2023年4月 社会化見学「北海道」その2 | ママの参考に! 中学入試のプロ家庭教師@千葉周辺 のブログ

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ノートの書き方を重視し指導します。
家庭教師、教場指導、選べます。
教場指導は幕張本郷で行っており、復習がまわらない子や理解出来ない子の空間です。
近隣はもちろん、成田、浦安、酒々井、八街、大網白里、松戸、三郷、流山などから、毎年集まっています。

今回は、受験とは関係ない記事となります。興味ない方は画面を閉じてください。
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まずは、倉本先生のお言葉を・・・
おっしゃるとおりですねぇ!
 
「今回の北海道訪問の最大の目的」
私が愛するドラマ「北の国から」感じることです。
全編何度もセリフを覚えるほど見ましたが・・・
北海道の地、富良野の地、麓郷の地に行ったことないのでは、しょうがないのです。
 
 
■「五郎さん」
何でも作っちゃう人
何でも直しちゃう人
へそを曲げると手のつけられない人
すばらしいです。
 
ドラマの舞台は、富良野市麓郷です。
富良野市の現人口が2万人ほど、そのうち麓郷には130人ほどが暮らしているのどかなエリアです。
 
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麓郷が拓かれてから80年だそうです
北海道の地名はアイヌ語がもとになっているものが多いのですが、麓郷は違います。当時の東大演習林主任の「座間 孝雄」さんという人が、「大麓山のふものと村だから、麓郷というのはどうだろう?」と考え、命名されました。
 
麓郷は地元の人口が極めて少なく、演習林内に農耕に適した土地が5000ヘクタールもあったことから、林内殖民をすすめて労働力を得る方法がとられました。
 
さて、その演習林の開拓ですが、山部地区が明治40年、西達布地区が明治40年、布礼別が大正6年にそれぞれ開拓がはじまりました。麓郷の原始林に初めて斧が入れられたのは、1918年。大正7年のことでした。東大演習林の指導で、付近から300人もの労働者が投入されました。
 
やがて、1921年。大正10年。いよいよ、第1次農地払い下げ希望者を募集したところ、76名が願い出ました。この1921年をもって、麓郷の開拓の始まりとしています。
 
この76名の中には、本州からの人もわずかにいますが、主に道内からの入植者です。
「もっと広い農地がもらえて、うまくいきそうな土地があるぞ」との話を聞きつけてとなりの布礼別からやってきた、20名も含まれていました。
 

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と、この麓郷を舞台として「北の国から」が生まれたわけですね。ちなみに、倉本先生も、昭和53年に富良野に移住されています。ここから先は、聖地巡りです。このために麓郷にやってきました。

 

 

 

■麓郷バス停

この麓郷のメインストリートです。

 

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ついに来たぞぉ!とウルウルしていました。

このバス停は劇中で何度も「別れ」のシーンで使われました。

 

 

■最初の家

穴だらけの家ですね。

「電気がなかったら暮らせませんよッ」

「夜になったら眠るンです」

「眠るったって。だって、ごはんとか勉強とか」

「ランプがありますよ。いいもンですよ」

という伝説のやり取りがあった家です。

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冬期閉鎖で見られなかった・・(涙)

 

 

■吉本家

つららちゃんと辰巳兄弟の家です

 

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ちなみにこの隣は、寛治の無農薬畑です。

 

 

■純と蛍の小学校です。

 

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分校だったのですが廃校となり、今は公民館として使われていました。

 

 

■麓郷市街地交差点付近

 

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麓郷のメインストリートです。

案内標識が同じですね。

 

 

■正吉が蛍のために花を集めた場所

 

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はっけーん!!

オオハンゴンソウという植物です。夏になると黄色い花を咲かせますが、冬はご覧のとおりです。

 

 

■純と正吉が暮らしたアパート

 

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富良野駅からクルマで5分ほどのところにありました!

 

 

 

■純と結ちゃんが出会った羅臼港

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■純がトドに呼ばれた温泉

 

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みつけました~!

干潮時のみ入湯できます。知床国立公園内にあります。

 

 

■純が羅臼で暮らした番屋

 

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レプリカが作られ、食堂となっています。

 

 

■純と蛍が運んだ石

 

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このあたりは、石がゴロゴロ落ちています。

「タダの材料みつけたぁ」

と、丸太を300万で全て売ってしまったとき、中畑さんにそういいましたね。

 

 

■雪子おばさんの自宅兼アトリエ

 

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■丸太で作った家が燃えたあと暮らした家

正吉が丸太小屋を燃やしてしまった責任を感じ、お金を持ってきたシーンです。

「俺、おじさんのこと、本当の父親だと思っていますから」

 

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中畑さん所有の小屋を借りて、しばらく暮らしていました。

 

 

■すみえと正彦のために建てた家

 

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■正彦から学習したバイオ発電

 

 

■布部駅

 

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麓郷からクルマで15分ほどかかります。

 

 

■石の家、石の風呂

 

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この向こうにあったのですが・・・

冬期閉鎖でいけなかった(涙)

 

 

■中畑さんの木材屋

 

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すぐに分かりました。

「中畑木材工業」と看板を掲げてくれています。

 

 

■小野田旅館

 

 

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劇中では居酒屋として使われることが多かったのですが、実在の旅館です。

 

 

■純がれいちゃんの自転車を直した場所

 

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展望台の近くでした。

ここは麓郷市街地から結構離れている場所です。

こんな長距離をチャリ通する設定だったのですね~

 

 

■雪子おばさんのお店

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富良野のホテルの一角にありました。

 

 

■結が羅臼から富良野に来て入ったセイコーマート

 

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他のテナントが入っていましたが・・・・ここです!

富良野へ嫁ぐ覚悟で、コンビニとか市役所とか神社とか、調べていたシーンです。

若い二人の門出に、BGMは山口百恵の「コスモス」が選曲されていました。

 

 

■富良野神社

不倫の末に身ごもった蛍を、草太にいちゃんからの依頼で純の親友・正吉が嫁として受け入れる覚悟をし、この神社で結婚式を挙げます。さらに「2002~遺言~」では、純が後に伴侶となる結が参拝にきたところを後をつけて様子を見ていた場所として登場しています

 

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■寛治の無農薬畑

寛治の無農薬畑で疫病が発生。

それを聞きつけた草太にいちゃんが、すぐにトラクターで農薬をまいた畑です。

「お前、農業を甘く見すぎたな・・」

夜逃げした寛治の畑や家などは、全て草太にいちゃんの物となり、もめたシーンがあります。

 

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■丸太小屋が燃えた場所

 

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セットを燃やしたのではなくこの場所に燃やすための建物を建てて、燃やしたそうです。

 

他にもたくさん回ったのですが、このくらいで・・・・

 

すごい満足感とともに、帰宅しました。

30年以上もやもやしていたことが、全てクリアになりました!

 

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