスが魔法を使えない」という点になるということです。

この物語世界は現実世界とは違って魔法が存在しているだけではなく、もっと極端に魔法至上主義で成り立っていて、少なくともこのパレッティア王国においては、王族の祖が精霊の加護を受けて魔法を使えるようになった結果、王族や貴族のような支配階級が魔法を使えるということが統治の根本原理となっていて、だから王が魔法が使えないというのは著しく権威に欠けた状態となってしまうのです。「王が魔法を使えること」が支配階級の正統性の象徴なので、王が魔法を使えないと王自身の権威も損なうだけでなく、貴族階級の権威も損なわれます。だから貴族たちは庶民に対する支配の正統性が損なわれるのを恐れて「魔法を使えない王」を嫌がるわけです。

ならば魔法が使えない王家を倒して魔法を使える有力貴族が王位を簒奪すればいいのではないかとも思えますが、王家の支配の正統性は単に魔法を使えるだけではなく「精霊の加護を受けた」という点にこそあり、単に魔法を使えるだけならば貴族ならばみんな同じなので、有力貴族が王位を簒奪しても他の貴族がそれに従わず、内乱状態になってしまう。だから貴族たちは王位の簒奪はしない。それぐらい「精霊の加護」は絶対的権威なのです。

だから貴族たちは精霊の加護を得ているパレッティア家が王位に在ることは受け入れ、アニスが王位に就くことも仕方なく受け入れざるを得ないのですが、魔法が使えない王を戴くことで自分たちの支配の正統性が損なわれることは嫌がり、常に不満を持った状態となります。だからアニスが王である間は貴族に対する統治が上手く出来ず、政治は不安定となります。アニス自身は庶民の人気も高く、名君の資質は備えているのですが、やはり問題は貴族たちということになる。庶民の人気が高いぶん、逆にアニス王を巡って貴族と庶民の対立さえ生じかねないという問題もある。

そもそもアニスに名君の資質があるゆえに、それに代わって王位を継ぐはずだったアルガルドに貴族たちからより高い資質が求められ、特に魔法の資質を強く求められた結果、アルガルドが行き詰ってしまったのです。貴族たちの精霊の加護による魔法を絶対視する思想がアニスを排斥しただけでなく、アルガルドも潰してしまったわけであり、まさにアルガルドが「魔法は呪いだ」と言っていたのはそういうことであったのです。

アニスもそうした呪いから逃れるために王位継承権を放棄して、好きな魔学の研究に没頭していたわけなのですが、王位を継ぐということになれば、貴族たちからの信頼を得て国家を安定させるためには「精霊信仰に背いている」と貴族たちから陰口を叩かれている魔学の研究は諦めるしかなくなる。ユフィリアは講演会の時のように自分が魔学の有用性を貴族たちに説くことで王となったアニスを支えることも出来ると考えますが、アニスは話はそんな簡単なものではないと言い、ユフィリアの協力を拒み、魔学を捨てようとします。異端の王女であった時とは話の重みが全く違う。王位継承者となったアニスが異端の魔学に関わることを貴族たちに納得させるだけの力はユフィリアにも無い。そういう考えもアニスにはもちろんありますが、もっと話は深刻です。

アニスは「魔学は自分が自分自身であるために必要なもの」と言っていました。だから魔学を捨てるということは自分を捨てるということであり、王位に就いた以上は自分というものを殺して、ひたすら貴族たちのご機嫌をとって国家の象徴として生きることに徹するつもりです。そして、これまで自由に生きてきた中で親交を結んできたユフィリア達にはそんな死んだような自分を見せたくない。だからアニスは魔学だけでなく、ユフィリア達も遠ざけようとしているのです。

アニスがそういうつもりであることを察したティルティは、それはアニスにとって死ぬほど辛いことであるはずだと思い、アニスのことを心配しますが、アニスは自分がこれまでそうした苦しみから逃げてきた結果、弟のアルガルドに苦しみを押し付けてしまい、その結果アルガルドの人生を台無しにしてしまったことを重く受け止めており、今度は自分が苦しみを背負って生きようと決意してしまっています。ユフィリアもそうした王としてのアニスの覚悟を支えるのが臣下である自分の務めだと思い、アニスの決断を受け入れようとします。

