ジャッキー吉川とブルー・コメッツは、1960年代の日本で一世を風靡したグループ・サウンズの一つ。略称は 「ブルコメ」 。

 1957年、米軍キャンプ回りのバンドマンを中心に 「ブルー・コメッツ」 が結成された。 専属シンガーを付け、渋谷のジャズ喫茶を中心に活動。 1959年には、来日したジーン・ヴィンセントの地方巡演のツアー・バンドに選ばれるほどまでに音楽性を高めた。

 1963年からは、ジャッキー吉川がリーダーになり、のちにグループ・サウンズ全盛時代を築くメンバーがほぼ揃った。

 この頃、尾藤イサオのバック・バンドとしても活動していて、ある時、尾藤のコンサートに尾藤と一緒に開催地に向かったが、尾藤が列車から降り損ね、開催が不可能になってしまった。 観客に尾藤が来ていない事を説明したところ、観客から 「何か歌ってくれ」 と求められ、井上忠夫が即席で歌って観客に受けた事から、グループ・サウンズとしての本格的な、ブルー・コメッツ独自の活動が始まったとされている。

 このような経緯から日本における 「歌うエレキ・バンド」 = 「グループ・サウンズ」 が誕生し、その先駆者となった。

 今日の曲 「ブルー・シャトウ (Blue Chateau) 」 は、1967年リリースのシングル。 バンド自身最大の150万枚を売り上げる大ヒットを記録した。

 作詞:橋本 淳
 
 作曲:井上忠夫 (後に井上大輔) (1941年9月13日-2000年5月30日)

 編曲:森岡賢一郎

 しかし、後年 (1980年代) 、井上自身はこの曲が大ヒットした事はGSというジャンルにとっては 「悲劇だった」 と振り返っている。

 GSはもともと、洋楽っぽく格好いいもの、ひいては新しいものを目指していたわけで、他のグループもその真似をさせられ始めたのも、つらかった ・・・ と。

 「結局は、歌謡曲に飲み込まれてしまった」 と、当時の悔いを口にした。

 その後井上は、シャネルズのデビュー作 「ランナウェイ」 (1980年) を世に送ったが、この曲を作った時に 「やっと決着がついた気がした」 「 (GSの時代に) やりたかった事をやっとやれた」 と述懐した、との事 ・・・ 。

 映像は、2本。 EPレコードのジャケ写真でその音源というものと、井上さんが他界してからの物かな? テレビの音楽番組でのライヴ映像を。 ライヴの方は、音声少し大きめなのでご注意を。

 そして、共に、削除が早い楽曲と思われるので、ご了承を ・・・























シングルズ (1966 ~ 1968)/ブルー・コメッツ

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 では、また。