タクシーに乗り込み走り出すのを待って、初めて振り返った。

きょろきょろとウィンドーから見えるデパートの中を見回したが、何も分かりはしなかった。

本当にそれっきりだった。

男がどうなったのか、ボクには知る術もなかった。

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タクシーの中でポケットを探ってみた。

1万円札が数枚入っていた。

別に金が欲しい訳ではなかった。

行きずりのボクに金を渡すとは、一体どんな気持ちだったのだろう。

きっとこれが、あの男にとって出来る精一杯なのだと思うと、男のこれからを思い気持ちが沈んでいった。

もっとちゃんと受け入れられる身体であったならと、今更ながら済まなく思った。


しかし、その後もボクの生活は、絶え間なく続いていく。

倦んで、疲れて、飽き飽きとしながらも。


店が暇でいつものように小説を読んでいた時、道場から何か楽器の音が聞こえてきた。数ヶ月勤めているが、初めてのことだった。

その音色に誘われるように行ってみると、ママが琴を弾いていた。

店のママは、意外なことに琴の師範だったのだ。

それからは、時折奏でる琴の音に誘われて、居合の男達が来ない日も覗きに行くようになった。


「マドカちゃん、興味あるの?」

「え、ええ。和楽器なんて間近で見たことがなかったから、珍しくて。それに、何だかいいなあって。」

「興味あるなら、やってみる?」

「え・・・、いいんですか?でも、できるかなあ。」

「出来るわよ。何か、楽器はやったことある?」

「下手ですけど、中学までピアノを。高校では、クラリネットを。」

「あら、それなら大丈夫よ。やってみなさいよ。琴は古いのがあるから、貸してあげるわよ。」


最初は、童謡のような単音で弾ける易しい曲の教本を与えられて、基本的なことのほんの触りだけ教えてくれると、自由に弾かせてくれた。

初めて見る箏曲の楽譜は、縦書きでしかも漢数字が音符の代わりだった。見慣れない楽譜に戸惑ったが、逆に言えば13個しか音符がない訳で、慣れると覚えやすいかも知れないと思った。


ボクはのめり込んだ。

仕事そっちのけで、没頭した。


良くも悪くも、そんな関係は長くは続かなかった。

ある日、アパートに電話があり、今からデパートに来てくれないかという。

「どういうこと?」

「渡したい物があるから、とにかく来て欲しいんです。」

様子が変だったが、取り敢えず行くことにした。

***************


デパートの化粧品売り場で、ぶらぶらとしながら男を待った。

男から接触して来ない限り、こちらからは如何ともし難い。

電話の様子がどうもおかしかったので、あまりきょろきょろせずに買い物客を装った。

もう来ないのかと思われ諦め掛けた頃、後ろで振り向かないで聞いて下さい、と声を掛けられた。

サンプルのフレグランスを、手首に吹きかけ頷いた。

手首を鼻に翳して匂いを嗅ぐと、また男が言った。


「マドカさん、自分はもう捕まります。きっと、これっきり会えないと思います。」

「どういうこと?」

「デカが貼りついています。多分この後、また逮捕されます。だから、これ、少ないけど受け取って下さい。」


下ろした手に、何かを渡された。金だということは、すぐに分かった。


「受け取れないよ。それより、何で捕まるの。思い違いじゃないの?」


最近では、相当シャブを打っているようなので、男の妄想ではないかと思った。金を押し返そうとしたが、男の手がそれを拒んだ。

男の手は大きくて、冷たかった。


「短い間でしたけど、自分、マドカさんに会えて本当によかったです。」

「・・・。」

「マドカさん、お元気で。」

「ちょ・・・。」


男の気配が慌ただしく去って行く。

ボクは振り返らなかった。

妄想だと思うのが9割、しかしあとの1割はもしかしたらという思いもあった。

握り締めた手をさりげなくポケットに突っ込み、ゆっくりと歩きながらその場を後にした。

出口に向かうボクの視界の先に、男が走って行くのが見えた。

ボクはその出口に向かうのを止めて、別のドアへと向かった。

走り出したいのを我慢して、タクシー乗り場へと歩いた。


タクシーに乗り込み走り出すのを待って、初めて振り返った。

きょろきょろとウィンドーから見えるデパートの中を見回したが、何も分かりはしなかった。

本当にそれっきりだった。

男がどうなったのか、ボクには知る術もなかった。



呻きながら果てる男を、声を殺して受け入れていた。

せめて、最後だけでも受け入れてやりたかった。

チカリと痛みが走った瞬間、男の脈動が伝わってきた。

目の奥で星が散っていた。

**************


その後、痛みと共に男はボクから出て行った。

済まなかったと労られたが、自分で望んだことだから気にするなと、ボクも男に言っていた。

しかし、行為に及んだのはそれが最後だった。


それというのも、ケンゴウがサラ金で働くようになってからというもの、昼間は誰も訪れなくなっていたのをいいことに、内緒で自室に男を招き入れるようにしたからだった。

市内のホテルに逗留しているので、部屋に来て欲しいと言われたが、そんなところにのこのこ出掛けていけば誰に会うとも限らない。

それなら、まだ自室の方がマシだと思ったのだ。

それでも、自室に二人きりで居ても、やはり落ち着かなかった。

昼間、ケンゴウが帰ってきた例しなどなかったが、会っている間中ドキドキしていた。

とりとめもなく喋るだけで、まるで茶飲み友達のように付き合った。


かと言って、店に来ない訳でもなかった。

相変わらず、数時間、マッサージ台の上で座ったり横になったりして過ごしていった。

昼間も会っているにも拘わらず、何度も店に来た。

何もしないが、最初に言ったとおり、金には困っていないのだろう、過分に金を置いていった。

謎の部分の多い男だった。

男はかなりシャブをやっているようで、上物だからとボクにも勧めたが、何かあった時に足がつくことも気になったし、ネタがどんなものかも知れないので、後ろ髪を引かれつつ断った。

男も、しつこくは勧めなかったが、更に勧められていたら、ボクは乞食のように恵んでもらっていたかも知れない。

薬の所為もあるのだろうが、段々と態度が落ち着きのないものに変わり始め、そんな男を見るのは次第に憂鬱になった。


良くも悪くも、そんな関係は長くは続かなかった。

ある日、アパートに電話があり、今からデパートに来てくれないかという。


「どういうこと?」

「渡したい物があるから、とにかく来て欲しいんです。」


様子が変だったが、取り敢えず行くことにした。