しかしアニスが魔学の研究室も破棄してしまったのを見て心を痛めたユフィリアは、父マゼンダ公に直訴して、何とかアニスが王位を継がずに済ますことは出来ないかと相談し、アニスを慕っていることを打ち明けます。マゼンダ公は宰相としてそれは受け入れられないと言いながら、実はアニスの父のアルフォンス王もかつて王位を継ぐか自分の望む道を選ぶか迷っていたのだと言い、その時に友であった自分のした選択が正しかったのか迷いがるような素振りを見せる。

そうしていると、マゼンダ邸に突然リュミという女が現れて、彼女は精霊契約者だという。そして、大精霊と契約すれば新たな王家を起こすことが出来るのだという話になり、実は昔ユフィリアの父はその資格があったが望まなかったのだという。それを聞いてユフィリアは自分が精霊と契約して新たな王家を起こせばアニスは国王にならずに済むのではないかと考えるが、リュミはそれを止めに来たのだと言う。どうも精霊契約というのはあまり良いものではないらしい。それに関連してリュミが昔話を語り始めたところで今回は終わり、次回に続きます。

これはかなり意外な展開で、「革命ってそっちか!」と驚かされました。私はてっきりアニスが魔学を使って社会を変革していくお話で、それで「魔法革命」というタイトルなのだと思っていたんですが、そうじゃなくて本来の意味の方の「革命」だったんですね。「革命」というのはもともとは「天命が革まる」という意味の古代中国の言葉で「天命を降された王朝に代わって、新たに天命を受けた者が新たな王朝を打ち立てて取って代わる」という、つまり「王朝交代」のことなのです。「易姓革命」とも言いますよね。別の姓の王朝に代わるということです。古代中国の易姓革命思想では、天の神である天帝から地上を治めるよう使命、つまり「天命」を降された者が天下を統一して王朝を開き、その王朝が天命を失うと衰退していき、代わって天命を受けた者が新たな王朝を起こして取って代わり天下を統治するのですが、この物語世界では「天帝からの天命」が「精霊による加護」に代わるわけです。これまで精霊の加護を受けていたパレッティア王朝に代わって、ユフィリアが精霊の加護を得て新たな王朝を開くことによってアニスを呪いから解放するというお話なのでしょう。まぁ、それが実際のところ面白いのかどうかは未知数ですが、斬新な切り口だとは思いますから次回は楽しみです。

 

 

ツルネ ーつながりの一射ー

第10話を観ました。

今回は合宿編の続きで、まず、楽しみにしていた辻峰との競射会は意外にあっさり描写されて終わりました。ここでじっくりと「辻峰の5人はどうして息合いが出来ているのか」について描写されて、そこに二階堂と辻峰の仲間との関係を絡めて描いてくるのかという期待はあったのですが、まだそこは描かれなかったですね。まぁおそらく全国大会で風舞と辻峰の試合は描かれるのでしょうから、今回の競射会をガッツリ描いてしまうと内容が重複してしまいますから、今回は省略した方が確かに正解でしょう。ただ、「息合い」に関しては競射会の後で風舞の5人にとって迷いのトンネルを抜け出すための良いヒントを辻峰の不破が教えてくれました。

不破は5人立ちの試合の時は自分が那須与一になったつもりで弓を引いているのだという。那須与一は「平家物語」で描かれた屋島合戦に登場する源氏方の武将で弓の達人ですが、波に揺られる沖合の平家の舟の上に立てられた扇の的を波打ち際からの一射で射落とした逸話で有名です。この時、与一は波の揺れや強風などの難条件の中で一射しか無いチャンスに、その時に一度しか無い波と風のリズムを読んで、それに自分の息を合わせて射た。不破はそういうふうに屋島合戦時の那須与一の心境をイメージして、それをトレースしているのだという。つまり、風舞の5人が試みているように仲間の動きに合わせたり、過去の自分の動きに合わせたり、型にこだわったりしているのではなく、常にその場その場の変化していく状況の動きに合わせて、それに合わせた最高のたった一射を放つイメージで弓を引いているわけです。

確かに状況は常に一定ではなく刻々変化していく。だからこそ状況の変化に左右されない自分の確固とした射型を完成させることが大事なのであり、それが5人揃えば5人の息はピッタリ合うのだろう。だが、自分の確固とした射型というのは一生かけても確立出来るかどうか難しいものだとも滝川も言っていたように、よほどの達人でもなければ実際は状況に左右されてしまう。だから5人立ちの時に他の4人に合わせようとすると、他の4人も不安定なので自分もそれに合わせることで不安定になってしまう。ならば最初から他の4人は不安定なものだと割り切って、無理に合わせようとするのではなく、その変化のリズムを読んで、そのリズムの中でのたった一瞬の機会を掴んで最高の一射を放つというのが不破のイメージみたいです。

