自分の刀を「居合刀ですね」と言われて不快に思った事があります。そもそも居合には不向きな刀だろうし、居合なんてしたことないし、美術研磨だし。
私の刀は重たいしクセかあるから居合には向かない刀だと思います。示現流とかの剣術流派の人には向いていそうな気はしますが、それは「居合」ではないですよね。
刀剣鑑賞の愛好家が「居合刀」と言う時にはあまり良くない意味を含む事が多く、いわゆる刀剣女子は知らずに?そういう言葉を使う事がある。
刀剣鑑賞マニアは居合に不向きな刀も含めて「居合刀」と呼ぶ事があります。
この件でTwitterでわかりやすいコメントを頂いたので紹介します。
以下コメント↓
真剣に対して居合刀というのは居合(実際は居合に限らず武用全般)の稽古で消耗させても惜しくないような安価な刀という意味を多分に含むので、他人の刀に対して安易に使う言葉ではないですね。
価格帯の傾向としては
鑑賞用(真剣)>居合刀(真剣)>居合刀(模擬刀)>鑑賞用(模擬刀)
のような感じになるので、持ち主が自分でそう言っていたり明らかに武用に使っているわけでもないのに他人の真剣を居合刀と呼ぶのは、お前の刀安物だなと言っているに等しいと思います。
実際美術刀剣店で居合刀として売られている刀は本当に居合やその他武用に適している刀というわけでなく、安めで拵付きの刀くらいの意味でしかないことがほとんどです。
https://x.com/totomesu0330/status/1812833934494794003?s=46&t=vDLEarp_5HYHZmiuEqFt6w
とてもわかりやすい説明だと思います。
鑑賞マニアが言う「居合刀」というのは「居合向きの真剣」という意味ではなくて「拵付きの安い刀」という意味だということです。
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「居合刀ですね」
私がこの言葉を受けたのは、いわゆる刀剣女子からです。
たぶん刀剣乱舞から入るような愛刀家はマジメに刀の勉強をしているつもりで鑑賞マニアの教えを受けるので、鑑賞マニアと同じ捉え方になるのでしょう。
往々にしてこういう鑑賞マニアとか骨董品コレクターは自分の事を数寄者と自称したり、自分の趣味の事を数寄と呼んだりします。自分で言ってしまうという所がポイントでしょうか。
そのような人たちのナチュラルな無礼さが、数寄者とかいう骨董品マニアを好きになれない理由の一つでもあります。
こういう人たちはきっとお金は持っているのでしょうし、高価な刀も持っているのでしょう。しかし成金になっても出自は変えられないわけです。だから名品を買って物の価値でそれを埋めようとしているように見えて、とても卑しく浅ましく見えてしまうのです。
成金の持ち物は例え名品揃いであっても「成金趣味」で下品に見えてしまう事があります。これは、おそらくこの卑しさ・浅ましさを見るものに感じさせるからなのでしょう。
例えば、仏を敬う気持ちもないのにコレクションとして鎌倉時代の仏像を買って自慢してしまうような浅ましい人、、、といえばわかるでしょうか。物は良くても人の卑しさが透けて見える時に「下品さ」を感じさせるのでしょう。
私は日本刀は仏像に近い存在なのではないかと考えます。刀は歴史的にみると非常に宗教性・精神性が強く、古くから神社の御神体にもされ、新しくは「武士の魂」とも称されたものです。
だから他人のそれを蔑むような発言は厳に慎むべきですし、悪意がなくとも「知らなかった」では済まされない事なのかもしれません。
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別の見方をすると、マニアやらオタクの類はアスペルガー気味の人間が多いから他人に失礼なことを言いがちなだけだろうとも思います。私も含めて。
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