クイズRPG 魔法使いと黒猫のウィズ(以下、黒猫のウィズ)に出題されている問題が、いまだにネットを騒がしている。

私も数年前まで友達にさそわれてやっていたこともある。



黒猫のウィズには、様々なジャンルの4択が出題される。

黒猫のウィズはRPGで、敵や味方や攻撃(問題)には、赤(火)、青(水)、黄(雷)、3色の属性がある。

それぞれの問題は1色問題、2色問題、3色問題のようになっていて、正解した問題パネルの色だけが攻撃となり、デッキの中にその色が無ければ、攻撃を与えられないという作りになっている。

つまり、色数が増えるにつれ問題が難しくなるという傾向にある。

今回、問題となっているのは理系ジャンルの2色問題である。


問題

全ての素数をかけた時にできる数は、偶数、奇数のうちのどちら?

(1) 奇数
(2) 偶数
(3) どちらの場合もある
(4) どちらでもない


黒猫のウィズとしての答えは(2)の偶数である。

が、ネットではこれに納得のできない人が多々いる。

数学屋の私としても議論の余地があるとは思っているので書いてみる。


まず、素数とは何か?

素数とは、1と自分自身以外に約数を持たない自然数。

のように定義されており、

2、3、5、7、11、13

のような数である。


素数はどれくらいあるの?

素数は無限に存在することが証明されています。

証明にはいろいろな方法があります。

素数を有限個しかないと仮定し、最大の素数をp、2からpまでの素数の積をf(p)とする。

f(p)+1は、2からpまでの全ての素数において、割ると余りが1となる数である。

f(p)+1は2でも3でも5でも…pでも割り切れない、

故に素数となり、題意に反し、素数は無限に存在する。

と背理法で証明が出来る。


というわけで、無限に存在する素数を掛け合わせるということに争点がおかれます。


偶数派の主張として、

素数を小さい順にならべて掛け算の形にすると、

2×3×5×7×…

となり、2を掛けている時点で偶数であることは揺らがないということ。

まぁ、言わんとすることも理解できる。


これに異論を唱える人が多々いる。


異論にも様々な方向性があり、

無限大だから、偶数や奇数とは定義されていない。

素数は無限に存在するので、全ての素数の積は∞(無限大)に発散する。

無限大は実数線上には存在することにはなってはいるが、無限大は偶数とも奇数とも定義はされていない。

つまり、(4)のどちらでもないが正解ではないのか?


有限で使える演算に対し、無限を当てはめると、様々なパラドクスを引き起こす。


例えば、定義によって(1)の奇数に答えを導くことも可能である。

n×mを、(n-1)×m+mと定義する。

2×(3×5×7×…×p×…・)
= (2-1)(3×5×7×…×p×…) + (3×5×7×…×p×…)
= (3×5×7×…×p×…) + (3-1)(5×7×11×…×p×…) + (5×7×11×…×p×…)
= (3×5×7×…×p×…) + 2×(5×7×11×…×p×…) + (5-1)(7×11×13×…×p×…) + (7×11×13×…×p×…)
= (3×5×7×…×p×…) + 2×(5×7×11×…×p×…) + 4×(7×11×13×…×p×…) + (7-1)(11×13×17×…×p×…) + (11×13×17×…×p×…)
= 奇数 + 偶数 + 偶数 + 偶数 + …

だから奇数だという異論者は少ないだろうが、定義が大事だということは解っている模様。


数学という学問は定義が大事である。

逆に言えば、定義が曖昧であると、議論にすらならない。


有限での計算では狂いのない性質が、無限を扱った途端に有限での性質が崩れることは多々ある。


例えば、1年で高さ1メートルになった木があり、1年で成長する長さは、前年の成長の1/2だとする。

という問題があったとして、n年目までの木の高さhは、

h = 1/1 + 1/2 + 1/4 + 1/8 + … + 1/(2^n)

のように立式出来る。

2年以降の有限年であれば、木の高さは、整数メートルにはならず、整数を含まない有理数の範疇を超えることはなく、nを考えられる限り大きくしても、永遠に2メートルには到達しないとも言える。

しかし、無限年となると、木の高さは2メートルとなり、整数になります。


例えば、連分数展開を有限回で終わらせると有理数であるが、無限回行うと無理数になるということもある。

2を連分数展開すると、

2 ~ 1+1/1 = 2
2 ~ 1+1/(2+1/1) = 4/3
2 ~ 1+1/(2+1/(2+1/1)) = 10/7
2 ~ 1+1/(2+1/(2+1/(2+1/1))) = 24/17


のように有限回で止めると、いつまで経っても有理数の域を出ない。

しかし、無限回施行したとすると、当然√2であるから有理数の域を出て、無理数となる。


このように、無限を扱うということは、有限での考えでは正しかったことが、容易に覆されることもあるということを理解しなくてはなりません。


何が言いたいかというと、有限個の積であれば、2×3×5×…は2の倍数、つまり確実に偶数と言えるが、無限個の積となると、偶数とは言い切れないということである。


数学には代数学、幾何学、解析学という大きな3分野が存在し、それぞれが組んず解れつしている。

無限を扱う数学の分野として、高校数学では基礎解析や微分積分学があるだろう。

解析学の解析接続という方法を用い、全ての素数の積は、4π2であることは、多少数学をかじっていれば既知のことである。

ただ、これの証明を厳密にやろうとすると、かなり難しいので、ここではやらないこととする。


例えば、二次方程式の解の公式は知っていて、判別式が負になるものは、中学生での答えは「解なし」だった。

高校に上がり、複素数を学ぶと、中学までは「解なし」だったものが、数学の見識が広がり、「虚数解」があるという認識になる。


無限というものの理解度が低いうちは、(2)の偶数

無限大という概念を正しく理解していると、(4)のどちらでもない

解析接続による4π2という可能性も捨てきれないので、(4)のどちらでもない

のような段階があるのではないだろうか。


つまり、どこまで数学を突き詰めたり、積み上げたりしたのかの違いで、

(2)の偶数が正解という考えも、まぁ解らなくもないということですね。


ではでは