ぎっくり腰その後 | サロマ・アゲイン  そしてロングトライアスロンへの挑戦

ぎっくり腰その後

11月18日(金)午前6時ころ、ゴミだしに行こうと黄色の可燃ごみ袋を持とうとした瞬間、中腰が悪かったのか「ギグッ」と行ってしまいました。その結果、その姿勢から1センチも動くことができず、2階で寝ている嫁さんを震える声で名前を呼んで来てもらった。それまで中腰姿勢のまま。

嫁さんに抱えてもらい何とか居間の床にうつぶせにしてもらい、まずはそのままの姿勢から先日のブログアップ。私の視界のすべてが先日の写真のリモコン、床、テーブル、本(新リア王(下)と孫の手(物を取るための道具です。)でした。

夕方、わざわざ師匠が我が家に来てくれて揉んでもらいました。その後、何とか寝返り、四つん這いでの前進が可能となりました。ただ、まだ、身動きが取れず、寝たままで、揉んでもらった後の師匠を見送らせていただきました。

金曜日早朝の出来事のため、出勤不可のため、上司から「出勤に及ばず。」との温情の言葉をいただき、年休。そして、土日と寝たきり老人となっていました。睡眠時間は1日10時間を超えたでしょう。床ずれにならなくてよかった~

週明けの月曜日は午前に大事な会議があったので、どうにか出勤。しかし、フルワーク叶わず、正午で退庁。その間も師匠の手を煩わせ、19、21,22、23、26日と通わせていただきました。

どうにか二足歩行は可能となりましたが、夕方になると次第に腰や臀部のあたりが痛くなり、気力がなえてたんまり溜まっている仕事に向かうことができません。当然走れません。

昨日、土曜日に東北海道病院に行きました。レントゲンを撮ってもらい先生と話したら、レントゲンでは異常は認められないけど、坐骨神経痛ですね、と言われました。実は師匠からもそう言われてました。

現在、腰部の痛みはかなり軽減され、鈍痛がときどきあるくらいです。が、体を左側に捻ったり、疲れてきたら、左臀部に痛みが出てきて、時に左足首まで神経痛がやってきます。

昨日、この話を師匠としました。

カナダ「師匠、この坐骨神経痛ってどのくらいで治るの?」
師匠「治らないね~」
カナダ「えっ(又は「げっ」)」
師匠「自分もそうだけど、無理をしたら出てくるんだよね~」
カナダ「(沈黙)」
師匠「速く走って負荷をかけたり、100キロなんて走ったら出てくるだろうね~」
カナダ「(沈黙)」
師匠「これからは無理しないように自分でコントロールしながらだね~」
カナダ「(弱弱しく)そうですか~」
(大筋上記のとおり。一部脚色あり。)

8月の北海道マラソンで復活を遂げ、私のランナー日記の表紙にも「復活」と書いて来年に向けた意気込みをフツフツと滾らせていたにもかかわらず、再び神は私にお試練を与えたもうたのでした。

「負荷をかけたものはできません。」

来年こそはと、トライアスロンに向けてプール練習も始めたばかりでした。残念です。

そんななかNHKの番組で北見北斗高校の71キロ強行遠足の番組を見ました。昭和7年から続く伝統行事です。しかもだらだら歩くというものではなく、ちゃんと関門時間の設定もあります。途中お汁粉もあります(なんかどこかと似ています。)。

番組では2年間完走できなかった生徒が自分の道を切り開くためにも3年目で完走したいと踏ん張り、とうとう涙を流しながらの71キロを完走を果たしたのです。こういう番組に極めて弱い私はティッシュを何枚も消費しながら見ていました。

そうだ、もし、来年も復活できなければ再来年に向けて頑張ろう、それでも駄目ならその翌年だと思いを新たにさせてもらいました。

今は、師匠から借りたゴムホースの柔らかいものを腰に巻いてグルグル体操をしながら、まずは日常生活で痛みを感じない体にしようとしています。その次はウォーキングです。体を動かさない生活にはもう戻れません。頑張ります。

いつかは佐渡国際トライアスロンか全日本トライアスロン宮古島か全日本トライアスロン皆生(かいけ)の鉄人レースへの参戦が目標です。もしかしたら60歳になってしまうかもしれませんが・・・。

まずは目の前の生活を大切にして、小さなステップを踏んで行こうと思います。

追伸:このたびは師匠にかなり無理を言ってモミモミしてもらいました。本当に感謝しています。ありがとうございました。その上、昨日は新ソバの手打ちの麺とツユをいただき、女房がエビのテンプラを揚げてくれて、きれいな麺のソバとともにいただきました。本当においしかったです。ご馳走さまでした。次回も楽しみにしています(笑)。

それではみなさんにまた会える日を楽しみに治療に専念していますので、忘れないでくださいね~