身近にできる難民支援を考えよう

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難しい問題だってことは重々わかっている。
 
だけれども、金銭的な支援ってのは、ちょっと違うなと思っている。
また、箱物を乱立するのも違うだろうと思っている。
難民を自国に招き入れるってのも、これも違うと思っている。
魚を与えるのではなくて、
魚の釣り方を教えるというのが、
本当の支援だと思っている。
 
返せない金を貸して、
その見返りに港を使わせろとか、
それは非人道的だよな。
 
でも、難民からすると、
明日の一万円より今日の千円
という感覚なのかなと思っている。
なので、直接的な支援を要求しがちである。
これでは、いつまでも変わらないし、もっと悪い方向へと進む。
 
どんな大国も何十年も支援し続けるなんてことは出来ない。
何らかの見返りを考えているが、
それすら見込めないことが分かれば、
さっさと支援するのを辞めるだろう。
 
まず、国ごとに文化も違えば、言語も違えば、宗教観も違えば、食生活も違う。
異国で生活するということは、そういったことを考慮しなければいけない。
 
でも、そういったアイデンティティは捨てたくないとか。
 
これでは、どうにもこうにも出来ません。
お手上げです。
 
なんで、受け入れる側の国や国民が変化しなければいけないのか?
それは違うだろう。
 
そもそもどうしたいんだろうか。
 
戦争している、紛争している地域から抜け出して、
安全な国で生活したい。
 
これは、母国を捨てるという勇気や覚悟が必要なわけで、
慣れ親しんだ宗教観などを一旦捨てる覚悟が必要なんだよ。
 
そもそも、その紛争とやらも、
宗教がらみなのではないか?
 
なんで、そんな紛争を起こしている宗教に固執しているのか、
 
神様は争いをしろと言ってるのか?
 
宗教ってなんだよ。
人を幸せにしてくれるものじゃないのか?
 
どんな神様を信じるかは自由だよ。
だけれども、それを自分以外の人間、
例えば伴侶や子どもにまで強要するものでもないし、
もし強要するような宗教だとしたら、
そこに自由はないということだ。
 
下手に支援をするものでもない。
というのが、厳しいようだが私の結論である。
 
同じ人間だから、
助けなければいけない。
ってのは、そうなのかもしれないが、
助けた側、助けられた側には、
少なからず上下の関係が出来てしまう。
 
平等、公平、公正ってのは、
とても難しいんだ。
例えば、一卵性の双子だって、
全く同じ場所に居られるわけでもない。
密着していたとしても、それは同じ場所ではないのだ。
同じものを食べているって言えるかもしれないけれども、
それは本当に同じものですか?ってことです。
 
移民が無理難題を押し付けて来られても、
そんな簡単に対応出来ないんだ。
 
わがままを通したいのであれば、
祖国にお帰り頂いて、
祖国を変えるのが懸命である。
 
 
ではでは