こんばんは、スズです。

とてもとてもお久しぶりですね。

 

2年前の実習のために作ったブログだったので実習が終わってから使っていなかったのですが、あのころなにを書いたんだっけなと読みたくなって実はずっと自分のブログを探していました。

 

しかし、このブログは知り合いに見つからないように工夫をしていたことが仇となり探していた時期には見つからず、ふと最近色々と吐き出したくなって新たにブログを作ろうとしたらすでに使われていたメアドと出てログインできたというわけです。そうかアメブロだったかと。

 

それでもってブログを読み返してきましたが、おお、今よりも聡明そうな綴りをしているな、というのが第一印象でした。相変わらず忘れるのが得意なのでこんなにも生きること死ぬことに関して話をしていたんだなあと。

 

読んでいた本などの影響もあると思うのですが、思考が統一されているように感じますね。今はもっとあの頃よりまとまりがなく、彷徨っています。戻りたいくらい。

 

 

あれから色々なことがありました。

そう、探していた時期というのが1年にわたる領域実習の前ですね。やはり実習に向けてカウントダウンしているときが一番心がつらいときで、吐き出し口のためというのもありますが自分に対する一番の理解者でありつらい時期を経験したあの頃の自分に会いたいという思いがありました。

 

 

さらにその前、基礎実習の後ですね。あの頃はひどかった。人生で初めてこのまま線路に飛び込めば、明日大学に行かなくてもいいんだな。と思うことがありました。

 

本当につらかった。大学がつらかった。実習が終わったのに怒涛の実技演習の再試パレードとグループワークパレードに私はやられていました。

 

先生のほとんどが苦手で、ああ私嫌われているなと感じることが多々あったのですが(テストの点低いわ髪色が派手だわで客観的に見ればわからなくもない)、手汗が酷く緊張しいで本番に弱いということもあり実技はことごとく再試。教えてくる先生にびくびく(またこれもびくびくしていたから好まれなかったのはありそう)。再試のための練習とバイトと大学と、という感じで心休まらなかったですね。

 

これにプラスしてグループワークなのですが、これがまた、本当にしんどかった。


忘れるのが得意というのがあるため、基本的にグループワークが苦手でした。知識がなくなってしまっているため話についていけないし自分から提案などができずに使えないやつになってしまうのです。

 

話に加われずハブられる感覚、友達もいましたが仲いい友達の中でも実力主義者の子が同じグループだったので私に話が振られることもなく、でも先生には参加しているように見せなければならないのでそれとなく話に加わっているように見せかける自分。思い出しても辛い。

 

どう考えても知識がない私がいけないんですけどね。たまたま前にいた子が「大丈夫?元気ないね」と声をかけてくれて時々私に話を振ってくれた場面だけ鮮明に覚えています。そのころには憔悴していて、優しい子だな…と死んだ心の中で思いました。

 

そう、その頃かはわからないですけど実力主義の友達と帰ってるときに「スズは悩みとかなさそうだよね~!」って言われたのもなかなかキましたね。実際はそうではあるんです。悩みを寝たら忘れるので人より悩むことはないと思いますが、その時は看護学生やめたいという悩みがありましたので。わはは、となりました。

 

そんなこんなである日から駅のホームに立つときに今ならホームから飛び込む人の気持ちがわかるな、と思い始め、ある日には飛び込みたい、飛び込めば明日はいかなくていいんだ、と思うようになりました。死にたいと強く思うようになったのです。

 

だんだんとそう思うようになったことに涙が出ました。

お風呂の湯船に浸かりながら楽に死ねる方法を検索しました。自殺のサイトを見ました。失敗すると辛いよというのを見て、痛い思いをしてもいいから一瞬で確実に死にたい、その方法はないのかと毎日探しました。辛かったなあ。

 

そこであることに気づきました。死ぬぐらいなら違うことをしよう。看護学生をやめよう、と。

 

なぜ看護師になろうとしてるのかについて書くといっていながら書いていなかったのでそんなにつらいならさっさとやめろ!と思うでしょう。まあ色々あるのですが一番に私は物事をやめるのが苦手ということがあります。

 

中学時代にほぼほぼいじめられているようなものなのに部活をやめられない、アルバイトも基本受験があるから、実習があるからという理由でしかやめられません。これには性格のもろもろが関わってくるのですが長くなるのでまたの機会に話そうと思います。

 

 

実際に看護学生をやめたいというのは親にはなかなか言い出せないでいました。看護師になりたくないということは知っているのですが、実技演習やグループワークについての話をしていなかったのでやめたいと思っているとは知らなかったと思います。

そもそも小さいころから看護師はいいよと洗脳まがいに言いまくられていたので小学生あたりから看護師になるために中学受験、高校選び、大学選びがありました。

 

そこまでお膳立てしてもらっていたのにやめたいとは言い出せなかったですね。大学2年間と高校3年間が無駄になるといっても過言にはならないわけですから。

 

でも結局は言いました。絵を描くことが好きだったのでそっちの道に進みたい、と。毎日がつらくて死ぬことまで考えるようになってしまったから死ぬぐらいなら看護学生をやめたいと。

 

しかし案の定止められました。親は安全主義。国家資格の看護師と絵描きの道など比べるに値しないのです。もちろん選択権は私にあるわけですが、資格をとってからその道に進んだほうがいいといわれました。

 

そんなんできるか!!!!

 

看護師も嫌だけど今が、看護学生が嫌なんじゃ!!と。心の中で叫びました。言葉を柔らかくして伝えました。辛さを話すだけで涙が出ました。話が白熱してくると高校大学とお金を出したのにと言われました。それは確かに申し訳ない。でも死ぬのより大切か?と涙が出ました。

 

絵の道に進むのならお金は出さないといわれました。それでもいいと言いました。新聞配達をしながらの奨学金制度について調べて絵の学校の人とメールで相談もしていました。

 

でも結局はやめませんでした。

 

 

その話をしていた日の次の日ぐらいに後期の大学のお金を振り込むことになっていたのですが、話をする日に振り込まないでほしいと言っていたのですが、振り込まれていたのです。

 

話の中でもう振り込んじゃったけどじゃあいいよって言われました。もう、え~~~~!ですよ。そんなん、やめられないじゃんって。授業料って高いんですよね。それを払ったなら受けなきゃ損じゃないですか、もう、ずるい、って。今までのお金は損だとしても授業を受けてきたか0ではないと謳っていたので、それがだめになってしまったわけです。

 

バイトやめて心に余裕をもてばいけるよ、と。お小遣いあげるから、頑張ろうと言われてしまいました。

 

一大決心の話し合いでしたが、私はのこのこと次の日も大学に行ったわけです。

そのあとどうやって乗り越えたのかは覚えていません。友達にこの話をしたのは半年以上後だったと思うので、どうやって乗り越えたのかなあ。ちなみにバイトはやめませんでした。提示されたお小遣いの金額が少なかったので。

 

今思い出してもあの頃が一番つらかったですね。あれ以降生きる理由は変わらずないですが駅のホームで飛び込みたいなと思うことは今のところありません。領域実習も色々ありましたが乗り越え、総合実習も乗り越え、看護学生の大変なことは乗り越えた段階にきています。

 

えらい。自分、えらい。

残すは卒業研究と国試。ほとんど自宅での作業なので有意義な時間が過ごせています。

 

 

実は話したいことは別にあったのですが、これまでの話だけでとても長くなってしまったのでまた今度にしたいと思います。

久しぶりに吐き出して楽しかった。

 

では。