今朝は、朝の散歩からまた色々なメッセージを受け、その後須磨子さんのオンラインヨガクラスで体を動かし終わったらすぐオンラインで勉強会に参加。
その間にちょっとした家事もはさんでいるけど、散歩もエクササイズも勉強会も全部大好きなこと。だから義務もプレッシャーもなくとてもリラックスしてできるから、身体も頭も緩めることができます。
この感覚は『自分も周りも全部受け入れた安心感と幸福感』から来ます。
同じことをするのでも、ここにHave toマインドで動くと、リラックスする目的のものでもストレスになっちゃいますよね。
こんなこと分かっていても、無意識の反応パターンに引っ張られてやっちゃう事あります。特に頑張り屋さんは陥りやすい罠。
そして24時間こんなリラックスした状態でいられる人なんて皆無でしょう。
だからこそ、リラックスできる時間を意図して増やしていくことは本当に大切だと体感できました。
今朝の散歩では情報とメッセージの大洪水でどれも私にとって繋がっているのですが、言語化することでここに整理整頓を心がけます。
私の今いる立ち位置は今までの経験や学びが全て繋がっています。
ネガティブな体験だろうがポジティブな体験だろうが関係なく、その一部分を切り離すことは全く意図をしていません。
でも色んな体験や学びをしてきましたが、今振り返るとブレなく変わっていない信念にも気づきます。
それは、私にとっては
『二元性の統合をすることからくる
中庸でいることの大切さ』。
たぶん子供の頃からここを求めて(どうしていいのか分からないから)苦しんでいたように感じます。
何度もこのことは書いてきましたが、私は20代の頃に『般若心経』の教えの深さに感動しもっと知りたいと感じ、いろんなタイミングで般若心経に向き合ってきましたし、今でも毎日唱えています。たとえ他の色々な学びをしていても何十年も続いているということは私にとって自然でとてもしっくりくる教えだということ。
『般若心経』のエキスパートではありませんが、真髄である『空』や『無』の概念、そして中庸で淡々としていることの大切さは言葉だけでなく感覚として本当にしっくりくるのです。
だから今の私は『生命の木』にとても惹かれているのだと感じます。
中庸であるということはもちろん二元性からくる対立することがあることが前提となっています。
物事を『理解』したり『分る』ためには、どうしてもそれを分離させる必要があります。
分離したり細分化することが物事を進化・発展するプロセスとなります。
視野を狭くし、その部分を細かくどんどん細分化して分析していくことで見えてくることがあります。(まさに化学はこの分野ですよね)
でもここに留まってしまうとその本質や源から切り離されてしまいます。
逆に分離を知らずに全体の中にいるだけでは「考え続ける」ことをせずに全てがどうでもよくなってしまいます。
このどちらの要素もとても大切で、この二つの世界を統合して自分にとっての一番心地いい中庸ポイントにいることが大切だと私は信じているんです。
そしてそのバランスはみんな違っていいんです。
光に向かってポジティブに上に向かっていくことも(本当は上下なんてないのでしょうけど)、影や闇を見つめてそれを受け入れていくことも本当に大切なんです。
でもどちらかに留まる必要はないと私は感じているんです。
どちらをも受け入れているから中庸という場所が見えてくる。
そしてその中庸のポイントはその人の質、環境、状況、立ち位置でそれぞれ違う。
でも頭だけで中庸が良いからと無理矢理行こうとしてもここには行けないなーとも感じます。
意図してできることと、意識しちゃうとできないことってあるから。
ある程度進んだ先の『委ねる』世界。
意図して意識化して目標を決めそれを行動した先の『委ねる』であって、何もしていないのに『委ねる』のはただの逃避になってしまう。
頭も体も心も魂も全てが一致しないとここに行けないのでしょう。
私はポンコツなので、目指す先に確信を持っていても何層にもなっている無意識化の中にある『不安』『恐怖』『罪悪感』『無価値観』などが出てくるとブレブレになります。
でも、そこに気づいているから中庸の場所に戻るいつくかの方法を作って実践しています。
とにかくそこに蓋をせずに感じきる。
時には散歩やエクササイズなどで体を動かしてすぐ戻ることもあるし、やっている時はリラックスしていても終わるとまた思考が反芻を始めるとグラグラしたりなんてこともしょっちゅうあります。
でも、それもいいじゃない、って感じきるように心がけています。
“人がどう感じるか”、“人に迷惑をかけてはいないか”、なんて長年の習慣から根深い反応パターンが出てきて思考がぐるぐるし、湧き上がってくる『違和感』を無視し続けてきたことで気づいたことがあるので、その馴染みのあるパターンを意図的に変えることはしています。
でもかなりのコンフォートゾーンを出ることになるのですが、そこから出たいという気持ちも強いので、時には心を鬼にして自分を律しています。
だからこそ、私のコアの信念である『中庸でいる』を大切に、自分らしくいられるようにリラックスできる時間を意図して作っていこうと散歩中に感じたので、ここにアウトプットして自分へのリマインダーとしています。
そしてこれからも柔軟性を高め、新しい視点をどんどん取り入れていく努力も楽しんでしています。
だからこれからも私はリラックスする時間にいることを習慣化し、生命の木を学び続けていくし、その学びを『生命の木から見るDNA相関図』のワークショップやセッション、神聖幾何学手作りマット製作に生かしていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
学び続け、考え続け、そして経験を生かしたセッションやワークショップを提供しています。
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