―― 歴史 ――

 1945年、第二次世界大戦敗戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が、全面的に禁止された。 しかし、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力研究は、解禁される事となった。

 1954年、当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉 修、斎藤憲三、川崎秀二により、原子力研究開発予算が国会に提出された事が、その起点とされている。

 1955年、原子力基本法が成立。

 1956年、原子力委員会が設置された。 初代の委員長は、読売新聞社社主でもあった正力松太郎。
 更に、同年発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。 このことから正力は、日本の 「原子力の父」 とも呼ばれている。

 同年、日本原子力研究所が茨城県東海村に設置され、翌年同所にて建設された実験炉において初発電を行なった ・・・ 。


 近年は、老朽化で運転を終えた原発の処置の問題に加え、二酸化炭素排出削減策として既存発電所の延命の方針が打ち出されており、2010年3月に営業運転期間が40年に達した敦賀 (つるが) 発電所1号機 (福井県) をはじめ、長期運転を行う原子炉が増加する見込みである事から、これらの安全性の維持が課題となっている。


 ―― 発電所の立地に伴う地域経済 ――

 電源立地地域対策交付金などが、立地する市町村の地方公共団体に交付される。

 建設工事・定期点検・運転などでの雇用も多く、 職員や労働者の8割以上が県内在住者で占められているケースがほとんど。 また、地元商工会と協力して、地元企業の技術力の向上・雇用促進、排熱を利用した農産物の早期栽培などを農家と共同で行っている場合もある。

 固定資産税や定住者の所得税などの税収、各種交付金、それらのもたらす商業の活性化や道路・体育館・防災無線などの公共施設の充実、原発見学者による観光収入も見込める等、非常に大きな効果がある。

 過疎に悩む自治体にとって、20年間で総額893億円の電源立地地域対策交付金と固定資産税は、大きな魅力であり、原発の立地が推進される事になる。

 しかし、運転開始後の固定資産税は設備の減価償却に伴い、年々減少していく。

 運転開始後、十年、二十年と経つと、自治体の収入が少なくなるので、地元は再び、次の原発建設を誘致しないと税収を確保できなくなる。

 「原発銀座」 とも呼ばれている福井県嶺南(れいなん)、茨城県北部、福島県浜通りなど、集中立地が目立つ背景には、こうした交付金制度の存在があるとされる ・・・ 。

 



       ・・・ では、また。