久しぶりにヴィクトリノックスの新しいアイテムを購入しました。ハサミと栓抜きとプラスドライバーとUSBメモリがついています。

 

ナイフがついていないので何かと良いと思います。

 

 

 

>銃刀法では6センチメートル以下の刃物は携帯しても構わないけど、それを隠して携帯していた場合には軽犯罪法違反になる可能性がある

 

↑法律的にはこんな感じです。ナイフマニア達にはよく知られている事かと思います。

 

現実的には5cm台のこれのナイフ付きを持ち歩いていても警察に違法だと言われて逮捕されるような事はないと思います。でも、「ナイフを持ち歩いている」というイメージの悪さが一番の問題なのです。若い頃に職場の職員旅行の時に出して袋を開けたらオバちゃんに微妙な目で見られました。それ以来ブレードレスのモデルを愛用しています。

 

これ、何が良いってアルミハンドルなんですよ。

 

 

これまでブレードレスのモデルはプラスチック・樹脂ハンドルしかなかったのですが、キーケースに入れているとキズだらけになって汚くなります。アルミハンドルはそうならないので良いのです。

 

USBメモリは32GBと容量が少ないのですがTypeA・C両用なのが良いです。正直、これいらないから薄い方が良かったかなとも思うのですが。

 

栓抜きは今の時代に滅多に使う事はないですが、地ビールって瓶入り栓抜きのが多いのでこれがあるといつでも瓶ビールが開けられて良さげです。現実的にはハサミしか使わないような気もしますが、USBメモリは案外使うのかもしれません。プラスドライバーは普通に使うには小さすぎてメガネに使うには大きすぎるという微妙なサイズです。

 

 

 

 

 

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江戸時代はエコで環境に優しかったとか、江戸時代は全て自給自足で必要なものを賄えていたとか、果ては江戸時代は現代よりも平等だったとかいう話をネット上でたまに見ます。

 

歴史にさして興味のない人にとっての江戸時代というのはそういう感じなのでしょうか。

 

 

江戸時代はエコで環境に優しかった?

 

江戸時代の写真や絵を見ると木が少ないのがわかります。

 

↑中山道(長野県)の写真らしいです

幕末頃は日本中こんな感じで木がとても少なかったようです。

 

 

↑これも中山道の絵らしいです。上の写真同様に木がとても少ない。

 

江戸時代の山は禿げ山だらけだったというのはよく知られている事かと思います。燃料が木炭しかなかったのが主な理由でしょう。自然環境に優しい風景とはとても思われません・・・

 

明治時代に石炭の利用がはじまって以降に木炭の需要が減って自然が回復したものと思われます。我々がイメージする田舎の山林の風景は、100年かけて昭和期までに山林が回復した姿なのです。厳密には植林によりかなり人の手が入った山林ですが。

 

鉄を作るためには大量の木炭が必要なので周辺はハゲ山になっていたというのは刀好きの人には有名な話だと思うのですが、鉄を作る以外にも米を炊くにも湯を沸かすにも昔は毎日大量の木炭が必要だったわけです。

 

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江戸時代は全て自給自足で必要なものを賄えていた?

 

江戸時代の食料自給率は当たり前ですが100%です。日本の人口は江戸時代初期に1500万人程度。中期に3000万人を超えてそこから明治まで変わらず。当時の日本の農業生産力で養える人口が3000万人程度だった事がわかります。3000万人を超える人口は間引きや餓死などで消えるために食料自給率は当然100%。

 

養える人口=石高

 

↑前近代の日本の人口は概ねこうなるようです。江戸時代初期の石高は日本全体で約1500万石で江戸時代半ば頃には3000万石くらいになっています。

 

化学肥料その他の効率化により、日本の石高は昭和42年の9600万石が歴史上最大のようです。

 

この数字だけ見ると食料自給率100%は経済効率を無視すれば可能なようにも思えますが、、、化学肥料も燃料も輸入に頼っての昭和42年の9600万石です。そう思うと自給自足の難しさがよくわかります。

 

燃料がないとトラクターは動かないし電気がないと精米機も使えません。化学肥料がなければ面積当たりの収穫量が激減します。

 

エコが好きな人には化学肥料を否定する人も多いのですが、日本の人口も世界の人口も化学肥料を使用しなければ必要な食料を賄う事ができないという基本を知らないのかもしれませんね。もちろん有機農法の作物だけを買えるお金持ちの人は何を買うのも自由ですし、そういう層に向けて敢えて高値で売るために無農薬農業をするのも市場経済的には有りだとは思うのですが。

 

食料は戦略物資なので自給率の向上は大切だと思います。ただし、明治以降の日本の人口は国際社会との関わりなしには養えない数である事も同様に理解されるべきかとも思います。より良い国際関係とシーレーンの確保こそが重要と言えるでしょうか。これは先の戦争の教訓でもあります。

 

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江戸時代は現代よりも平等だった?

 

江戸時代は身分社会だったので平等なはずがありません。これを知らない人はさすがにいないと思うのですが、どこから「江戸時代の方が平等だった」という話が出てきたのでしょうか。

 

思うに、貧富の格差の事を言っているのではないでしょうか。

 

確かに現代よりも江戸時代の方が貧富の格差が小さい。これをもって「現代よりも江戸時代の方が平等」と言っているのかもしれません。

 

アメリカでは上位1%が富の1/3を保有し、下位50%は富の2%しか保有していません。日本もそれに近づきつつあります。

 

それに比べれば江戸時代の日本はとても貧富の差が少なかったはずです。しかし、これは江戸時代の日本に限らず社会が貧しいほどそうなるので昔は世界的にそうだったとしか言いようがありません。

 

つまり、皆が貧しければ上位者も富を蓄える事はできないということです。これは相対的な意味ではなくて絶対的な意味での貧困についてのことです。皆が餓死するかしないかの瀬戸際で生きている社会では過剰な富が生産されない。ただそれだけのことです。

 

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現代と比べれば、江戸時代はものすごく不衛生で不平等で貧しい社会です。

 

それでも治安がよくて平和だった事は同時代の世界の他地域とくらべれば素晴らしかったとも思いますが。

 

思えば、日本人が毎日風呂に入るようになったのだってそう遠くない時代です。面倒で子供の頃は冬場は2日に1回しか風呂に入らなくても親に怒られなかった気がします。私の親世代の感覚(昭和20年代生まれ)で言えば風呂に毎日入らないからといって不衛生でもなかったのでしょう。今では耐えられませんが。

 

↑昭和37年の広告だそうです

 

 

昭和55年生まれの私の記憶でいうと、大阪では電車に列を作って並ぶ習慣もなかったように記憶しています。街も空気も川も海も汚かった。光化学スモックでプールに入れなくなり、奈良から夕方に西の空を見ると大阪の汚い空気に夕日の光が乱反射してケバケバしいピンク色の空をしていました。

 

海水浴場にはゴミがたくさん浮いていたし四国へ行くフェリーに乗れば海は赤潮に染まっていた・・・

 

 

 

昭和のノスタルジーに似たようなものが江戸時代にはあるのかもしれませんね。

 

そういえば、子供の頃は「納豆なんて人間の食べるもんじゃない」と周りの大人は全員言っていたような気がするのですが、いつから関西人も納豆を食べるようになったのでしょうか。今では高齢者もみんな食べていますが、私には耐えられません・・・

 

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