前に何度か紹介したこの本について

 

今回はこの本の内容を引用しながら書いてみます。

 

2022年末の出版なので日本刀の成立について書かれた書籍の中でも最新のはずです。

 

過去にこのブログで紹介された書籍の内容も全て含めたうえで考察がなされています↓

 

 

 

別書から

日本刀の前史

弥生時代・古墳時代の刀剣↓

 

 

 

 

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日本の刀剣の歴史を振り返ると、

 

弥生時代に素環頭大刀がとその作成方法が伝わる(弥生時代)

環頭の部分を切り取って木の柄をつけるもの(直刀)が発生(弥生時代)

直刀の柄に多彩な装飾をつける(装飾付き大刀)古墳時代)

律令で方頭大刀に統一される(飛鳥・奈良~平安時代)

 

↑方頭大刀

刀身は上古刀と呼ばれるもの。

 

この方頭大刀の時代から話をはじめてみます。

 

律令の衣服令によって刀剣の形式が統一された

全国に公設の工房が設置された

規格が統一された武具が生産された

だから方頭大刀には地域性がなく全国一律の形状

 

 

中央の官営工房と地方にはそれと同一規格の国衙工房が設営された。そして7世紀後半には全国で同一規格の武具が生産されていたことが記載されています。

 

以前、初期日本刀の成立において「馬の上で使うための形ではない」と長船助光刀匠が書かれていた中で、古い絵巻の徒士武者もすべて反りのある太刀だし、そもそも実用目的の形状なのであれば地域ごと個人ごとに使いやすい形で作らるはずなのに初期の日本刀は東北から九州まで全部同じ形なのは説明できない。中央で形状がデザインされたうえで全国の工房で同じものを作らせた結果のはずだ。というような意味の事を書かれていました。

 

自分は不勉強でそういう事が中世の初期に可能なのか?と思う部分もあったのですが、8世紀までにはすでにそういうシステムで全国一律で統一化された武具の生産が行われていたわけです。だから律令で規定された方頭大刀は全国一律で形状に地域性がない。初期の日本刀の形状に地域制がないのも同じ理由のようです↓

 

 

 

方頭大刀や初期日本刀には発生段階から地域制がなかった。

 

これに対して蕨手刀や共鉄柄の方頭大刀のような実用刀には地域性があります。こちらが後の時代の日本刀の五箇伝のような地域性に発展していくのではないかとこの本には書かれています。

 

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日本刀は蝦夷の蕨手刀が起源であり、蝦夷の騎馬戦術を取り入れた事と関連して日本刀は騎馬戦闘に適合するために成立した、、、というのが従来説です。

 

しかし近年の研究を踏まえて日本刀の源流は「方刀大刀=上古刀=直刀」であるとこの本には書かれています↓

 

 

 

↑茎の形状や区の形式・二枚合わせの柄木(つまり古墳時代とは異なる形式)、金属製の鍔やハバキなど。

 

これらは全ての日本刀に共通するものですが共鉄柄構造の蕨手刀とは決定的に構造が共通しえない部分でもあります。

 

 

 

「日本刀の源流は蕨手刀」という部分が崩れてしまうと「日本刀は騎馬戦闘~」という仮説も成り立たなくなります。

 

だから少なくともここ10年以内に書かれた書籍からはそういう記述がなくなっている。

 

では、馬と関係がないとすればなぜ反りのある湾刀となったのか。

 

この書籍では湾刀化して以降の文献にはそれまでに見られなかった「打ち切る」という表現が太刀の使い方にみられる事から、操刀法の変化によって引き切るような使い方が普及したためではないかと書かれています↓

 
 

これは2010年の津野氏のこの論文を根拠にしたものです↓

 

 

 

個人的には元文献の「打ち切る」という記述自体が少なすぎるうえに少々無理があるようにも思われます。

 

助光刀匠は初期日本刀の形状は儀仗刀としての側面からデザインされたものであると書かれていましたが、私としてもそちらの方が正しいのではないかと考えます。

 

敢えて実用方面で湾刀化の理由を考えるなら、私は「刀を抜きやすくするため」ではないかと考えます。

 

刀を腰に差して刀を抜いてみれば体感的にも分かりやすい事だと思います。反りの浅い刀は抜きにくく、反りが深い方が抜きやすい。日本刀に限らず世界中の湾刀の反りの理由ではないかと個人的には考えます。

 

ただ、その理由であっても初期日本刀の形状は使いにくいと思います。

 

儀仗刀として生まれた日本刀が実用品として使いやすく変形していく過程こそが、日本刀の歴史なのではないかと考える次第です。使いやすさよりもデザイン優先だからこそ最初期の日本刀が最も美しいのではないかと思うのです。

 

 

 

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私が日本刀の起源について疑問を持ったきっかけは子供の頃に遡ります。

 

1990年代の事です。日本刀の起源は蝦夷の蕨手刀であり、蝦夷との戦闘を通じて武士が騎馬戦術を取り入れて馬上戦闘に有利な反りのある日本刀が生まれた、、、と書かれていたわけです。

 

 

しかし、蕨手刀が日本刀の起源とはどうにも腑に落ちない。形や雰囲気が違い過ぎる。どう考えても上古刀として紹介されている刀の方が日本刀に似ている・・・

 

 

 

だから助光刀匠が「初期の日本刀が馬の上で使うために生まれたものではない」と書かれていた時に、やっぱりそうなんじゃないか?と思って調べ始めたのが最初です。

 

調べてみたら既に10年以上前からそういう説は書かれておらず、2010年には今回紹介したような研究が出ていたわけです。

 

毛抜型太刀との関連でいえば蕨手刀の影響があるのはたぶん間違いないとも思います。

 

そして毛抜型太刀と初期日本刀の形状の類似性を考えれば蕨手刀の影響が日本刀に全く無いというのも間違いかとも思います。デザインの一部として取り入れられたと考えるべきでしょうか。

 

ただ、調べてみてわかったのは「まだまだ不明な事ばかり」という事です。

 

どんな意見も今の段階では仮説の域を越えないし、今後もそうなのだと思います。

 

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