旅行の思い出は?

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成田空港は、社会人になって、ヨーロッパへの貧乏旅行で行きと帰りに利用しました。
それ以外は、仕事で成田空港に行ったこともあったかな。
 
羽田は100回以上利用したと思うが、99%仕事で、99%北海道の往復だ。
どんだけ北海道出張をしたことか。
空港からは汽車(北海道では電車とはあまり言わない)での移動もあったけれども、レンタカーを借りて行くこともあった。
道内をプロペラ機で移動したこともあったな。
 
仕事で新幹線を利用したのは、大阪の2回と、広島の3回くらいだろうか。
 
入社したてで、まだ社有車を持っていなかったときに、河口湖に電車で行ったこともあったな。
しかも雪降ってた時期だったな。
 
あとは車で、都内と山梨、稀に長野だな。
たまに、大泉に住んでいることは会社も承知しているので、
埼玉や千葉や茨城にも行くことははあったけれども、本当に稀だった。
圧倒的に北海道と山梨と三多摩地区、職場が変わってからは23区。
 
社有車での移動は、ある意味旅行のようなものなのかもしれない。
工具積んで、場合によっては部品を持って、客先に社有車で向かう。
片道1時間とかは当たり前だったりするわけで、自宅から直行するなんてことも普通にあって、現場で1時間、往復の移動で3~4時間なんてのは、
八王子勤務時代は当たり前だったかな。
まぁ、近い客先もあったと言えばあったんだけれどもね。
 
社有車に乗っているときは、好きなラジオを聞いたり、
聞けないにしたらカセットテープで音楽を聞きながらの運転だ。
 
客先に付くと、いきなり怒鳴られるなんてこともあることはあるが、
まともな客は、お茶を出してくれたり、気を使ってくれる。
 
例えば、北海道の出張で、客先が超大手の飲料メーカーのときは、
仕事終わりに懐かしい瓶の黒い液体を栓を抜いて出して貰ったりね。
 
職場が八王子から、都内に移動して、対応マシンもPCサーバー専門になり、
更には24時間対応の顧客を見ることにもなる。
 
24時間待機エンジニアであることは、待機手当も付くし、給料も跳ね上がるのは良いことなのだが、若い内にしか出来ないとても体力の居る仕事だったなと思う。
 
ポケベルがなれば、どんな状況であろうと、
スーツを着て社有車に乗って客先に向かう。
これが24時間といいつつ、2日連続でなので、48時間続くのだ。
 
看護師さんとかは8時間で3交代とかだけれども、
たった1人で都内23区を見ることになる。
 
もし、もとに戻せなかったらどうしようというようなプレッシャーはある。
まぁ、大抵は直せるんだけれども、トラブルが続くこともなくはない。
 
そう言えば、1日に7件の案件をこなしたこともあった。
都心での作業で、作業終わりの連絡を入れ、自宅まで30分くらい車を走らせたら、ポケベルが鳴って、また都心へ引き返すなんてこともあった。
 
まぁ、夜中なので道は空いているからいいんだけれども、
作業が終わったら朝の5時で、家に戻ってもしょうがないので、浜松町のオフィス勤務だったから、オフィスに行って、作業報告とかをすべて済ませて、今日は休みますと連絡したこともあったな。
 
やってることはブラックだけれども、企業的にはホワイトなので、エンジニアは車に乗ったタイミングから仕事をしていることになるので、金銭的にはホワイトだということは解るだろう。
 
だけどね、24時間待機エンジニアをやっていると、眠気覚ましにと車に乗る前に缶コーヒーを2本買って飲みながら客先へ向かうなんてことをしていたからか、体重が増えてしまったし、ぎっくり腰にもなってしまった。
 
更にいうと、ポケベルのような電子音に体が異常に反応する体質になってしまってた。
 
職業病だろうな。
 
この頃身につけた技術的なものは、役に立つものもあるにはあるんだけれども、つぶしが利かないことのほうが圧倒的に多いように思う。
 
ただ、車を運転することはそれほど苦痛ではなかったんだ。
別に走り屋だったわけでもないんだけれどもね。
毎日が旅行気分だったのかもしれないな。
 
ガラケーは持っていたけれども、社有車にはナビなんてものはなくて、新しい都道府県の現場とかになると、本の地図を買うこともやぶさかではなかった。
 
私が自前のガラケーW31CAを買ったときには、新しい職場になっていて、客先に回ることはあっても、社有車で行くことはなくなった。
 
EZナビウォークが使えたのになぁ。
なんかもったいないな。
 
今ならスマホでマップ開いてとかじゃなくて、ナビもやってくれるんだよな。
ずいぶんと時代が変わったな。
 
 
ではでは