こんばんは~🌛
とあるブロガーさんの記事をみて、
私と同じく
生きづらいと感じる方々、
いらっしゃるようです。
この年になって、
『そんなんじゃ生きづらくない?』
という言葉がきっかけに、
うっすら自分の中でも思っていたことを
他人に、そして言葉にされたことで
私、やっぱりそうなんだ!
と、気づかせてくれました。
前のブログに
性格は育った環境によって作られる
と書きましたが・・・
ここはあえて
自分のために過去を振り返り、
何が原因なのか探ろうと思います。
※ここからは長文です。
もしかしたら嫌な気持ちにさせて
しまう可能性があるので、
見たくない方はお戻りください。
私は一人っ子で、
父、母、
そして祖父、祖母との二世帯でした。
母は体が弱く、入退院を繰り返し、
その頃の母との記憶はなく、
ほとんど祖母に育ててくれました。
今でも思い出すのは
幼稚園のお弁当や送り迎え、
周りの子達はお母さんがいるのに
私にはおばあちゃんしかいない。
家に帰っても1人でおままごと。
この頃にはお母さんは病院なんだ、と
分かっていて、
どうしたら私もお母さんのところに
いって一緒に居れるかなぁ?
私も病気したら会えるのかなぁ?
と思っていたことを思い出します。
小学生にあがって
3、4年のころ。
今でいう軽いいじめを経験しました。
いつも仲のいい女の子三人組で
遊んでいたのですが、
時々私のことを無視して1人にさせられたり。
休憩の時間には皆、
外でドッチボールや縄跳びしてるけど、
誰からも誘われず
教室で1人外を眺めていたり。
そんな日々のなかでも
1人だけ私を心配してくれた子がいて、
私が中学入学と同時に引っ越して
別の中学にあがることになっても、
その子とは文通を続けてくれました。
中学入学のときは
誰も知らない人達のなかで、
毎日、不安で怖くて学校に
行きたくなかったけれど、
また1人になるのだけは嫌だったから、
積極的に声をかけて友達ができました。
正直、心から仲がいいと思える友達は
できなかったけれど、
少しでも高校入学に向けて
プラスできるように、友達と
生徒会の書記に立候補しました。
結果は投票数が足らなくて落選・・
けれど、全校生徒が見ているテレビの前で
自分が書記になれたら
こんなことをします!と、演説をして、
あのときの緊張は今でも、
私よくやった!!と褒めてあげたいです。
無事に希望の高校へ試験なしで入学。
ホームルームはあるけれど、
単位制の学科だったので
自分の興味がある勉強を選択して、
自由にのびのびと学べました。
このときに
心理学や平和学、老いと生命を考える
という名前の勉強をし、
専攻の先生との出会いも貴重な経験でした。
その頃の仲の良かった8人組は、
大学1年までは連絡をとりあう
ベストフレンドでしたが、
今では全く途絶えました。
高校時代は
指定校推薦で大学入学するために、
2年生から勉強に励み、
(自慢ではないですが)成績は体育以外5でした。
頑張った甲斐があって
無事に希望の大学へ入学。
大学時代も正直、
うわべだけの友達はいました。
でもこれは単純に
1人でご飯を食べたくなかった、
1人で講義を受けたくなかった、
→周りにどう思われるかを気にしていた
んだと今になって思います。
家から片道1時間40分のプチ旅行を
うまくスケジュールを組んで
あまり苦にならないように単位を取得。
併用して地元のパン屋さんでバイト。
経営学部だったのですが、
思いの外この勉強が自分に合っていて。
卒業するときにはこの大学で、
経営学を学べたことが誇りになり、
本当に良かったと思いました。
大学3年~4年
経営戦略論のゼミに入り、
長期的な視点と、論理的思考力を養うを
テーマに素敵な教授や
ゼミのメンバーとの出会い。
6年経つ今でも、時々連絡を取り合い、
出会いに感謝しています。
その後、新社会人として
一部上場のアパレル会社に入社。
内定者アルバイトもしてましたが、
ここでは立派に社会に揉まれ、
時には泣き、そして笑い・・・。
立派な社会人となれるよう厳しく
教育してくださいました。
私はこの会社にとてもお世話になり、
たくさんの方々に頭が下がる思いで
本当に本当に、感謝しかありません。
そしてここで出会えた5人の同期。
一生の宝物だと勝手に思っています。
今は皆、転職や結婚でバラバラだけど、
このうちの1人の友達は
私にとっては親友と思って、
仲良くしています。
私は人の目を気にして
先輩や後輩との人間関係をうまく演じ、
おまけに人から頼られる職種だったので
頼られることで存在意義をかんじ、
仕事人間となりました。
期待が高まり、
ノーと言えない性格の私は
本当は無理なのに受けてしまい、
仕事中に目眩をおこし立てませんでした。
この日を最後に退職しました。
病名も診断されましたが、
ここでは載せません。
ストレス性からくるものでした。
数ヵ月療養して体調が良くなってきたころ。
当時、結婚を意識されていた人と
付き合っており、
転職せずこのまま結婚してもいいんだよ、
なんて甘い言葉を頂きましたが、
その時は直感でこの人とは結婚できない
と思い、地元の小売り業へ転職。
そしてこのあと、
私の人生で一番どん底となる体験をしました。
墓場まで持っていく内容です。
ここはあえて軽く流しますね、
まだ思い出すとつらいので。すいません。
この夏の一件を機に、
婚約していた彼とお別れしました。
そして2年勤めて円満退職。
未経験の職種へ転職すること4ヶ月。
採用をもらって入社するも、
・引き継ぎ者がいなくてすぐに聞ける人がいない
・スカイプなどの
社内コミュニケーションツールが自分に合わない
・やたら主体性という言葉を使ってくる
→胃痛、腹痛、起床時の吐き気
→すぐに退職
今ココです(笑)
どんな人にも
人生は上手くいかないことがもはや
当たり前で、
紆余曲折かと思いますが・・。
この1年前の夏の一件という心の痛みは、
いくら時がたってもなだめられそうになく。
強く自分を責め、
不幸なっても仕方ない、
むしろ幸せが怖くて、
つらい気持ちになることで
許されるのではないかと
間違った考えを持ち続けました。
今では
フラッシュバックが無くなり、
無職のせいもあって心が落ち着き、
ようやく転職活動を再スタートしてます。
それでも今のこの私の人格形成は・・・
おっと、続きはまた更新します。