最近おすすめの漫画ある?

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最近おすすめですか。
あんまり無いかな。
 
今問題視されている話題について、ちょっと書いてみるかな。
 
原作漫画にしろ、原作小説にしろ、媒体が本である。
アナログであろうと、デジタルであろうと出版社が絡むことになる。
 
例えば、まだ一本も当たって居ない作者の作品がヒットしたとする。
紙媒体であると、増刷というものがって、それによって作者にお金が入る。
 
メディア、媒体とも訳されるわけだが、これはミディアムの複数形である。
メディアで既に複数形の意味があるのに、マルチが接頭語と付くマルチメディア。
接尾語に化が付いて、マルチメディア化といった熟語となる。
 
これが意味するところは、他の媒体に展開していくことを指す。
 
つまり、小説が漫画化されたり、アニメ化されたり、実写化されたり、映画化されたりということだ。
 
ここで、このマルチメディア化するに至ったものが、原作だったり原案だったりするわけだ。
 
例えば、私が幼少期のころ、1960年代の後半くらいからしか解らないが、
梶原一騎(高森朝雄)という原作者がいて、巨人の星は川崎のぼる、あしたのジョーはちばてつや、巨人の星やあしたのジョーを連載する週刊少年マガジンというメディアおよび講談社という企業という図式がある。
 
例えば、石ノ森章太郎という漫画家が居て、仮面ライダーという実写作品を放送するが、方や同時進行で漫画の仮面ライダーもあり、更には児童誌の別バージョンも存在する。
 
ここで大事なのが、マルチメディア化する際のコンセンサスだ。
 
原作者がまだ弱い立場だと、増刷という餌でというか、マルチメディア化による新しい帯が付いての増刷となるのは、喜ばしいことなのか、はたまた喜んでよいものなのかというところなんだろう。
 
原作者の立場が強ければ、その指揮下で物事が動くだろう。
 
しかし、初ヒット作とかでは、なかなかそうは行かないのが現状だろう。
 
それにしてもだ、テレビ業界ってのは、美味しいところだけかっ攫っていくように見える。
 
スポンサーの意向だか、テレビ局の意向だか、そんなことで原作レイプされて世に出されてしまうこともあるというか、ほとんどがそうなのかもしれない。
 
 
例えば、原作がまだ未完の状態で、マルチメディア化されると、まったく違う結果のパラレルワールドとなってしまう可能性も多々ある。
 
それが相乗効果でどちらもウィンウィンならいいんだけれども、どうも紙媒体は弱い立場のようで、更に原作者はもっと弱いという状況が多いようだ。
 
梶原一騎のような大物原作者が、大物と呼ばれるまでになる過程を知らないので、売れるまでは大変だったんだろうなとは思う。
 
 
さて、紙媒体ってのは、ある一定の区切りはあるにせよ、どこで始まって、ページ数だけの問題とも言えるので、単行本化されたとき、最低限1巻分の量があれば、どうにか単行本化されるし、何巻になっても、物語の都合上であれば何巻に跨っても良いとも言える。
 
しかし、これをテレビアニメ化、テレビ実写化となると、放送時間や放送クールという枷が出来てしまうので、なかなか原作通りに忠実に進めるというのは、よっぽどの人気作品で無い限り難しいのかもしれない。
 
だからといって、対等な関係で話し合いをした後に、原作とするのか、原案とするのか、脚色を許すのか許さないのか、そうったひとつひとつの取り決めをしっかりとやった上で、それが確実に履行される環境ってのが出来るというのが望ましいのだろう。
 
 
マルチメディア全てに原作者が関わるということも出来なくはないんだろうけれども、媒体が違うと勝手も違うわけで、それがすべてうまく行くかはまた別問題なのだろう。
 
小説が原作だった場合、人物や背景は漫画家の手に委ねられてしまう。
漫画からアニメ化はまだハードルは低いのかと思う。
実写化はほとんどの場合上手く行かないと思ったほうが良い。
 
それは、漫画という媒体が、この絵だから描ける世界観というものがあるので、それが実写化されてしまうと、うまく行かないってことは往々にして分かることである。
 
原作者は媒体が変わったら、もうその作品は別作品として考えて、完全に手放したほうがいいのだろうか?
 
それは原作者が考えることであって、それにそぐわない方向に向かうべきではないとは思う。
 
ただ、昨今のテレビというメディアの衰退というか、スポンサーとのコンプライアンス云々は叫ぶのに、原作者とのそれは紙媒体はチラシくらいのものと完全に下に見ている風潮があるということ。
 
スポンサーからは視聴率が取れる番組を作れと突かれ、安易に視聴率が稼げるだろうという思惑で、まだ完結していない原作漫画のアニメ化や実写化ということをして、脚本家に視聴率が稼げるようにと脚色を加える。
 
この脚本家というのが、そもそもどんな仕事をするものなのか、原作をそのままだと自分の色が出ないからと脚色を加えるのか。
 
原作者とのしっかりとした約束が守られているのであればまだしも、どうやらそうなっていないのが現状のようである。
 
原作は大事だが、原作者は蔑ろにしていいものでもない。
 
原作者は大抵は個人であるが、マルチメディア展開は企業同士なのだ。
 
原作者がプロダクションを興せるところまでなっていれば、まだ太刀打ち出来るのだろう。
 
例えが良いか悪いか解らない例を出してみる。
 
映画「ルパン三世 カリオストロの城」だ。
 
これはルパン三世映画の第2作目であり、宮崎駿初監督作品でもある。
 
当然原作は漫画のルパン三世であり、原作者はモンキー・パンチである。
 
この映画は今でこそ名作とか言われているが、原作レイプ作品という人もいる。
 
それは原作のルパン三世らしからぬところがあるからで、人を殺さないルパン三世なのだ。
 
この映画によってルパン三世の知名度は高まったかもしれないが、原作漫画とは完全にパラレルな世界観となってしまったのだ。
 
原作者のモンキー・パンチ先生のお気持ちはどうだったのだろうか。
 
売れれば何をやってもいいのだろうか?
 
結果的に知名度が上がったことは良い方向に進んだと言えるのだろうか?
 
では、結果が失敗だった場合、誰に責任が行くのだろうか?
 
それは原作者が背負い込まなければならないのだろうか?
 
自分の描いた漫画であれば、自分の責任の範疇だろう。
 
しかし、他人が脚色を加えてしまったものを、原作者の意向とは違うものだった場合、それを原作者が背負い込むことになるのはちょっと違うだろう。
 
ましてや、完結していない作品の今後の展開を左右してしまうことにも繋がるのだ。
 
 
兎にも角にも、今回の騒動で原作者が守られる方向に進むことを願うばかりである。
 
また、テレビはテレビで脚本家が育たない環境を作ってしまったことに、もう少しどうにかする必要があるのだが、ここまでテレビが廃れてしまっていると、手に負えないのかもしれない。
 
 
さて、紙媒体の小説や漫画も、今では電子書籍というものが一般的になりつつあって、増刷という甘い汁に原作者が惑わされることも減るのだろうか。
 
 
それぞれ立場や守りたいものがあるだろう。
 
難しい問題ではあるが、原作者を蔑ろにするのは、どう考えたらそういう思考になるのか、よく解らないのである。
 
力ない無い原作者を守れるように、どうにかしなければならないのは確かだろう。
 
 
ではでは