病院での思い出ある?
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自分は一日入院したとかはあるが、長期入院の記憶はない。
身内でいうと、弟と父が長期入院していた時期がある。
弟は今でも元気だが、幼少期は大手術を必要とする病気でして、
手術前に長期入院している。
時期的には、私が幼稚園児のころや小学生の低学年のころのこと。
弟は板橋の日大病院に入院していて、
当時は江古田駅からタクシーでお見舞いに行っていた。
私はというと、大泉に一人で居るわけにもいかず、
伯父、伯母、6つ上の従兄の居る椎名町の家に預けられることが多かった。
父は池袋の店で働き、母は毎日看病で病院に居て、椎名町で私を拾って大泉に帰ったのだろうか。
いや、その辺の記憶は欠落しているんだ。
自分が病院に行くことはあっても、長居出来るような大人しい幼児なわけでもないし、椎名町に預けるのは正しい判断だろう。
そもそも、生まれた町であるためか、駅に降りると伯父伯母の家に勝手に歩いていくような幼児だったらしい。
住所的には南長崎なので、当時の椎名町駅は北口しかなくて、どうしても踏切を渡る必要があったので、子どもだけでは危険であることはいうまでもない。
弟が入院していた時期は、ちょうど超合金が流行っていたのか、
弟へのお土産はロボコンの超合金で溢れていたのを覚えている。
なぜか、日大病院の中のお店に、超合金が売っていたのも不思議な光景だが、
今にして思えば、小児病棟があったということに他ならない。
自分はマジンガーZの超合金を買ってもらった記憶はあるが、
他の超合金はすべて弟のものだったと思う。
まぁ、ここでひねくれたりしなかったのは、なぜだろうかと考えると、
超合金よりも別の遊び、ブロックやレコードに夢中になっていたんだろう。
弟のものといっても、あまりにもロボコンのキャラクターが沢山あって、
どう考えても、弟一人で遊ぶには集まりすぎていたとも言える。
さて、父の入院や転院だが、同時期に伯母も入院していて、体力的にも辛い時期だった。
伯母の葬儀が12月末にあって、その半年後に同じ葬儀上で父の葬儀をした。
伯父は、私が5歳のころに亡くなっており、弟の入退院の時期とかぶっていたりもする。
伯父の入院先には病室に入れてもらえずだった。
伯父の死が、一番最初に経験した身内の死である。
それから数年後に父方の祖父の死である。
自分は長期入院した記憶がない。
長くても、一日くらいで退院する。
ブログに書いたかもしれないが、喘息の発作で、
光が丘の救急病院に行ったら、ずいぶんと待たされた上に、
点滴2本もやって、更に時間がかかったこともあった。
それなら、さっさと診察して点滴していたら、
あんなに苦しい時間を過ごすこともないのにと思った。
入院は退屈である。
それが長期となれば、何かしら暇を潰すようなものが必要になる。
入院とか病気に悩まされないような時代が来るのだろうか。
おそらく、そういう時代が来るとしても、
私はその恩恵を受けることはないだろうな。
ではでは
PS:
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ハッシュタグが、今日は母の日2025になっているが、それはそのまま証拠として残し、今日は看護の日2025を追加しました。
なんか、こういうエラーが未だに残っているのが、アメブロのダメなところだよな。
