武士の起源については諸説あるようですが今も不明です。たぶん今後もずっと不明なのでしょう。


今日立ち読みした雑誌に書かれた事などを合わせ現在の主要な説?を3つ紹介してみたいと思います。


武士の起源


①地方の豪族や開拓農民が武装化したもの


②衛府の武官(貴族)が地方へ下向したまま在地化したもの


 ③軍事貴族が在庁官人化したもの


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①地方の豪族や開拓農民が武装化したもの

旧来通説だったもの。地方出自の郡司クラスやそれ以下の草莽の人々がそれぞれ自衛のために武装化したというもの。


②衛府の武官(貴族)が地方へ下向したまま在地化したもの

武芸を家芸とする中級貴族は近衛府などの武官として朝廷に仕えていた。彼らが地方に下向したまま在地化し、地方有力者との婚姻関係などを通じて土着していったというもの。つまり武士の起源は朝廷の武官であるというもの。地方へ下向した武士の第一世代は官位を持つため「軍事貴族」と呼ぶとのこと。平高望、源経基、藤原秀郷など↓



高橋昌明(まさあき)・神戸大学名誉教授は、「武士の始まりは朝廷警護の近衛府(このえふ)などの武官」と論じる、、、と書かれています。つまり朝廷の武官が武士の起源とする説



 ③軍事貴族が在庁官人化したもの

増えすぎた王臣子孫(皇族・貴族の子孫)が地方へ下向し開拓領主として武装化。官位を得て「軍事貴族」となりそれが国衙の在庁官人(地方役人)となったもの。



↑今日この雑誌を立ち読みしました。武士の起源について書かれていましま。③の説について。元日本大学の教授、関幸彦氏の著述。


立ち読みした記憶をもとに少し内容を説明してみます。


王臣子孫(皇族・貴族の子孫)が地方に下向し開発領主となり武装化した。彼らは兵(ツワモノ)と呼ばれた。武力・武器を扱う「器者ウツワモノ」が語源とのこと。彼らはまだ「武士」ではありません。


平将門や藤原純友のような兵(ツワモノ)が反乱を起こします。朝廷はこれらの鎮圧を別の兵(ツワモノ)に命じます。反乱を鎮圧した兵(ツワモノ)は功績により四位や五位といった官位を朝廷に与えられます。兵が貴族の位を得たのです。これを「軍事貴族」と呼びます。軍事貴族は朝廷の在庁官人(地方役人)となり彼らの武力は公的なものとなりました。この在庁官人となった軍事貴族が武士の起源であるという話。


たぶん、あくまで関氏の説です。


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2000年代以降の武士の起源をめぐる説においては軍事貴族というワードが重要なように思えるのですが、②の説と③の説では軍事貴族という語の意味が少し異なるようで注意が必要かと思われます。言葉の定義は無いのでしょう。


どの説が正しいのかわかりませんし、どれも正しくないのかもしれません。私が知らないだけで他にも説はあるのでしょう。


そして、きっと今後も新しい説は現れるはずです。でもタイムマシンがあるわけではないので永遠に不明な事ではあります。


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個人的には①②③の説が混ざったものが武士の起源なのかなと思ったりもするのですが、いかがでしょうか。


初期の日本刀と大鎧には地域性がない事が過去の研究から知られています。これも武士の起源が中央との繋がりが強い軍事貴族であれば説明しやすいように思われます。


つまり、中央でデザインされた大鎧と日本刀を身につけた王臣子孫の兵(ツワモノ)のうちで貴族たる五位以上の官位を持つ者が最初期の「武士」なのではなかろうかと考える所存です。広義には、その配下の郡司の一族や豪農クラスに武装させたものまでが「武士」に含まれるように思われます。中央由来の軍事貴族たる武士達は地方出自の郡司・豪農たちと婚姻による血縁関係を築きつつ武芸を磨き「武士団」となっていった。


そして武士団同士の抗争が各地で発生し、各自が中央政権に政治工作をして「我が主張こそ正当」というお墨付きを得ようとする。


中央は中央で権力争いが盛んで、地方の武士団をそれぞれの勢力が味方に取り込もうとする。


そんなこんなで保元の乱・平治の乱・源平合戦と抗争が発展していく、、、


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言うまでもないことですが、ここに書いた事はすべて素人解釈による妄想です。武士の起源について興味のある方は、ちゃんと異なる説を唱える専門家の書いた書籍をそれぞれ読んでください。


繰り返しますが武士の起源は「不明」です。


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