日本刀には業物とか大業物などという位列:ランクがあります。
 
・最上大業物
・大業物
・良業物
・業物
 
五代目山田浅右衛門が著書に記したものなのですが、有名な位列になっていると思います。
 
 
大業物の判定基準は、「30歳前後から50歳代前後の男子の胴」で「平時に荒事をしていて骨組の堅い者の乳割(ちちわり:両乳首より少し上の部分を指す試し斬り用語)以上に堅い所」を10回斬撃したときの切れ具合で決まります。
具体的には、10回中、7〜8回両断または両断寸前まで切り込めた場合が大業物です。ちなみに8〜9回の場合は最上大業物と判定されました。
過去にも何度か書きましたが、山田浅右衛門の死体斬りで成績の良い刀は武器として優れた刀では絶対にないはずなのです。
 
まず、単純にこの斬り方だと先端重心の刀ほど有利で手元重心の刀では力学的に切断能力が劣ってしまいます。先端重心の刀が使いにくいのはよく知られている事かと思います。

 

また、死体の骨を切断するのに適した刀というのは刃先の硬度的に硬すぎる・もろすぎる。竹などを斬るには良いかもしれないけど、戦道具としては不出来。つまり竹を斬るのに最適な刀というのも同様のはずです。実際に成瀬関次が色々書いています。

 

 

以下、成瀬関次の記述

 

 物切りは所詮物切りたるに過ぎない。据物切りに成功した刀が、直ちにそのまま戦闘に役立つとはいえない事は前に述べた。戦うに適する刀は、据物試しだけではけっして定められない。良刀業物と称する刀は、幾多の実戦に用いた結果の選定ではなくて、徳川泰平の世に、首斬り役人の試刀によって名を挙げたものなる事を記さねばならない。首斬り淺右衞門の選んだ業物なるものは、そうした物切りだけで甲乙をつけられたものである事を忘れてはならないのだ。
・・・・
小塚っ原で罪人の首や胴を試して業物の折紙のついた刀も、彼我白兵戦では必ずしも業物でないのは、単に刃が切れるだけでは、用をなさないからである。
・・・・・
軍陣に必要な刀というのは、刃の働きというよりも、“あらゆる場合に粘りの強い刀”である。
・・・・・

 

 


前者には古刀が多く含まれており、したがって刃曲がり刃まくれは比較的多く、後者には、新刀新々刀が多く、刃曲がり刃まくれは割に少なかったが、切先の折れと、刃こぼれとは断然多かった。
中略
前者で軟鉄や真鍮の類を削ってみると、サクサクと快よく削れ、鑢〔やすり〕はほんの少々受けつけるが、後者で削れば、サッサッとしたきつい感じで、鑢は受けつけない。首斬り淺右衛門の最上大業物とした虎徹には、どちらかといえば後者の条件味も少々ある。多々良長幸、ソホロ助廣になるとそれがずっと強い。二代兼元即ち關の孫六、初代及び陸奥守忠吉、二代元重などは前者の気味であろう。大業物としたものの中で、二代包貞、初代國貞、堀川國安、良業物の初代是一、初二代康継、業物の井上眞改、法城寺正弘などは、押さえた感じが堅くて、その中には見ばのよくない鋳物〔いもの〕の欠け口のような刃こぼれさえあった。

 

 当時、眞改程の作品でも折れるのかなあ、と思っていた事であったが、泗水で、桑田部隊某将校の佩刀井上眞改(寛文十三年二月)に、大きな刃こぼれがあったのを見て、「眞改は脆いのか」と考えた。
 初代是一、照包、といったような名のある刀にも、かなり大きな見ばのよくない刃こぼれがあって、色々考えさせられた。形体上の美術的条件の具備と、浅右衛門あたりの試し斬りから、一躍名刀となったものも、実戦用としてはいかがか。

 

https://plaza.rakuten.co.jp/finlandia/diary/201110260000/
 

・・・・・

 

刃先の硬度と靭性のバランスの事などは当時の人間でも少し考えればわかりそうな事です。しかし現代の愛刀家の中にすら浅右衛門の位列を刀の性能の良さだと本気で思っている人がいるようで閉口してしまいます。

 

刀の切れ味を死体で試してランク付けして金を取るというビジネスは当時の仏教的な倫理観で言ってもあまり褒められた行為ではないように思われます。山田浅右衛門自身は色々と思う所もあったようですが、、、おかしな欲求でこういう馬鹿げた事をやらせる人がたくさんいたわけです。当時の日本人の民度がわかるようですが、現代でも大差ないのかもしれません。これの位列の高い刀や裁断銘のある刀を有り難がって買う人も同レベルだと思います。

 

本当に刀身の性能を試すのであれば旧軍の軍刀の負荷試験のような地味なものになるでしょう。

 

・・・・・