昭和と聞いて思い浮かぶのは?
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昭和43年生まれの私としては、
昭和は64年1月7日で終わることからざっくりと20年間、
平成は昭和よりも長いざっくりと30年間、
令和は8年だから、丸7年かな。
昭和と聞いて思い出すものはなんだろうか。
家電の三種の神器、電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ。
まぁ、これらは私が生まれる前からあったので、
3C、カラーテレビ(Color TV)、クーラー(Cooler)、車(Car)かな?
幼少期、白黒放送も記憶にはあるし、カラー放送は画面にカラーって書いてあったり、テレビのアスペクト比は3:2だったり、テレビの上にアンテナを置いたりした。
テレビ自体はあったが、クーラーや車は家にはなかった。
クーラーを取り付けたことも記憶にあるし、車を買ったことも記憶にある。
エアコンじゃなくてクーラーだからね。
暖房はコタツ、石油ストーブが一般的だったが、
小学校の教室では石炭ストーブだったりもしたので、
石炭の入ったバケツを教室に持ってきたりするんだよな。
車は長子の私が社会人になるまで家族で免許を持っている人は居なかった。
私が免許を取るとなったら、母、弟、妹が一斉に免許センターに通って、
社会人で土日しか通えなかった私が、一番遅くに免許を取得するに至った。
昭和は戦争の歴史もあるが、高度経済成長の歴史でもある。
バブル経済を知っているかと言われると、多少は記憶にはあるが、
自分は埼玉の山奥の大学へ通っていたので、東京に住んではいても、
都心というか繁華街ではないので、札束振ってタクシーを停めるようなものは、
一切見てこなかったのである。
記憶にあるのは、1ドル360円時代である。
ずいぶんと円が安い時代だったんだよね。
昭和は高度経済成長期だったから、給料も良かったとか、
現代の人はいうかも知れない。
平成はバブルが弾けて、経済は横這いで、失われた30年なんて言われた。
本当にそうなのだろうか?
あれは、経済学者が勝手にそう呼んでいるだけで、
それによって消費が減っただけではなかろうか?
私から言わせれば、日本は技術力を表に出て目立つものから、
表からは見えにくい目立たないものへとシフトしていったんだ。
目立つものは世界から叩かれてしまうからね。
表からは見えにくい目立たないところ、
基幹技術は、特許もあるし、簡単にはコピーできないってことなんだ。
つまり、基幹技術なしでは新製品もないわけで、叩くに叩けないところということだ。
昭和の時代はダイヤル式の黒電話で、プッシュホン回線が出てきて、
一家に一台電話機が置かれ、外に出れば公衆電話だらけだった。
昭和末期あたりに、ショルダーホンが登場はしたが、
高額なレンタル料だったことから、特定の人だけが持っているという状況で、
それが小型化されて、ガラケーと呼ばれるようになって、
カメラが付いて、QRコードを読み取れるようになって、
インターネットも繋げて、リチウムイオンバッテリーも交換できて、
LEDディスプレイになって、アプリでナビも付いて、Suicaも使えて、…
これらってのは、リチウムイオンバッテリーは、日本人の発明だし、
QRコードも、青色LEDもそうだ。
ナビもホンダから始まったし、Suicaとかは日本だけが速度にこだわった。
つまり、ガラケーってのは日本の技術力の結晶だったんだよ。
それが、iPhoneの登場で、
新しいもの好きで小金持ちの日本人が食いついてしまった。
良く考えて欲しいのだが、画面が大きいこと以外に、
ガラケーで出来ないことってそんなになかったんだよ。
電池持ちだって、電話とEメールくらいならば、数日充電せずとも
使えたし、バッテリー交換も出来るからね。
さて、昭和は金持ち、令和は貧乏って言うけれどもさ、
昭和の時代は一家に一台テレビがあればよかったし、ない家もあった。
電話もない家が普通にあった。
3Cだってそうだ。
令和の時代に、個人でスマホを持つようになって、
それって本当に貧乏なの?って思ってしまうんだよね。
昭和の時代は、うちはうち、よそはよそって言ったんだよ。
誰かが持ってるからといって、うちも持たなければいけないってことはなかった。
しかし、生活は質素だったかもしれないが、
そこにも小さな幸せは沢山あったんだよな。
それを知っている世代としては、基準はとことん下において、
小さな幸せを贅沢だと思えるんだよね。
結局は、基準をどこに据えるかってことなんだよね。
あんだけガラケーを販売していた企業さん、
今一度、バッテリー持ちの良い、電話とEメールと、QRコードと、
コード決済や電子マネーが使えるが、
複雑なアプリなどはインストール出来ないような
ガラケーを作りませんか?
OSはTRONで作りましょうよ。
ではでは
