平安時代の貴族って同時代に何人くらいいたのか気になって少し調べてみました。googleのAIの話では150~200人程度とのことです。ちなみに、平安時代の人口は500~700万人。

 

以下抜粋↓


平安時代の貴族は、150~200人ほどで、人口の0.003%未満でした。家族を含めると700~800人ほどで、全人口の1%未満でした。
平安時代の貴族には、正一位から少初位までの30階級があり、天皇、上皇、皇太子、一位から三位までの貴族が「公卿」と呼ばれていました。公卿は家族を入れて100人前後、四・五位の貴族を加えた貴族層は家族を含めて千人ほどでした。

 

・・・・・

また、wikipediaには以下のように書かれています↓

 

 

従五位下以上の位階にある者を「通貴」、従三位以上の者を「貴」とされたことから、五位以上がいわゆる貴族の位階とされた。また、この従五位下の別称を栄爵と別称し、またその位階にある者を大夫といった。また、中国では秦の始皇帝が松の木に日本の従五位に相当する大夫の位を授けたことから、大夫に相当する従五位を松の位、松爵(しょうしゃく)とも別称するようになった。これらのことから、従五位下に叙せられることを叙爵といった。従五位下以上の位階にあることが平安貴族としての資格であったといえる。

 
 
ちなみに、その下の正六位の説明には以下のように記述されています↓
 
地下人の位階とされ、五位以上の貴族(通貴)とは一線を画する位階であり昇殿は許されなかった
 
・・・・・
 
毛抜形太刀の現存数はとても少ないと思いますし、儀仗刀と化したものしか良い状態では残っていないと思います。なんでこんなに少ないのかなと思ったのですが、そもそも作られた数がとても少ないのでしょう。
 
毛抜形太刀は「衛府の太刀」と呼ばれたように衛府の武官の佩刀です。ここでいう「衛府の武官」というのは貴族身分の人を差しているはずです。下士卒の類を含めているとは思えません。どの程度の人数なのかはわかりかねますが、貴族全体で200人なのであれば多く見積もっても50~100人程度なのではないでしょうか。もっと少ないとは思いますが。
 
つまり、その程度しか作られていないのかもしれません。
 

↑公家(文官?)の儀仗刀

 

↑武官の儀仗刀

 

この4振りは全て春日大社に納められているものです。貴族の人数の少なさを思うと、このようにこれらの刀剣が残っている事は素晴らしい事だと思います。さすが藤原氏の氏神。

 

ちなみに、一番上の飾大刀は現在春日大社で展示されているので実物を見ました、刀身はツナギ程度のもので文字通り飾りの大刀です。でも、見ての通り茎に明確な反りが見えます。まさに直刀と日本刀の間をつなぐものだと思います。時代的には下の毛抜形太刀と同じ頃のものかなと思うのですが、どうでしょうか。

 

ちなみに、毛抜形太刀の方は錆びついていて抜けないそうです。こちらは現在展示されていません。復元品の方が展示されていたような、いなかったような。

 

・・・・・