患者会に入らなかったワケ | 昔、卵巣がんだったことがあったような~(^^ゞ

昔、卵巣がんだったことがあったような~(^^ゞ

旧ブログ名は「卵巣がんでした~(T^T)→勝手に治った宣言v(^O^)/」
大学病院で卵巣腫瘍を切除
 →卵巣癌Ⅱc期ですと~ぉ(T^T)
 →もう一回手術~(T^T)
 →抗がん剤も~(T^T)
 →勝手に治った宣言v(^O^)/
 →めでたく終診\(^O^)/

オフ会の後、患者会の話がおもしろかった、とさ○ら丸さんがコメントしてくださいました。
なるほど、そんなとこがね~と、久々に毒舌系記事を書いてみようと思い立ちました。
ドラッグラグなど社会的な問題に対して実績ある活動をされている団体もありますし、
患者会そのものを否定するものではありませんので~
私ががん患者だったそのときに患者会というものに対して感じた個人的な感想です、ふふふふ。


初回手術の前、ほぼ悪性でしょう、という診立てをされた頃のことです。
流産から半年が経ち、やっと妊娠の許可が出た矢先、
ちょうど同僚たちが次々と妊婦化していた時期でもあり、
私は半ば意地になって妊孕性温存を望んでおりました(←昔話風)。
ひととおり卵巣がんの治療に関する情報を得て、
ステージI期までで明細胞腺がん以外のセルタイプなら可能性があるとはわかったのですが、
実際に温存治療後に赤ちゃんを授かった方がいらっしゃるのか、と疑問に思い、
同年代の方を探してネット検索している最中にス○イリーの存在を知りました。

サイトのトップには亡くなった会員の方が残したティールリボンノートという冊子が大きく紹介されており、
まずは1冊購入してみようとメールを送りました。
ほどなく代表の方からお返事をいただいたのですが、
そこには、日ごろから国会や厚生労働省に行っていると~、
どこそこで講演をしたときに~、先日ある大学病院の先生とお茶したのですが~、
お近くの大学の○○教授にもしょっちゅう学会などでお会いしているのですが~、
というような内容が書き連ねてあり、んん?と目が点に。
最初は会員になってもいいかな、と思っていたはずなのですが、
なんだか思ったのと違うぞ~、と感じながら数回メールをやりとりしてそれきりになりました。


実は、通院先の大学病院の中にも婦人科系がん患者会があります。
婦人科の医師が治療の終わった患者に声をかけて作った会で、
病院の全面的なバックアップの下に活動している団体です。
患者本人の自発的な動機から発足することが多いこの手の団体としては、
少々異色な存在かもしれません。

その頃の記事にも少し書いていますが、
外来の看護師さんに、こちらの患者会ってどうですか、と訊いたら
ああー、☆さんにはおススメしないですよー、ときっぱり返されました。
どうして?と尋ねたら、年齢層高いし、治療も新しくなってきているから、
あんまり参考にならないんじゃないかな、と言われました。

入院中、患者会からのクリスマスカードね、と病棟師長さんが
全員にぽいぽいっと同じカードを配布していったのですが、
よいクリスマスをお過ごしください、と書かれていて、微妙な思いになったり、
病棟の中で開催された患者会の例会のお題が「クリスマスリースを作ろう」で、
入院患者さんたちがその集団を遠巻きに眺めているのを見てしまって、
ちょっとイライラした気持ちになったりもしました。

そんなわけでこちらに入会するつもりはほぼなかったのですが、
患者会会員の方が数名当番制で婦人科病棟内のデイルームに常駐していたので、
退院前に一度だけ声をかけてお話しをきかせてもらいました。
そのとき、抗がん剤治療の副作用はどんなふうに乗り切りましたか、と質問したのですが、
先生に全部お任せすれば、なんとかしてくださるから、という答えでした。
食べ物はどんなものなら食べられました?という問いかけには、
病院の給食だったし、どうしてもダメなときは点滴ね、と。
あの~、私外来でケモやるって今言いましたよね~、と喉元まで出かかったところで、
私が10年前に治療した時は半年も入院したきりで大変だったわ~、続いたので、
むむむむ、看護師さんの言っていたのはこういうことか、と納得したのでした。

別れ際に、来月婦人科の先生方を招いてシンポジウムをやるからぜひいらしてね、
チラシを渡されて、これからケモだって言ってるのにさっ、と心の中で毒づいたという(笑)


そんなこんなで、自分には患者会というのは合わなそうだな、と確信するに至り、
以降、そういった団体にアクセスすることはありませんでした。そういえば、
「そういう名称の組織の会員になったら、ずっと患者でいなければならないってこと?」
と屁理屈をこねてみたりもしたな~






がんの患者会は、発足したときは間違いなく「患者」本人の団体であるのだけれど、
年月が経つうちに初期のメンバーが「患者」ではなくなっていくのでしょう。
もともとは自分たちのための活動をするセルフヘルプグループだったものが、
新しい患者を会員として迎え入れ続けるうちに、
古いメンバーが新しいメンバーを支援するサポートグループに変質するのだろうと思います。

自分たちが自分たちのためにやりたいと思うことをやっているうちはいいけれど、
新しく患者になってしまった人のために、
これから患者になるかもしれない人のために、
と自分ではない誰かのために良かれ、と想像力を駆使することが、
皮肉にも会の活動と新しい患者のニーズが乖離していく要因なのかな、とも思います。
長く活動しているうちに、幹部会員と医療側との関係のほうが深くなり、
一般会員が置いてきぼりになることもセルフヘルプグループではよくあることで、
逆に新しく会員になった方が「会は何をしてくれるの?」とお客様化することも。

最初の手術から丸3年が過ぎた今、当時を思い返し、現在の自分を顧みると、
これから治療に向かおうという方や、しんどい治療の渦中にある方には、
あのときの自分が感じた違和感と同じものが、
きっと私の中にも感じられるのではないかと思います。

現在治療を受けている患者さんの思いを
数年前に治療を終えた人が代弁するのは不可能だと、まず私が肝に銘じて。


今、厚生労働省のがん対策推進協議会でがん患者のピアサポートが議論されています。
病院の管理下で研修を受けたがん患者が別の患者の話を聴くという形を想定しているようですが、
うまくいくのかなー、と思ってしまう私です。
治療のことは全面的に医師や看護師のお世話になる他ないし、
様々な社会制度の利用に関しては、ソーシャルワーカーを頼ってもいいけれど、
日々の過ごし方やがんと診断された後の生き方のような個人のプライベートな部分まで
病院という場で抱え込もうとしなくてもよい気がします。
そういう部分への支えは医療ではないし、それを心のケアと呼ぶのも違うと思っています。

ここまで書いて、あのとき自分が強く求めたのは、この部分なんだな、と思いました。
なんというか、うまく伝えられなくてもどかしいけれど、
このブログを通じてできたつながりが、
そのとても大切なところをしっかりと支えてくれました。
おかげさまで私の人生、ものすごーく豊かになりました。
感謝します。