「なぜ日本刀に反りがついたのか?」

 

これについて紹介したtweetが先日バズりました。このような内容が多くの人の興味を引いた事に驚いています。多くの人にとって先日の内容が珍説に思えるからなのかな?とも考えました。

 

でも、日本刀の成立過程について歴史学の世界で現在どう考えられているのかを知れば、少なくとも「珍説」とは思えなくなると思うのです。今回改めて日本刀の成立に至る過程が現在どう考えられているのかを紹介してみようと思います。

 

 

↑長らく石井昌国氏のこのような説が強く支持されて定説化していました。蕨手刀が発展して毛抜形太刀になり、そして日本刀になったという説。
 
これとともに、蝦夷の騎馬戦術を取り入れたために馬上で刀を使いやすくするために刀身に反りが生じて日本刀になったのだという説も広く支持されました。直刀は歩兵刺突用・湾刀は馬上斬撃用であると。
 
 

 

これに対して2010年の論文で本格的な疑義が出されます。石井氏はこの分野の大家であったのですが、彼の説は彼の死後に発掘された出土物などとの整合性がとれないという事で新たに出された論文です。

 

この論文↓

 

 

日本刀の成立過程--木柄刀と古代刀の変遷
津野 仁
考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 94 (3), 175-213, 2010-03
日本考古学会

 

この論文では石井氏の「蕨手刀から毛抜形太刀・日本刀にいたる発展」という説が否定されます。

 

毛抜形太刀も日本刀(太刀)も蝦夷の蕨手刀から発展したものではなくて、方頭大刀という律令制で定められた朝廷の制式刀から発展したものだとしています。

 

↑方頭大刀は木柄式のものと全鉄製の共鉄柄刀の2種類が存在します。木柄式のものが日本刀に、全鉄製の共鉄柄刀が毛抜形に発展したと書かれています。

 

 

同論文から抜粋↓

 

 

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津野氏のこの学説は歴史学の世界で支持されたようで石井氏の説と置き換わります。その後この領域の研究者の著述物はすべてこの津野氏の論文の内容を前提に書かれています。

 

↑2022年出版の書籍。日本刀のの源流は直刀(木柄式の方頭大刀)であるという説明がなされています。

 

古代の刀剣: 日本刀の源流 2022
小池 伸彦 (著)

 

1956年、岐阜県生まれ。1980年、広島大学文学部史学科考古学専攻卒業。1985年、広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現在、国立文化財機構奈良文化財研究所客員研究員 ※2022年11月現在
【主要論文】「飛鳥の工房二態」(奈良文化財研究所編『文化財論叢3』、2002年)、「大和刀工研究序説―飛鳥池工房から三条小鍛冶伝承にいたる―」(奈良文化財研究所編『文化財論叢4』、2012年)

 

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ところで、なぜ日本刀に反りが生じたのか?
 
かつては蝦夷の騎馬戦術を取り入れて馬上斬撃に有利にするために蕨手刀の形状を取り入れたと言われていました。しかし蕨手刀が日本刀のルーツであるという説が否定されると当然この説も否定的に考えられるようになります。
 
 
 
 
 

↑刀剣画報 22年4月6日発売号・23年10月6日発売号から抜粋

 

このように、馬上使用説は一般向け雑誌で研究者が断定的に否定するに至っているのが現状です。

 

しかし「なぜ反りが生じて日本刀が生まれたのか?」という問に対する有力な説がないのが現状です。上掲の近藤博士も「難問である、にわかに解答できない」と記述しています↓
 
 
 
実はこれについても2010年の津野氏の論文の中に仮説が書かれています↓
 
 
大刀・太刀の機能表現は「打つ・切る」であるが、湾刀化して以降は「打ち切る」という語がみられるようになる。これは打つ機能と引き切る機能を兼ね備えたものであると書いています。つまり打ちこみ時の引き切る機能を増強するための湾刀化なのではないかと津野氏は書いていると理解できます。
 
ただ、歴史学の世界ではこの部分はあまり支持を得ていないようで、それは上掲の近藤氏の記述をみてもわかります。個人的にも「打ち切る」という語が湾刀化以降に特に多く出現するわけでもありませんので疑問に思います。
 
なぜ反りがついて湾刀化したのか?
 
旧来の通説がすでに否定されているが、湾刀化についての有力な説は存在しない。それが現状です。
 
ちなみに、研究者ではなく武道家の意見として「突きやすくするため」という説を見かける事が比較的多いように思います。ただ、文献的にはこれは否定されます。
 
津野氏の同論文から↓
 
大刀・太刀は切る、刀(短刀)・腰刀は「突く・掻く・刺す」
 
両者で明確に機能表現が異なっているとの事です。ちなみに近藤氏の名前が出ていますね。狭い世界なのでしょう。
 
なお、言うまでもない事ですが太刀で刺す事もあったはずです。刺すために切先が尖っているのですから。古文献にも太刀で刺す記述は存在します。ただ、あくまでも一般的な直刀・湾刀の使い方はともに「打つ・切る」であったことが研究で明らかにされています。
 
