敗退!! 北海道トライアスロン2022 | サロマ・アゲイン  そしてロングトライアスロンへの挑戦

敗退!! 北海道トライアスロン2022

洞爺湖に行ってきました。

 

札幌の実家からバイクコースの下見を兼ねて、喜茂別、京極、真狩の道の駅を寄りつつ、羊蹄山の雄大の景色を見ながら洞爺湖に向かいました。途中、水の駅で昼食をとり、まず、スイムスタート地点のチェックをしました。このスイムコースは長さ200メートルくらい(もっとあったかも)の地点に黄色いブイ、そこを右に回ってちょっと短めのブイを回ってスタート地点に戻り上陸し、これを2回回って、2回目の上陸からは第1ブイまで泳いで、そこからスイムアップ地点500メートルくらいを泳ぐ、合わせて2キロのコース。さらに車で移動し、バイクトランジッションを下見して、スイムアップから自分のバイクの場所までをなぞっておきました。その後、宿泊ホテルに向かいました。

 

宿泊ホテルはグランドトーヤという受付会場に近いホテルで古いながらもサービスが行き届いたホテルでした。1泊でしたが、レース終了まで車を停めておいてくれました。ロキソニンが見つからず(結局バイクの給食の袋に入っていたが)、フロントで頭痛薬を買いました。コンビニにも売ってなかったのでm助かりました。レース中には使わなかってど、安心材料になりました。

 

到着後、まず、受付会場に向かい、名前と運転免許証の写しを見せて黒紐、青紐、赤紐の袋とゼッケンシール、大会冊子をいただきました。

 

まず、ホテルに戻り、ラン用、バイク用の装備を赤紐、青紐に入れて、ゼッケンシールをヘルメットとバイクに貼り、翌朝の朝食を買いにコンビニに行きました。夕食もその辺の食堂で食べようと思いましたが、どこも締まっており、結局、コンビニで翌日のおにぎり2個とカップラーメンを買って帰り、晩御飯はカップラーメンにしました。

 

風呂に入り、ゆっくりした後、午後8時には就寝。

翌朝は午前4時に起床。スケジュールどおり、着替えをし、まずラントランジッションに赤紐のラングッズをぶらさげず、置き、その後、バイクトランジッションに行って、バイクを置き、タオル、シューズを出しておいて置き、ヘルメット、グローブをバイクのハンドルにかけておきました。

 

その後、スイムスタート会場へ。途中一緒に歩いていた人に声をかけたら、青森出身で、私が弘大と言ったら、かれも弘大理学部とのこと。奇遇だった。今回は足の指を骨折しているらしく、バイクで終了するとのことだった。

 

スイムスタート会場で受付をし、アンクルバンドをもらって、着替えようとしたら、携帯を持ってきてしまっていることを二人とも気づき、すぐにバイクトランジッションに戻って、携帯を置き、二タブスイムスタート会場へ。ウエットスーツに着替え、首にワセリンを塗って、お互いに背中のチャックをして、大会用のキャップをかぶり、スタート地点へ。

 

簡単に試泳をし、なんとなく泳げるかなと確認し、水をもらって、少し飲んで、後ろの方に並んだ。今回はローリングスタートとのことで、10人くらいずつ順番にスタートすることになっていた。

 

並んでいた隣の方に声を掛けたら、私の次の番号の人で、年齢も同じだが、歴戦の方だった。なんかどきどきしながら順番がきて、スイムスタート。

 

少し歩いてから泳ぎ始めた。最初のブイまで、ときにヘッドアップを毎回せずに泳いでいたら、かなり左に寄ってしまい、コースをだいぶんそれてしまった。これがスイムの時間を長くしてしまった最大の理由かと思っている。なんとか1周目を終えて2周目に特段ドキドキ感はないが、余裕があるという感じでもなかった、ひたすら2周目を泳いでいるうちに、2周目の第1ブイに行く途中で次々と抜かされ、これはかなり一人旅になっていると感じ、2回目の上陸前には、もしかしたら止められてしまうかもという思いをし、これで完走もできないかなと思いながら、2回目の上陸をして、「このあと行っていいですか?」と審判5人程度がいるところで聞いてみると、「頑張ってください~」と逆に応援してくれた。これをチカラにして、最後の第1ブイへ。

 

この辺りでは毎回ヘッドアップをして、方向のズレを修正しながら行った。すると、1周目よりも速かった気がした。やはり1周目はかなりロスしたように思う。これは大きな教訓だ。

 

最後の第1ブイを過ぎて、ゴール地点のブイに向かって泳いでいたら、ヘッドアップするたびに周りのレスキュアーの皆さんから「がんばれ~、もう少しです。」という声援をいただき、頑張って泳いだ。

 

ようやく2キロのスイムアップをしたときは最後から3人目くらいの状況。1時間12分2秒。バイクトランジッションに行って着替えてたら、「スイムスキップした人がバイクを走り始めます。」というアナウンスが聞こえた。あ、そうか。もうそんな時間だ。悠長に着替えなんかしていられないと感じ、テーピングをやめて、ウエアもファスナーを開けておけばよかったという思いをしつつ、グローブもせずに握りしめて慌てて走り始めた。この段階でバイクスタートの8時25分の2分くらい前だったと思う。

 

最大の敗因はスイムが予定の1時間に比べて12分もオーバーしたこと。全体的にも初めからヘッドアップをして距離が長くならないようにするとともに、速く泳げるようにしないとならないと思った。

 

その後、バイクでまさか関門があるとは思わなかったので、ひたすら漕いでいけばぎりぎり間に合うと思いつつ走っていった。

 

水の駅のエイドで水を飲み、このときスキップすればよかった。グローブをして、すぐに7%くらいの坂が3キロくらいあり、けっこうダメージを受けたが、その後もひたすら小さなアップダウンをクリアしつつ、走っていた。前後500メートルくらいに私も含めて5人くらいいた。

 

52キロのエイドのちょっと前から主催の車が「最後尾の選手が走っています。皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。」というようなアナウンスをかけながら後ろにびったりとついてくる。この時点で20キロ程度で走っていたと思う。

 

そんな感じで京極町の52キロのエイドに入ったら、審判の方がここで関門です。回収車に乗ってくださいと通告された。

 

この時点で私の初ミドル挑戦は終了した。まだまだ余力があり、コムレケアも飲まないできたのに足の痙攣の兆しもなく、138キロのバイクも、その後のランも走れると思っていたが、時間制限とは残念で消化不良のまま終了となった。

 

自転車をトラックに載せていただき、バスでゴールに向かうこととなった。この時点で12時前。ゴール到着が午後3時とのこと。前を走るバイク最終者を逐次回収することになるそうで、そのあとをバイクとともにバスは走らないとならないとのこと。さっさと帰れると思ったが、そうはうまくいかないものである。

 

途中、一人だけパンクをした方が収容されたのみで、他の人たちはゴールまで走り切ったようだった。

 

バスは受付のセンター前に到着し、バスから降りて、バイクをもらって、受付前のランの道具を回収し、バイクの袋もそこでもらい、スイムのときに預けた黒紐袋はゴール地点でもらえるとのことで、バイクを車に乗せてゴール地点で黒紐袋をもらって、車に戻り、一路室蘭に移動し、その翌日に釧路に帰ってきた。

 

来年は仕事で参加できないので、再来年には再度チャレンジしたいと思っている。