また、日本語で遊んでみる。

 

ある、いる、うる、える、おる、かる、きる、くる、ける、こる、…

 

のように、「五十音一文字+る」という動詞を考える。

 

日本語ネイティブであれば、かなりの確率で動詞を見つけることでしょう。


 

ひらがな表記したところは、私の力不足か知識不足かで、

見つけることが出来ていない。

 

というか、ら行だけが見つけられないでいる。

 

当然、上記以外の動詞でも該当するものはあるので、これじゃなきゃダメというわけでもない。

 

また、現代ではあまり使わない読みも出てきてしまっていて、本来の場所が正しいのか怪しいところがあることは、そこはご了承頂きたい。


一番悩んだというか、あちこち移動してしまったのは、居るの置き場所でした。

 

おそらく、現代であれば「居る」は「いる」と読むことでしょう。

でも、関西などでは方言として「おる」と読むところもある。

 

しかし、わ行のゐの字を埋めたいと思ったら、真先に元となった漢字の「為」を連想したのだが、「為る」では「する」「なる」「つくる」といった読みで、「ゐる」にならない。

次に「居る」が思い浮かんでしまったので、あ行い段から、わ行い段へと移したのですが、わ行お段の存在を考えたら、「をる」と当てられるのは「居る」しか思いつかなかったのです。

 

「得る」も最初は「える」って読んじゃって、これ「うる」じゃんって移動させて、「える」を「獲る」としました。

 

「ゐる」、「ゑる」の漢字探しはいろいろと面白かったし、困ったのは「まる」だったかもしれません。

 

「放る」とあったら、現代人であれば「ほうる」や「ひる」と読むでしょう。

人間が大概に排泄物を撒き散らすという意味のある動詞で「放る」は「まる」と読むようです。

 

こんな他愛もないパズルをしていた。

 

 

清音における約50もの音に対して、「+る」することで動詞の辞書形(終止形)として、ほとんど揃っているというところが、日本語の面白いところだと感じたわけです。

 

例えば、英語でアルファベット2文字を連結させただけの動詞って考えると、beとかdoとか思いつくけど、アルファベット26文字を網羅するかと考えると、それって難しいんじゃないかと思ってしまうわけです。

 

また、日本語の五十音表って、日本語の仮名を覚える上で覚えやすいし、なおかつ、動詞の活用としての五段活用とか、上一段活用とか、下一段活用とか、カ変とかサ変といった例外として覚えることの助けともなります。

 

では、アルファベット26文字の並びに何かしらの意味があるのかと考えても、母音が固まっていたりしないし、よく解らないし、それがなにかの役に立つのかと問われると、困ってしまう。

 

日本にも、古くは、いろは歌があって、いろは順というのもありまして、そこに意味があるかと言うと、いろは歌と言った通り、それは歌、詩、であるわけです。

 

いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせすん

 

と48文字の詩となっているし、字余り、字足らずというのはあるが、基本七五調でもある。

 

色は匂へど 散りぬるを

我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
 

という漢字を当てて読むことも出来、

この四行詩を四字熟語で言い換えると、

 

諸行無常
是正滅法
生滅滅己
寂滅為楽

 

と、涅槃経が元になっているとも言われている。

 

まぁ、アルファベットでも、詩にするこは出来る。

 

The quick brown fox jumps over a lazy dog.
素早い茶色の狐は、怠け者の犬を飛び越える。

 

が有名だが、33文字で構成されている時点で、いくつもダブっているものがあることは解ってしまうのが残念である。

 

Pack my box with five dozen liquor jugs.
私の箱に酒瓶を5ダース詰める。

 

は32文字と、1文字減らせていますね。

 

New job: fix Mr. Gluck's hazy TV, PDQ!

新しい仕事:グルックさんの霞んだテレビを直してくれ、なるはやで!
 

5種類の記号が入りましたが、アルファベット26文字が過不足無く使えている例もあることはありますが、人名を使うのはどうかと思うし、略語のPDQは軍隊用語で、Pretty Darn Quick
かなり速いという意味らしい。


Cwm fjord veg balks nth pyx quiz.

