昨日、ワールド・カップ・バレー・ボール男子の大会も終わり、これでやっと落ち着きました (笑) ・・・ 。

 春からのプロ野球のペナント・レース、クライマックス、日本シリーズと秋からは、バレー・ボールのワールド・カップ女子・男子と、ほんとに楽しませて貰いました。 バレー・ボールは、来年の5月にまた、ロンドン・オリンピック出場権を獲得するための最終予選があるので、全日本チーム頑張って欲しいな、と思います。

 男子バレー、課題は、そうですね ・・・ やっぱり、確実に入る強いサーブを全員が身に付ける事、或いは、変化の大きい強めに打つジャンピング・フローター・サーブか? ・・・ そして、サーブ・レシーブをしっかりセッターに返す事、これが出来てないと、高い外国の選手のブロックをかわすコンビネーション・バレーができませんから。 そして、あとは、個人個人の苦手な細かい部分をどう克服していくか? ・・・ ということでしょうか。 例えば、ゴッツ石島のサーブ・レシーブとかね ・・・ 。


 さて ・・・ 音楽の方へ行ってみたいと思います。

 今日、12月5日は、私事なんですが、私と家内の結婚式記念日 (式を挙げた日です。 ) なので、リチャード・マークスのこの曲を取り上げようと、ずっと前から決めていました ・・・ 。

 リチャード・マークス (Richard Marx) は、1963年9月16日生まれ。 アメリカ、イリノイ州・シカゴ出身。 シンガー・ソングライター、音楽プロデューサー。

 作曲家の父、歌手の母を両親に持ち、10代の頃からライオネル・リッチーなどに曲を提供していた。

 1987年にアルバム 「Richard Marx」 でデビュー。 ファースト・シングルとなった 「Don't Mean Nothing」 が、いきなり全米チャートの3位に入るヒットとなり、大きな注目を集めた。 その後、シングル・カットされた2曲もチャート・インし、4枚目のシングル 「Hold On to the Nights」 で全米1位 (2週連続) 1位を獲得した。

 1989年リリースのセカンド・アルバム 「Repeat Offender」 からは、2曲の全米1位獲得曲が生まれ、前作を上回るビッグヒットとなった。


 今日は、そのセカンド・アルバムからの曲 「ライト・ヒア・ウェイティング (Right Here Wating) 」 を。

 当時、恋人だった妻シンシア・ローズ (女優、映画 「ダーティ・ダンシング」 などに出演) へのラヴ・レターに曲を付けたもので、自身最大のヒット曲となった事を契機に結婚した、という ・・・ 。
 
 歌詞は、こんな感じ ・・・

 
  君がいるのは海のずっと向こう側

  僕はだんだん耐えられなくなっていく

  電話で君の声を聞いたとしても 胸の痛みが止む事は無いんだ

  君が傍にいないんだとしたら どうして愛は永遠だなんて言えるだろう

  君が何処へ行っても 例え何をしていても

  僕はここで待っている

  何が待ち受けていようとも どんなに苦しんだとしても

  ここで君を待っているんだ ・・・


 映像は、PV (公式) 。 音声、少し小さめ。













 そして、もう一曲、1994年にリリースされた全米7位の曲 「Now and Forever」 を。

 この頃以降、プロデューサーとしての仕事に重きを置くようになり、近年では、アイドル・グループのイン・シンクやバック・ストリート・ボーイズに曲を提供。 2003年には、ルーサー・ヴァンドロスと共作した 「Dance With My Father」 をヒットさせた。


 歌詞は、こんな感じ ・・・


  僕が道を見失っている時

  それでも君は 僕をわかってくれている

  そんなふうに思う

  時々僕は君を抱きしめる

  ただ 自分一人では無い事を確かめたいから

  僕はきっと運がいい きっと神様がそうしてくれた

  僕は君に伝えようと思う
 
  僕ができるだけの やり方で

  今も そしてこれからも いつまでも

  僕は君のものでいるだろう ・・・


 映像は、PV (公式) 。 音声、少し小さめ。













Hits & Ballads/Richard Marx

¥2,051
Amazon.co.jp




 2曲とも、実に心に沁みる曲でした。 (沁みすぎるのもどうかと、思いますが ・・・ )



      では、また。