前回のブログが約2か月間の一時帰国してすぐだったのでずいぶんご無沙汰になりました
今回の一時帰国は週末にイベントが重なっていた以外は緩やかなスケジュールだったのですが、思いもしないこともたくさん起きてなんだかんだとあっという間に南半球のタスマニアに戻り3週間が経ちました。
今回の一時帰国の目的も『今ここ』を大切にして家族と向き合うことも大きなテーマの一つで今回も家族旅行をしてきました。
どんなところへ行き、何をして、何を感じたのかはもう書ききれないくらいたくさんあるのですが、ちょっとしたことは日記とインスタグラムで記録しておきました。
『今ここ』に向き合うために両親と一緒に旅行をするようになってしばらく経ちますが、その大きなきっかけは妹の死。
2018年入ってすぐに突然妹のがんが発覚。そしてその年の10月に突然姿を消してしまいました。
2017年から何かがおかしいと感じて色々検査しても原因がすぐにわからず不安な時期を過ごしていました。がんと知った時のショックは大きかったのですが、原因が分かったことで対処する方向性が出てきて、なんとかなるという希望を持っていました。
回復する希望を最後まで捨ててはいませんでしたが、どんどん弱っていく姿を受け入れていくのは本当に辛かったです。
それまでも身内や近い人を失うことが続き、それぞれにショックを受けてきましたが、このタイミングでの妹の死の影響は計り知れないものとなりました。
妹の死を受け入れるのに、時間はかかりました。
今でも涙が出る時はあります。
どんな時・どんな理由でも大切な人の死を受け入れるのは簡単なことではないし、もちろん何らかの変化は起きます。
私たち家族もこのタイミングでの妹の死は人生観を大きく変容させるきっかけとなりました。
なによりも、私にとっては両親と向き合う大きな機会となりました。
今までも色んな人生の転機で両親とは向き合ってきました。
一度目の結婚、離婚、再婚、出産、海外移住などのタイミングで向き合うテーマは違っても、色々感じることはありつつ、育ててもらった感謝の気持ちが湧き出てきました。
それでも、やはり妹の死はもっと違うステージへの変容のきっかけとなりました。
年老いた両親にとっても、我が子が自分より先にいなくなるというのは想像を絶する痛みとショックがあった事でしょう。
特に妹家族と両親は定期的に交流していた関係だったので、その影響力は大きかったはずです。いずれは妹家族の隣に引っ越しすることも視野に入れてセカンドハウスも購入していたくらいです。特に母親の方は分かりやすいくらい変容していきました。
私自身も然り。
そもそも当時の旦那さんの家族の状況から2006年1月にオーストラリア🇦🇺移住という選択を取ったことは私の人生を大きく変えていきました。
その時に初めて妹と大きなわだかまりができる事件も起きました。
・・・となんか、話がこのまま逸れていきそうなので軌道修正。
誰にでも必ずやってくる『人生の最後の瞬間』。
その時に、この世に執着なく気持ちよく旅立てるためにはやはり『今ここ』を大切にすること。
若い時にはまだまだ時間があると感じるので、『今は無理だけど、またいつか…』となっていました。
それは終わりを意識していなかったから。
両親が後期高齢者になり、いよいよ人生の最終章。
私自身も半世紀をとっくに超えて、人生の終盤戦に差し掛かり“終わり”を意識するようになってきました。
そして『やりたいことで今できること』に意識を向け、行動に移すことで人生が違ったかたちで豊かになってきました。
ここ数年、そんな経験が一時帰国の度に進化しています。
今回は、今だからできることをさらに拡大し、久しぶりに三世代で良い時間を過ごしたかった。
家族がそれを望んでいないのにすることはただのエゴだけど、家族も同意してくれたので本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。
その後にも、両親と私の3人でこれまた『今までの伏線を回収するかのような”今この時”だからできた旅』を体験することができました。
実は子供の頃は親のことが嫌で嫌で仕方がなかった。
(そこには様々な理由がありますが・・・)
だからすっごく反抗してきた。
成長していき、”当時の両親の状況からは仕方がなかったよね…”と理解しても、私の奥の方に閉じ込めていた感情から抵抗はなかなか消えなかった。
“大きな転機”の度にそんな抵抗を緩めていくことはできたけど、無意識層でのしこりは残りそれが溶けるには経験と時間が必要だった。
『今ここ』に向き合えることで今では、『当時の状況から仕方なかったよね…』と頭で理解させて感謝するのではなく、奥の方から湧き上がってくる感謝の気持ちを感じることがどんどん強くなってきました。
まさかこんな感覚を感じられる親子関係になれるとは想像していなかったし思ってもいませんでしたけどね。
誰でもみんな母親(女性)の子宮から生まれてくる。
だから最終的に向き合うのは、母親の原型の人との関係だと今は感じています。
それは自分の全てを受け入れる事にも繋がっているように感じるのです。
もちろん家庭環境や状況によっては簡単でない場合もあると思うし、物理的や精神的に出来ない状況の方もいるでしょう。
でも究極を言えば、そこには肉体の有無は関係ないようにも感じます。
(妹とは今でも繋がっている感覚があるしね)
あくまでも私の経験からの感覚です。
そしてしこりは一度に溶けるのではなく、段階を経て委ねることでそちらに向かっていけるし、ゴールはあってないようなもの。
頭でなく心が納得できることが大切だと感じます。
私たち人間は両親(精子と卵子)が融合し、育まれて存在できる。
そしてその両親の存在もさらにその両親がいないと存在しない・・・と無限後退していきます。
最終的には神話の世界の神々にまで繋がっていくようにも感じます。
そして自分が存在している環境にはいろいろな人が関わっています。
想像力を使ってそのことに気づくことができれば、自分に関係ないと思っていた人も、何らかの形で繋がってくるし、それは日本国内にとどまらず他の国の人たちもどんどん繋がっていく。たとえ海外に暮らしたことも外国人の知り合いがいなくても、外国産の食品や製品を日常生活に全く取り入れていない人はいないだろうし。さらにその考えを拡大していくとそれが可能になるためにはそもそも地球が存在していないと自分という存在に辿り着けない。
今日はオンラインで『供養護摩奉納祭』に参加しながら、そんなことを感じていました。
歴史上の戦争などで亡くなったけど、亡くなったことさえ気づいてもらえていない無念な魂だってまだまだ世界中にたくさんいる。
ご祈祷や慰霊をするのに、私にとっては全く知らない人たちばかり。
でも、自分の家族やご先祖様に想いを馳せながら、同じように思いを届けることができる機会に参加してよかったなぁ、と感じました。
今夜はさらに夜神楽奉納祭もあるので楽しみです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。