こんにちは。

 

 アーティストの追悼ブログ、2回目です。

 

 今日は、高橋幸宏さん。

 

 ユキヒロさんと言えば、もちろんイエロー・マジック・オーケストラ、Y.M.O.(ワイ・エム・オー)ですよね。

 

 先月、70歳というご年齢で亡くなったという事で・・・とても残念なニュースが入ってきましたよね・・・まだまだ、頑張れる年齢ではなかったのかな・・・ってね。年齢的には、ですけどね・・・

 

 さてでは、

 

 曲ですが、当ブログでも何年も前になるかな、ブログを始めた初期の頃に取り上げさせて頂いた記憶があります。

 

 「RYDEEN」(ライディーン、雷電)。

 

 1980年リリースのシングル。1979年のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」に収録。

 

 元々のタイトルは、江戸後期の伝説的な力士「雷電爲右衞門」(らいでんためえもん)から「雷電」と表記された。坂本龍一は、「『雷電』には東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)のような浮世絵(うきよえ)のイメージがあり、浮世絵が世界に影響を与えたように自分達の音楽も世界に影響を与えることと重ね合わせた」と発言している。

 

 その後、細野晴臣の「アメリカで今、『勇者ライディーン』っていうアニメがヒットしている」ので、「じゃあ、『ライディーン』にしちゃおう」という発言で「ライディーン」となったという。

 

 作曲者の高橋ユキヒロは、「映画『スター・ウォーズ』を黒澤明監督が撮ったらどうなるか、が発想の起点だった。そのため、途中で戦闘ゲームや時代劇風の馬の走る音が入る。」と自身の著書で明かしている、との事。

 

 

 

 

 そしてもう1曲。

 

 「ライディーン」と並ぶ Y.M.O.の代表曲と言えば、こちら「TECHNOPOLIS」(テクノポリス)。

 

 1979年リリースの1枚目のシングル。こちらも、アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」に収録。

 

 作曲を担当した坂本龍一は、「単に売れる曲を書いてやろうと思って」とコメントを残している。ピンクレディーの一連の楽曲を分解・研究し再構築した「東京歌謡」である、と。

 

 この曲について高橋ユキヒロは、「筒見京平さんがYMOの曲を作ったらどうなるかって、そんなコンセプトで教授(坂本龍一)が書いた。だからヒット曲になった。」とコメントしている。

 

 映像は、こちらも当時のPVですが、ショート・ヴァージョンで。

 

 

 

 

 

 

 アルバムがリリースされた当時の私、F少年は、ラジオなどから聴こえてくるこのYMOの音楽、まあ今でこそこういったジャンルの音楽を「電子音楽」とか「打ち込み」とか「ピコピコ音」とか言いますけど、当時はね、斬新で、なんだか未来的な感覚がして興奮しました。で、少し貯まっていたお小遣いを握りしめてレコード屋に走り、1枚だけあったアルバムを買ったんです。それが「X∞MULTIPLIES」(マルチプライズ)という1980年リリースのベスト盤でした。

 

 実家で大事に保管してあったので、このLPレコードを持って来て今では息子の部屋のレコード棚に並んでいます。

 

 では、最後になってしまいましたが、

 

 高橋幸宏さんは、1952年6月6日生まれ。東京都目黒区出身。

 

 2023年1月11日、脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去。

 

 心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

  では、またね。