円形フィヨルドの馬鹿が聖杯の何番目かの謎を妨害する。
 

略語はないらしいけど、どうでしょうか。

 

まぁ、こんなことで、言語としての優劣を付けるつもりは毛頭ないです。

 

ただ、日本語母語話者としても、日本語学習者としても、五十音表というシステムは優れているなと思ってしまうわけで、平安時代にはいろは歌があったわけで、日本語は変化しながら脈々と日本という限られた空間に生き続けたわけです。

 

 

さて、今回は、五十音表では最初の2文字、ある、いるについて考えて見ようというのが趣旨なのですが、前置きが長くなってしまった。

 

最初は近いとおもっていた、「ある」と「いる」だったけど、動詞としての漢字を当てたら、「ある」と「をる」と離れすぎてしまった。

 

まぁ、現代においては「ある」と「いる」はたまた方言によっては「おる」であるから、そちらでの説明となる。

 

存在としての漢字を当てるとすると、

「ある」は「有る」「在る」「或る」など考えられる。

「いる」は「居る」「要る」などが考えられる。

 

この「ある」と「いる」の使い分けは、日本語ネイティブであれば、おそらく間違えずに使えるだろうとは思うが、日本語学習者にとってはことの他難しい部類らしい。

 

日本人は無意識に使い分けしているのだが、その使い分けの確固たる理由を説明出来るのか?と問われると、言語学者でもないかぎり難しいのではなかろうか。

 

一般的に考えられているのが、

生き物、動いているものには「いる」

生き物ではない物体、もしくは動かなくなった物、そもそも動かないものには「ある」

と考えるとして、これに該当しないものは、とりあえず例外としましょうか。

 

ここからは、様々な例を考えていく。

 

 

例えば、飲み会の前後の会話。

 

車があるから飲めないよ。

終電があるから帰るね。

タクシーがいるから帰るね。

 

電車もタクシーも車も動く物であるが、

方やある、方やいるを使う。

 

電車も、ホームで見かけたら、

 

電車がいる

 

と使うことでしょう。

 

「ある」は「在る」で、存在していることを表現しているのだろう。

方や「いる」は「居る」、そこに居て、待っていてくれているという認識なのだろう。

 

電車は時刻になれば発車してしまうが、タクシーはお客が乗るまではタクシー乗り場に居てくれるし、マイカーも運転手としての自分が行かなければ動かないのは至極当然である。


 

幽霊がいる。

ゾンビがいる。

死体がある。

ご遺体がいらっしゃる。

 

これらの使い分けも、不思議な感じがしますね。

 

死体は「ある」、遺体は「いる」の名詞にも動詞にも敬語表現を使う。

 

これは、日本の文化的表現とも言えなくもないだろうか。

 

 

何かある?

何かいる?

 

といった、暗闇の中の存在を、直感的にどちらかを使って疑問符を付ける。

 

 

例えば、グループで喋っていて、誰かがコンビニに買い物に行く用事が出来た。

その人はみんなにこう聞きます。

 

コンビニ行くけど、何かいる?

 

この場合の「いる」は「要る」である。

必要の要の字ですね。

 

「要る」か「要らない」かを問いているわけです。

 

別の言い方では、

 

コンビニ行くけど、何か買ってきて欲しいものある?

 

この場合の「ある」は「有る」でしょう。

 

「有る」か「無い」かを問いているわけです。

 

この使い分けも、日本語ネイティブであれば使い分けている。

 

 

漢字を中国から借用する以前を考えると、様々な動詞があって、同じ読み方で複数の意味があったのではなかろうかと考えたわけです。

 

そこに中国の漢字を借用したことで、同じ読みでも意味ごとに分けようという動きがあったのではなかろうか。

 

また、逆行して、もともと同じ読み、同じような意味だったものに別の漢字が割り振られ、それらの漢字を組み合わせて熟語としてまとめてしまうという動きもあったのだろう。

 

知識:知る、識る、どちらも読みは「しる」。

 

こんなことを数日妄想していたら、

 

 

タイミングよく一段活用が五段活用したとか、ら抜き言葉は、ら抜きではなかったとやっていた。

 

日本人は、どんな新しい動詞を作っても、ら行五段活用の活用形を皆が共通認識として使えてしまうのである。

 

ググる、バズる、タピる、…

 

日本語って面白いなと思う今日このごろであった。

 

五十音表でもっと当てはまりそうな漢字、抜けているところ、場所が違うところなどなど、コメントお待ちしております。

 

 

ではでは