ブログネタ:好き嫌いを克服した食べ物は?
参加中克服なんてたいそうな言葉をつかってまで食べられるようになった食べ物はまったくありません。
そもそも、嫌いな食べ物、苦手な食べ物を無理に食べる必要はないという考えです。
食べ物を残すことは、それを作ってくれたお百姓さん(今はこういう風に言わないか)に対して失礼だろうという事を説いたりする場面を見掛ける。
まぁ、それで食べれるようになるなら別に克服でもなんでもない。
大抵こどものころ食べられなくても、大人になったら食べられるようになっているものが殆どだと思うんだよね。
昔はさ、食べるものを選択する自由度は少なかったから、残さず食べる、生きるために食べる。
まぁ、その通りだろう。
現代において、よっぽど食べるものに困っていなければ、嫌いな食べ物、苦手な食べ物を、克服というお題目で選択し、食べるということはしないでしょう。
つまり、先にあげた「お百姓さんに対して失礼」というところに、買わないという食べる食べない以前の選択で回避している。
嫌いな食べ物、苦手な食べ物を、無理強いして食べさせて、そんな状況下で食べる食事に、いったいどんな意味があるというのだろうか。
例えその料理が栄養価にすぐれ、美味しいものだったとしても、そんな状況下で食べても精神衛生上よろしくないだろう。
みんなで同じ料理を、たわいもない会話を交えながら、ゆっくり食べるというのが一番望ましい食事スタイルであろう。
私は料理をするのですが、嫌いだとされる食材はあえて小さく細かくしたりせず、大きめに目立つサイズで調理します。
本当に嫌いな食べ物や苦手な食べ物は、どんなに小さく細かくされていようと解るひとには解ってしまうものです。
私が料理で気を付けているのは、食材の持つ繊維の流れと、カッティングである。
食材をどのようにカットするかで、食感や味わいが大きく変わってくるものなんです。
例えば大根。
銀杏、短冊、大根おろし。
銀杏や短冊の厚みもあるだろうし、大根おろしもサイズがあるし、おろす部位もあるだろうが、食感も違えば、味わいも異なる。
この食材が好きなひとであれば、食材がもつ様々な味わいを楽しむことができる。
逆に嫌いなひとは、全てのパターンが駄目かというと、案外そうではなかったりもする。
例えば、ピーマンとかだと、見た目を重視して輪切りにしたいところだが、苦手な人には輪切りはだめだ。
チンジャオルースーの様に縦に細長くカットするのが、繊維をくずさず、ピーマン独特の苦味などが出るのを防げたりする。
とまぁ、書いてはみたが、無理してまで食べさせたくないよね。
周りが美味しそうに食べているのをみて、自ら同じものを食べたいと思い、無理せず口に運んでくれるのが一番だと思うわけさ。
その一口がやっぱり不味かったら、これは調理した側の問題となりかねないな。
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