思い出・・・。 | サロマ・アゲイン  そしてロングトライアスロンへの挑戦

思い出・・・。

今、たしろさんの前向きなブログを見た。

こうめさんの身の丈にあったような背伸びをしない北海道マラソンの参加の仕方を読ませていただいた。

でも私は走れない。

この1年は休もうと決心したけど。それも来年は走ろうという希望を持っていたから。でも今日も娘の塾の迎えに行って待っていた10分間を歩いてみた。でもやはり、10分程度のウォーキングでも痛くなってしまう。とてもじゃないが、何時間も走れるわけがない。ウルトラどころか、フル、いや。そもそも走れないのだ。

2003年に旭川マラソンにレースの右も左もわからずジャージとトレーナーでハーフを走った。2時間24分。

翌年の2004年には千歳でハーフ2時間5分。釧路湿原マラソンで3時間18分。札幌マラソンで2時間4分。そして、はじめてのフルマラソンは旭川マラソンのフルで4時間53分。うしろから数えて16番目。ここまでは友人もいなかったので、レースに行ってそのまま何もなく帰ってくるさびしい参戦だった。しかし・・・

そのまた翌年2005年には千歳でフル4時間29分。そして長距離への挑戦の年でもあった。誰が私をウルトラマラソンの世界に導いた方はyagiさんである。冬の石狩を70キロ走ったブログを初めて見た時は驚愕したのを覚えている。yagiさんは足底筋膜炎の王者の中の王者。足底筋ならyagiさんに聞けと言われている。そして腰を手術した直後もサロマに参戦し、90キロまで走ったのには本当に長距離走者は健在なりと痛感した。また、今やブログ界の超有名人のOgamanさんにサロマについてご教示いただいたのはこの頃だった。多くのアドバイスをもらってサロマ初挑戦。事前に弟子屈まで単独72キロ走にチャレンジもした。雨の夜中の12時に家を出て、昼の12時に弟子屈に到着した。女房にもひどく心配されて、このような走りはこれきりにすることとした。そして、そのせいかがあって初挑戦で12時間57分でサロマ完走。完全にマラソンに取りつかれた。

翌年の2006年には洞爺湖で3時間59分という奇跡のサブ4を達成。このころ楽走のカッチさんと知り合い、カッチさんの幅広い人脈のおかげで急速に知り合いが増えた。
洞爺湖でのサブ4のおかげで、それまで雲の上の存在だった道マラを意識し始めた。早速北海道マラソンに応募し許可証をもらったが猛暑の夏マラソンにゲキチン20キロでリタイヤした。生まれたはじめて収容者に乗った。こんなさびしい思いはもうしないぞと誓った。そのバスにはkanapapaさんもいたそうだ。この日の打ち上げの店でnaviさんが歌ったバスストップはそのときにみんなで合唱したこの曲(バスを待つ間に・・・)は今でも耳に残っている。収容車の道南バスをドナドナバスとも言っていたっけ。この年には1次会の打ち上げでカヨさんと知り合いになった。山口在住にもかかわらず北海道の洞爺湖、サロマ、道マラと参戦するポジティブな女性。いや、実際には同席したが話せなかったと思う。シャイな私はかわいらしい彼女を見ていただけだったろうと思う。

2007年には洞爺湖で3時間47分。サロマで12時間20分。忘れもしないトン子さんとマミックさんとで3人で100キロ走った。思い出しても涙が出そうになる。Beanさんとあったのはこの頃だったろうか。奥さんとともにサロマを走る夫婦ランナー。同じ年齢のため、親近感を持っていただいて。トン子さんやOgamanさん、マミックさんとともに1960年ランナーズの結成を目論んでいる。そしてじろーさんが主催した札幌での試走会。雨の真駒内駅ですっかり中止モードだった私たちを尻目にガンガン走ったこうめさん、ゲンさんの走りはすばらしいものだった。そのおかげで道マラ初完走。天にも昇る気持ちだった。たくさんの友人に助けられ、まさおさんが主催した打ち上げでまさおさんとOgamanさんのはからいで60人くらいいた会場でコメントさせていただき涙が出るほどうれしかった。走友が自分のことのように喜んでくれたことに感謝した1日だった。走ってきてよかったと思った。カヨさんはあまりの暑さでリタイヤし、打ち上げのときずっと「どうせリタイヤしましたから。」と繰り返しぼやいていた。その彼女も私的には非常に残念にも結婚し、楽しい日々を過ごしている。ブログが面白い。私はカヨさんの永遠のファンである。いつかまたお互いが走れるようになってレースに出れればと願っている。

2008年道マラで3時間56分。私が所属するねっとラン札幌の代表のおまちゃさんが苦節3回目で道マラを初完走した。本当にうれしかった。ゴール後にちかたんさんが用意してくれたビールをおまちゃさんとkanapapaさん、そよ風さん、そよパパさんたちと飲んだビールは今でも思い出すくらいにおいしいビールだった。絶対忘れない。

それと忘れられないのは永遠のライバル十勝のたしろさんとのレースごとのせめぎ合いは走友も楽しみにしてくれるものだった。たしろさんや釧路マラソンクラブのスコップさん、sakaさん、たけちゃんとのカサス(十勝浦幌の海岸線のコースを走るが、この海岸線が火曜サスペンス劇場のシーンにそっくりだそうなので。)のランは最高のコースだった。また走りたい。コース終盤の出口商店はいまでもあるのだろうか?そうそう、このコース設定をしてくれたしなそばさんとはいまだ、このコースを走っていないのは蛇足である。

絶対忘れられないのがスコップさんとの出会いだ。いつだったろうか冬に走っていたら偶然会った。それが親戚にあたるスコップさんだった。この出会いは偶然だったけど必然の出会いだとおもった。

そのころは私は時々単独で厚岸60キロ走をやっていた。それをスコップさんの友人の鬼さんが前から釧路で厚岸まで走っているバカなやつがいるといっていたそうで、それから釧路の走友と茅沼ランと称して洞爺湖マラソンの1週間前に走って、茅沼温泉で風呂上がりにアイスとラーメンとお腹いっぱいの水を飲んで店員にあきれられた。釧路から茅沼まで走るのは普通ではないんだなあと改めて普通でなくなった自分たちをお互いにみながら大笑いした。

去年の暮から冬の間、私が住んでいる文苑地区に住んでいるsakaさん、たけちゃん、カナダの3人で文苑三人衆と称して冬道を毎日のように走った。楽しかった。雪道でべちゃべちゃになりながら夜の道を走っていく3人は、傍からみると普通ではないと笑いながら走った。

その後スコップさんのおおらかさ、鬼さんの風貌からは想像できない芯からの温かさを中心に突撃隊のsakaさん、たけちゃんの大活躍で釧路マラソンクラブは急成長した。sakaさんの義妹のまーちゃんはすっかり長距離走者になった。そそのかしたわれわれの責任は重大である。標茶の佐久間さんの走りは完璧である。新婚さんのクサカさんはいつも控え目ながら堅実な走りをする。

たくさんの走友のみなさん、本当にありがとうございました。もしかしたら来年も走れないかもしれないような気がする今日この頃で、ついつい昔の楽しい思いでが走馬灯のように蘇ってきてしまいました。
すこし落ち込んでいる自分でした。でも必ず無理をしない楽しい走りをするためにゆっくり蘇りたいと思っています。


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