風舞の5人は仲間の動きを1つに合わせようとしていたが、合わせているつもりでも5人とも常に不安定なので、それに無理に合わせることで5人の射は毎回違うものになってしまい会心の一射を目指すものにはほど遠かった。また、県大会時の会心の射に合わせようとしてもいたが、その時とは状況が違うわけだから、仮に動きを完璧にトレース出来たとしても、県大会の時と同じ射にはならない。それで行き詰っていた風舞の5人にとって不破の話は大いに参考になり、逆に状況の変化をわざと分かりやすい形で作りだして、その中で弓を引くことで「変化のリズム」を読む訓練をしようということで、わざと毎回立ち順を変えてやってみるという練習を試みて、何かを掴んだ気がして合宿を有意義に終えることが出来ました。

ただ、風舞の5人が掴んだものがどういうものだったのかはあまり具体的に描写は無く、また、辻峰の方も上記のコツはあくまで不破1人がそう心がけているというだけであり、辻峰5人の息が合ってよく的にも当たる理由の説明としてはまだ弱い。そのあたりはまた描かれることになるのだろうと思う。

一方、不破の方もタダで秘訣を教えてくれたわけではなく、交換条件として二階堂が湊と愁を敵視している理由を教えてほしいと言ってきて、二階堂からの敵意に気付いていなかった湊は驚きますが、愁と連絡をとってみて、二階堂が自分と愁を「西園寺先生に教わっていた」という理由で敵視しているのであろうことに気付きます。

また、競射会の時に辻峰の3年生の樋口が無自覚に反則を犯していたのを二階堂が黙認したことに気付いた滝川が「どうしてそこまで勝ちにこだわるのか」と問うと、二階堂はこの夏はとにかく勝ちたいからだと答え、その先のことは考えていない、弓道などくだらないと言う。それに対して滝川が、ただ的に当てたい、勝ちたいという弓道に行き詰った自分が今は満ち足りているのだということを教える。風舞の生徒たちに自分が先人から受け継いだものを譲り渡して新しい射が生まれるのを見たいと思えているからだという滝川の言葉に二階堂は苛立つ。

二階堂も伯父の茂幸から「新しい射」を期待されていることは分かっていた。だが、滝川からの期待に応えようとしている湊たちとは違い、自分は茂幸の期待に応えようとせず、ただ茂幸の望んではいない西園寺や湊や愁への復讐のために弓道を利用しており、辻峰の仲間を利用している。二階堂が「くだらない」と言っているのは本当はそういう自分の弓道のことなのです。滝川の言葉はそうした二階堂の心の中の負い目を刺激したようで、二階堂は不機嫌になり、翌日は辻峰の仲間ともギクシャクしてしまう。その晩、エレベーターの故障で湊と二階堂は2人で閉じ込められてしまい、湊が辻峰の皆のことを褒めると、二階堂は自分は仲間を利用しているだけだと言い、湊に対して苛立ちをぶつけます。

そうしていると、伯父の茂幸が倒れたという連絡が来て、二階堂は滝川の車で病院に送ってもらうことになり、湊と不破も同乗していく。そして湊は、二階堂の伯父が西園寺先生に弟子入りを断られたこと、二階堂がそのことを恨んで西園寺先生の弟子である湊と愁に勝とうとしていること、そして、全国大会でその復讐を果たしたら弓道をやめたいと思っていることも知る。二階堂の中では弓道はもう復讐の道具になってしまっており、そんな自分が弓道を続ける資格も意味も無いことには二階堂自身が気付いているのです。しかし昔から二階堂の射に憧れていた湊は、ただ二階堂に自分らしい射をしてほしいと願います。

そして病院に着いて茂幸と対面した二階堂は、二階堂にまだ弓道で教えたいことがあるから死ねないという茂幸の言葉を聞き、泣き崩れて、それなら自分は茂幸にまだ生きてもらうためにも弓道を辞めることは出来ないと思う。そうして合宿は終わり、湊と二階堂は全国大会での再戦を約束してそれぞれ帰路に着き、いよいよ残りは3話で、次回から全国大会編がスタートするのではないかと期待しています。