先週はチャイルドケアの仕事で1,2歳の部屋に集中して毎日入っていました
タスマニアでは2月から学校がスタートするので始まる前はトランジション(移行期)で親も子供もスタッフもそれぞれに大きくストレスがかかる時期。
そんな時だけど、たまたまいろんな事情で正社員たちの不在が重なっていた。ある部屋はレギュラーチームメンバーが全くいないという非常事態。
私が今このタイミングで出来ることは、みんなの不安を和らげること。もちろん子供が最優先だけど、親やスタッフがストレス抱えていては子供だけをあやしてもうまくいかない。
正社員で働いていた最後の5年くらいは4,5歳児のキンダールームにいたけど、その前5年くらいは2,3歳児の部屋にいた。子供たちと一緒に部屋を移動していた時もある。それ以外の時でも1,2歳児の部屋って時々ヘルプで入るくらいだった。
1,2歳児は特に言葉でないコミュニケーションが大きいので、親や周りの人、特にケアをする大人たちが不安になっているとより敏感に察知し受け取ってしまう。
だからこちらが不安ベースで対応するのか、愛のベースで対応するのかも子供達には伝わりやすい。
幸い私には靈氣とクリスタルのちょっとした知識があるので、愛ベースの対応以外でも言葉のいらないコミュニケーションのツールがあるからそれらもとても役立っています。
靈氣は毎日使っているので恩恵は色んなところで感じているけど、1,2歳の子供には面白いくらい即効性があって私がびっくりしたくらい。
ある日、1歳の男の子がかなり動揺していたので膝の上に乗せて抱きしめながら音の波動としてその子だけに聞こえるか聞こえないかくらいの声を子供の耳元で囁きながら背中にシンボルを描くと、痛みと恐怖で泣き叫んでいた子がピタッと泣き止み静かに背中のシンボルを感じながら私の声を聴いていたんです。
これが秒殺の早さだった。
そして一回だけでなく、数回やっても同じことが起って私が癒されました。
全員に同じように効くとは限らないけど、こんな即効性もあることが体験できてとても嬉しかった。
私が14年前に働き始めてしばらくは、年上、年下問わず何十年も働いているベテランが多かった。でも私の妹や母のことで何度も日本に行ったり来たりして仕事を休みがちになっていたここ数年前からベテラン組が続々と抜けて若返ってフレッシュになっていった。
変化はエネルギーが動いて良いことでもあるけど、経験豊富な人材が一気に減ったことでスタッフの安心感やチーム力が弱まった感覚はある。
正社員からカジュアルと働き方を変更し、チームから外れ色んな部屋で働くようになったから、変な縛りなく状況を俯瞰してみる余裕もでてきたので感情的になることもほぼなくなり問題点を冷静に見れるようになった。
なんか海外移住したことで、日本を外から冷静に見ている感覚に似ているかもしれない。
外から離れて見ることで、日本文化の素晴らしさを再認識することも出来るし、違った視点で問題点も見えてくる。
そんな感じで今は職場の人を見ている感じかもしれない。
そして、この緊急事態のスタッフ不足の状況の中、洞察しながらみんなと関わっていることで『相手を思っている』ことと『執着』の履き違いも分かりやすく見えてくる。
私の職場では3歳以下の部屋ではプライマリーケアシステムと言って、保育士が数人の固定した子供をケアすることでより深く一対一のアタッチメントを作っていくシステムを導入している。
でも、どんな関係でも相性があって、特に小さい子供たちは理性や理屈でなく、感性での好みがはっきりしている子供が多いので、担当以外の保育士を好むことも出てくる。
ここで担当保育士が変なプライドを持って意地を張ってしまったり、グループの子供を自分の一部のように扱ってしまうエラーも起きてくることがある。これって、まさに親子関係でも陥りやすい所だよね。
この思い込みや執着がその人自身も、周りにも不必要な新たな問題や不安を作り出していくことがある。
本人は良かれと思ってしていることでも、そこに
“自分は悪くなくて正しいことをしている”
というエゴが大きくなっていることには気づいていない。だからいかに自分が正しいことをしているかを主張したくなる。そしてさらにそこから、『自分は正しいことをしている』➡『あの人はそうではないから問題が起きている』ってジャッジメントの強化になっていく。そしてこのベースには『不安』や『恐れ』が隠れている。
こうなる時って、たいていみんな不必要なストレスを抱え込んで疲れ切っているので本質からどんどん離れていって壊れたおもちゃのようにくるくる同じところでまわっている感じ。
目が回って理性も感情も正常に働かなくて疲れるよね。
偉そうに語っているけど、自分がそれを嫌って言うほど人生で体験してきたからよく分かる。
この仕事を始めたころはまだ英語力は今よりも断然乏しかったし保育士としての経験も浅かったけど、人間としては40代突入していてそれなりの人生経験があったからこの“変なプライド”をいやらしい感じで持っていた。だから正当化したくなる気持ちはすごくよく分かる。
あとは自分で言うのもなんだけど、チューンインした時はより子供とのアタッチメントを作るのが早くて、いわゆる“問題児”扱いされがちなタイプな子供の対応を割と得意としている。
だから、他のグループの対応が一筋縄ではいかない子供がなついてしまって、担当の人にちょっとした変な罪悪感を持ってしまってやり辛かったことも多々ある。
プライマリーケアシステムって理念的には素晴らしいのだけど、感情や感性の在る人間相手だから、機械的に振り分けられて全てが上手くいくとは限らないもんね。
若い頃から、心や精神的な世界のことをいつも考えていたり本を読んだりしていたけど、身近な家族5人を一気に亡くして人生を大きくそして本気で見直すようになってからはお金を出して色んな講座を受けたりして見えない世界のことを深く学ぶようになった。
そして特に『生命の木』理論は何度も違う講座を受け続けていつも考え続けているので、そこからの洞察がやってくる。
直感を働かせる前提として、ある程度の情報や知識を持っていないとその直感に気づけないし、気づけたとしてもそれを訳したり繋げたりする領域が狭いと感じるし、そう思ってもいます。
どんな道具でも使い方次第で恩恵になったり時には傷つける道具になったりする。
包丁は料理をする時に使えば最高の道具だけど、それ以外の方法で使えば傷つける道具になる。
そして道具を使いこなすには、何度も実際にやってみて訓練しながら経験をしていくしかない。直感もそうだと捉えている。
思想や教えも然り。使い方次第。
心理学も量子力学のような科学も、武道、茶道のような『道』がつく教え、『引き寄せの法則』や『運命論』、占星術、タロットなどなんでもそうだと思う。
『生命の木』だってまさにそう。
私たち自身の身体、心、魂だって、それぞれの固有性をいかにして使っていくか。
全体の中の一部としてどう調和していくか。
そしてそれを日々の日常の中から気づき、受け入れてそれに向き合うための行動をしていく。そのためにも学びは欠かせない。
それは愛をベースにした自分にできる『良きこと』を信じて行動していくことに繋がると感じている。
生命の木で学んできたことがすっと腑に落ちていく。
今月からまたさらにこの生命の木を違う視点から学んでいくことにとてもワクワクしている。
そしてその学んだことを、日々の生活の中でも、仕事にもセッションにも生かして循環させていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます
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