時間の大切さを感じた瞬間は?

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時間の大切さ。
 
よく、時間は平等に流れるみたいなことをいうが、
その考えは怪しいと思っている。
 
楽しいと思えることをしているときの時間の進み具合と、
つまらないことに時間を消費しているときの時間の進み具合とが、
感覚的に違うと感じていることだ。
 
そもそも、時間という概念はなんだろう。
 
自分は物理が苦手な理系男子である。
 
なぜ苦手なのかと考えると、
それも良くわからない。
 
数学と物理学、似ているようでアプローチが全く違う。
 
自分にとって相対性理論も懐疑的である。
 
観測者の視点に経つと、その観測地点の状況により、
時間の進み方が異なる。らしい。
 
そのように見えてしまっているのは、
おそらく光速度不変の原理に基づいているからなのだと思われる。
 
自分は光の速度は不変ではないと思っているから、
立場が違うんだろう。
 
真空中という状況であれば、そうなのかもしれないが、
この宇宙には定義通りの真空なんて存在しないんじゃないのだろうか。
 
そもそも、自然現象を一つの数式で扱えたら便利なんだろうけれども、
そんな簡単なものではないだろうとも思っている。
 
考えなければならない要素が多すぎるんだと思う。
 
時間の大切さってなんだろう。
 
人の寿命は個々に違う。
 
0歳で命を落とす人もいれば、100歳生きる人もいる。
 
時間を大切にって、0歳で亡くなった人に対して言えないよな。
 
自分が大切に出来なかった時間を、
若者に時間の大切さを説いても、
なんかおかしな構図になっていると思うんだ。
 
年齢を重ねると、
時間の進む速度が年々速くなっていると感じる。
 
これは、自分の脳のスペックが低下しているからなのだろう。
つまりは、老化ってことだ。
 
高性能なパソコンが、数年使い続けていると、
購入したばかりのころの性能が出ていないってことはよくある話。
 
これは、ハード的な問題もあるし、ソフト的な問題もある。
 
歳を取るとは、得てしてそういうものなんだろう。
 
 
仮に、人類が不老不死を手に入れてしまった世界があったとして、
いつまでも肉体的にも精神的にも若々しくいられたとしても、
時間の大切さは変わらないのだろうか。
 
限りある命だから、時間は大切なんだろう。
何に時間を使うかは、本人が決めるべきであり、
他人にどうこう言われて変えるものでもないだろう。
 
結局、全責任は自分にあって、
責任を他人に押し付けてもしょうがない。
 
 
ではでは
 
PS:
時間と聞いて、思い出すことがある。
 
八王子勤務時代、三鷹にある国立天文台のサーバーの仕事が入って、
自社製のタイムサーバーの存在を知った。
ああ、日本の標準時は、うちのサーバーが決めているんだ。
なんて思ったりもした。
 
この情報で、私が在籍していた会社がバレてしまうな。
 
時間なんて、概念であって、
物理的な時間は、何台かのサーバーで、
最大と最小を取り除いた残りの平均で決まっていたりする。
 
それくらいの精度で、滞りなく進んでいるのだろう。