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現在は湾刀化に対する有力な説が存在しない。そういう背景があっての先日紹介した仮説なのです。つまり儀仗刀としての面からの湾刀化なのではないか?という春日大社学芸員の荒井氏の仮説です。
 
 
荒井氏の記述↓
 
 
 
 
 
 
 
 
私なりに簡単に説明してみます。
 
奈良時代→平安前中期→平安後期
※聖徳太子は飛鳥時代の人ですが、この絵は奈良時代の姿で描かれた想像図だそうです。この絵の姿は養老律令時代の朝服姿とされています。
 
 
 
 
荒井氏の説の著述の意味は上図の説1と説2に話がわかれます。
 
説1の説明
 
奈良時代~平安前期は朝廷での政務スタイルは立位・椅子座位。
平安中期頃から床に直接座るようになる。
聖徳太子スタイルで刀を吊り下げると床にあたる。
腰の石帯の位置まで刀を上げた。
長い直刀だと抜けなくなる。
抜きやすいよう反りをつけた、
 
 
 
説2の説明
 
奈良時代~平安前期は朝廷での政務スタイルは立位・椅子座位。
平安中期頃から床に直接座るようになる。
聖徳太子スタイルで刀を吊り下げると床にあたる。
腰の石帯の位置まで刀を上げた。
これでも直刀だと鞘尻(コジリ)があたりそう
鞘尻を引き上げたい
刀を反らせた
 
 
この説1と説2を合わせた理由により刀身を反らせた湾刀(日本刀)が生まれたのではないか?というのが荒井氏の記述だと理解しています。
 
 
また、過去の研究で判明している事と絡めて以下のような事が書かれています↓
 
初期の日本刀には地域制がなく全国一律でどれも似通っている事。
 
大鎧も同様である事。
 
太刀も大鎧も中央(都)で生まれたものなのではないか。
 
武士の起こりが従来は地方の開拓農民が武装化したものとされてきたが、現在では中央の軍事貴族が武士の起こりではないかという説が強くなっている。
 
つまり中央の軍事貴族が京で開発された大鎧と太刀で武装したものが最初の武士だと。だから武士の装備は刀も鎧も地域制が存在しないのではないか。
 
初期の日本刀に地域制がない事や大鎧も同様であるというのは他の資料でも見た事がありますし、武士の起こりが武装した開拓農民ではなくて中央の軍事貴族なのではないかという説も同様です。これ自体は荒井氏の意見ではなくてここ10年くらいの歴史学の成果です。
 
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荒井氏の説は面白いとは思うのですが、記述を読む限りでは根拠が薄すぎる事もまた事実かと思います。今後の研究が待たれます。
 
私自身は研究者でも専門家でもありませんから、素人の趣味としてこういう事を調べて考えているだけです。面白いので紹介しましたが特にこの説を支持しているわけではありません。 

この件に関するtweetが妙にバズったので改めて内容を紹介しましたが、、、
 
 この記事で伝えたいことは、日本刀のルーツは蝦夷の蕨手刀という旧来説が今は否定されているという事です。そして日本刀のルーツは朝廷の方頭大刀だと考えられているという事と。
 

 
 
↑最後に、なぜ方頭大刀には木柄式と共鉄柄の2種類が存在したのか?
 
木柄式が儀仗刀、共鉄柄式が兵仗刀(実用刀)と考えられています。弥生時代末期から木柄の刀が出現し、古墳時代を通じて木柄式の装飾大刀が多数作られています。もちろんそれらは儀仗刀です。並行して実用品として共鉄柄の刀も作られています。律令の導入により刀剣の形が方頭大刀に統一されるのですが、古墳時代の流れをくんで木柄の儀仗刀と共鉄柄の兵杖刀の2種が作られたのではないかと考えられています。
 
この様な前史があるために荒井氏のような説(儀仗刀からの発展)も思いつかれたのではないかと考えます。こういう知識がベースにあれば決して珍説の類には見えないはずです。荒井氏の説が正しいとは思えないのですが、日本刀は木柄式なので儀仗刀の系譜から生まれたものなのでは?と私も考えます。ただし、これも現時点では根拠の薄い話です。今後の研究が待たれます。

現状では有力な説は存在しないのです。
 

なぜ儀仗刀であった木柄刀が兵杖刀になったのか? いつ兵杖刀が木柄刀に置き換わったのか? なぜ日本から共鉄柄刀が消滅したのか?

わからない事だらけです。

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私が抜粋した資料に恣意的な偏りがあると思われてもいけませんし、私の説明が悪くて誤解があったり、私の理解が間違っていたりという事もあるかもしれません。
 
興味のある方はここで紹介した以下の原著を直接読んでください。
 
全てうちの近所の図書館にあったものなので、購入しなくても読めるものが多いと思います。
 
日本刀の成立過程--木柄刀と古代刀の変遷 津野仁
古代の刀剣 日本刀の源流 小池伸彦
刀剣画報 22年4月6日発売号・23年10月6日発売号 連載 日本刀の歴史 近藤好和
最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展 春日大社発行
 
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追記



横佩大臣 よこはきのおとど

藤原 豊成 704〜766


こういう人がいたそうです。面白いので載せておきます。


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