小学生の頃の思い出で1番印象に残っている事は?
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小学校の頃の記憶、記憶から消したんだよな。
嫌なことが多すぎたんだよ。
なので、結構消せたなとは思うんだけれども、
嫌な思い出は思い出さないようにはしている。
それでも、紐づいて芋づる式に出てきてしまう可能性も否めない。
何がキーワードになるかは解らないのが厄介だ。
自分は理学部を出ているし、
おそらく周りからは理系男子として見られていることだろう。
ただ、これが小学校まで遡ると、
授業はまともに聞いていないし、
ノートも取らない、
なのに算数と図工だけは誰よりも出来たのだ。
本来ならば、理科とかも得意な部類に入ったはずなのだが、
決定的な出来事があって、そっちの興味が薄れてしまった。
それは、担任の一言からだった。
100mLの水に、10gの塩を入れたら、濃度10%の食塩水になる。
算数が出来たのが災いになってしまったのだ。
他にも、
天秤は、糸の長さに依存しない。
といったもので、これも納得がいかなかった。
糸の束を天秤の片方に入れても傾かないってことになる。
もう、担任の発言は信用できるものではなくなってしまった。
なので、未だに物理はさっぱり解らないし、
化学も化学式とかは解るけれども、
どちらもかなり興味がなくなっていた。
小学校時代に、担任への不信感を持ってしまったのだが、
学年が変わっても、ずっとその担任は変わらなかったのだ。
これは苦痛だったし、
更にいうと、いじめも受けていた。
自分の結論は、大人に相談しても、
それは大人の論理の中での解決策であって、
子どもが納得出来るものではなかったのだ。
こうなってしまうと、
時間が解決するか、場所を変えるかしなければならない。
運良く、中学へ進むといじめていたやつは居なかった。
しかも、柔道部に入ったおかげでか、
いじめられる側にはならなかった。
中2になると、小学校の時に自分がいじめられていることをいいことに、
同じ用にいじめに加担する下級生たちがいた。
小学校の時にしめたのに、中学に上がってきても似たような行為をしてきたので、
同じようにしめたら、流石にそれ以降は大人しくなった。
中学時代の自分を知っている人は、おそらく昼休みは外に出ないし、
机に突っ伏している根暗な人間だと思っていたことだろう。
しかも柔道部の部長なんて肩書もあったりする。
高校に入ると、状況はかなり激変していて、
ある意味ヤバいヤツというのがある程度知れ渡っていたようで、
喧嘩を売ってくるような輩は居なかったし、
友達にも恵まれたのかと思う。
高校時代の自分を知っている人は、根暗のイメージはないと思う。
だからといって陽キャかというと、そうではないとは思う。
現代のいじめが、こんな方法で解決出来るかといわれると、
人によっては上手くいくこともあるが、
すべての人が上手くいくとは言えない。
逃げてもいいという価値観は大事だと思う。
クラスで孤立するとか、若い頃はその時がすべてだと思ってしまうが、
学生時代はとても短いんだ。
自殺とかを考えてしまうと、その人生の大半が学生時代になってしまうが、
生きようって思ったら、学生時代なんてあっという間に終わる。
つまらないと思えば、それはそれで長く感じてしまう。
楽しいことは、あっという間に終わってしまうのからも解るだろう。
大人の提案する解決策というものは、役に立つ場合もあるが、
役に立たないことのほうが多いだろう。
まぁ、大人は大人のなかで、出来る出来ないといった
現実を考えてしまうので、致し方ないことなのかもしれないが、
自分たちは子ども時代を経験はしているから、
客観的に判断は出来るんだろうけれども、
時代や環境が違うとその時代はよくても、
今の時代にはマッチしないなんてことは平気である。
つまり、結局は自分で考えないとダメなんだよ。
ものは考えようだ。
学校に通っても、担任が信じられなかろうが、
いじめっこがいようが、
逃げてもいいし、
立ち向かってもいいし、
喧嘩をしてもいいし、
適当にやりすごしてもいいんだよ。
環境が変わるタイミングで、
上手く自分も含めた環境を変える。
そのための準備をすればいい。
いじめっこに付き合う必要もない。
中学、高校へと進めば、担任は変わるし、
いろいろな先生もいる。
友達と呼べる人間なんて、
数人いればいいんだよ。
みんなが友達なんてのは幻想でしかない。
まぁ、ここに書いても、
必要な人に届かなければ、
あまり意味があるとは思えないんだけれどもね。
ああ、思い出したくない担任の顔を思い出してしまった。
いじめっこの顔も思い出してしまった。
どうしてくれるんだよw
ではでは