私の刀(大脇差)
白鞘は作らず実用可能な拵に入れています。59cmで800g弱。
そんな話をした時に「居合刀なんですね」と言われた事が何度かあります。観賞愛好家の人に。
刀剣鑑賞の愛好家、つまり鑑賞愛好家。
この言葉にはとても違和感を覚えるのです。
「居合」って何だろう?
59cmで800g弱のこの刀がとても居合に向いているとは思えません。居合道に入門するのにこんな刀を持って行ったら指導者に叱られそうです。でも武用ではあると思います。というか武用でない刀は儀仗刀と奉納刀しか存在しないはずです。
私の刀は居合には向かないけど、こういう使い方には向いているはずです↓
#薬丸自顕流#枚方市#鹿児島#剣術
— 薬丸自顕流 枚方道場 (@tonbo890) May 26, 2024
本日も良い稽古が出来ました。
素晴らしい気合いで打ち込んでいます。
そしてしっかり体全体使って乗せて打てています。
気合いだけで空回りも駄目ですし、技術に走って器用なだけでもいけません。
次回は6月9日予定。 pic.twitter.com/5k0X0hl5rF
剣術の中で「居合」というのは一部に過ぎないと思うのですが、なぜ現代では武用の刀はすべて「居合刀」と呼ばれるのでしょう。感覚としてですが、鑑賞愛好家から自分の刀を「居合刀」と言われるのはなぜか不快に感じます。もちろん悪意などないのでしょうけど、反対に鑑賞愛好家に「観賞用の刀ですね」とか言ったら不快に思われたりもするのでしょうか。
武道家の間では居合練習用の摸造刀が「居合刀」と呼ばれているので、これもややこしいかもしれません。用語の統一は難しそうです。
私の刀はすべて居合刀ではなくて武用の斬殺刀です!
どれも居合に使うには少々重たいと思うので。知らんけど。
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