タクシーに乗り込み走り出すのを待って、初めて振り返った。
きょろきょろとウィンドーから見えるデパートの中を見回したが、何も分かりはしなかった。
本当にそれっきりだった。
男がどうなったのか、ボクには知る術もなかった。
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タクシーの中でポケットを探ってみた。
1万円札が数枚入っていた。
別に金が欲しい訳ではなかった。
行きずりのボクに金を渡すとは、一体どんな気持ちだったのだろう。
きっとこれが、あの男にとって出来る精一杯なのだと思うと、男のこれからを思い気持ちが沈んでいった。
もっとちゃんと受け入れられる身体であったならと、今更ながら済まなく思った。
しかし、その後もボクの生活は、絶え間なく続いていく。
倦んで、疲れて、飽き飽きとしながらも。
店が暇でいつものように小説を読んでいた時、道場から何か楽器の音が聞こえてきた。数ヶ月勤めているが、初めてのことだった。
その音色に誘われるように行ってみると、ママが琴を弾いていた。
店のママは、意外なことに琴の師範だったのだ。
それからは、時折奏でる琴の音に誘われて、居合の男達が来ない日も覗きに行くようになった。
「マドカちゃん、興味あるの?」
「え、ええ。和楽器なんて間近で見たことがなかったから、珍しくて。それに、何だかいいなあって。」
「興味あるなら、やってみる?」
「え・・・、いいんですか?でも、できるかなあ。」
「出来るわよ。何か、楽器はやったことある?」
「下手ですけど、中学までピアノを。高校では、クラリネットを。」
「あら、それなら大丈夫よ。やってみなさいよ。琴は古いのがあるから、貸してあげるわよ。」
最初は、童謡のような単音で弾ける易しい曲の教本を与えられて、基本的なことのほんの触りだけ教えてくれると、自由に弾かせてくれた。
初めて見る箏曲の楽譜は、縦書きでしかも漢数字が音符の代わりだった。見慣れない楽譜に戸惑ったが、逆に言えば13個しか音符がない訳で、慣れると覚えやすいかも知れないと思った。
ボクはのめり込んだ。
仕事そっちのけで、没頭した。