地震大国での教訓 | おひとり様北海道移住記録

おひとり様北海道移住記録

2018年5月、40歳を境に札幌へ単身移住。移住を決めてからの準備の過程や、移住後の北海道の魅力、自分らしい人生を歩んでいこうとする過程をリアルにお伝えしています。
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おはようございます🌞


まずは令和6年能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。


能登半島はおろか日本海側の地域にはほとんど行ったことはありませんが、きっと素敵なところだったんだろうなと思います。1日も早く普段の生活に戻れるよう、私も何かこの北海道から出来ることをさせていただきたいと思っています。


さて、ニュース映像を見ていて思ったことですが、やはり他人事ではないということでした。


この地域では、3年前から度々大きな地震が起きていたそうですが、残念なことにほとんどのご家庭も対策がなされていなかったようです。


私は東京で東日本大震災、札幌で胆振東部地震を経験していますが、最初の東日本大震災の時は社内で緊急放送が流れて、みんなのガラケーから緊急地震速報が流れても、どうせそんなに大きくないでしょう?と思っていました。


が、二つの建物を繋げて作られていたその事務所は繋ぎ目に隙間ができ、天井にも穴が空き、中に取り残された鉄骨が今にも落ちてきそうになりました。

当時まだ紙で図面を見ていたデスクの上からは山積みの紙が雪崩を起こし、デスク間の通路を埋め尽くしました。



ただ、建物の端のデスクだった人たちはそこまで揺れなかったそうで、真ん中のエリアは以降、常時人がいることがないよう、引っ越しすることになりました。


幸い、インフラ関係は問題なく、自転車通勤だったため自宅にも帰ることができ、当時から生協で食料を配達してもらっていたので、食べ物にも困ることはありませんでした。


→めっちゃ重たい腰高の食器棚も前に出てきてた


胆振東部地震の際は、夜明け前だったこともあり、布団で身を守ってからテーブルの下に入りました。何が怖いって、緊急地震速報の合間に届きまくる知り合いからのLINEの嵐(笑)

幸い停電もその日のうちに解消されましたが、テレビがない我が家ではスマホの電波がないことがとても不安でした。(ラジオを用意していたので、ずっとラジオを聴いていました)

あとでハザードマップを見ると、我が家の敷地だけが震度7になっていました。



まずは何より日頃から備えること。自分は大丈夫なんてありえない。ということに尽きると思いました。


以前、マツコの知らない世界 にも出演された備え・防災アドバイザーの高荷さんのYouTube です。



この方、とてもマニアックでたくさんの災害用品を試したり、非常食も試してくださっています。

手に入れやすい価格のものなども紹介してくれているので、すぐに対策に入れるのがとても良いなと思います。


私はとても心配性なので、普段から会社のIDカードにホイッスルをつけていたり(セキュリティの関係でスマホや防災グッズは持ち込めません)、バッグにも必ず薬や応急処置のできるセットを入れています。



いつどこで被災するかわからないのが災害なので、持ち歩くカバンには必ず準備しておきたいところです。


特に、今避難されている避難所では生活用水が足りておらず、特にトイレに困っていらっしゃるとの報道も見ました。避難所だからといって、何でもあるわけではないそうなので、やはりある程度の準備は必要そうです。

動画を見つけられなかったのですが、高荷さんは数種類の備蓄トイレをテストして臭いなどのチェックもされていました。


→圧縮タオルやトイレは100均で

自宅で避難生活をする場合の備蓄トイレと、避難所で避難生活をする場合とありますが、自分の住んでいる地域はどんな災害が起こりうるのか、ハザードマップなどを見て、準備しておくのも良いと思います。


↓時々ポストに冊子で配布されたり、市町村のホームページでも公開されています。


正直、この先南海トラフや千島列島での巨大地震でどの程度被災することになるのか、全く予想はつきませんが、まずは自分の身を守って、余力で周りの人たちも助けられるよう、日頃から準備をしていこうと思います。


我が家は暗い玄関に設置してます




 


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