過去に何度も書いている私の持論です。
 
何度も書いているのですが、また書いてしまいます。
 
そしてきっと今後も書き続けるのでしょう(笑)
 
 
 
 
なぜ古い刀より新作刀が良いのか。
 
「日本刀が好き」という人は古美術品として価値のある古い刀の方が好きな人が多い。
 
ひどい人になると「現代刀には価値がない」なんて言います。
 
そうではない人でも注文打ちで刀を新作する事は勧めない人の方が多い。
 
注文打ちを勧められない理由として、「どういう刀ができるのかわからないうえに、出来た刀が気に入らなくても断れない。」と書かれていたのを見た事があります。だから売られている刀の中から良いものを選ぶ方が良いとのことでした。
 
また、新作刀は価格が高い。無鑑査刀匠やコンクールで特賞を獲る人の注文打ち料金は白鞘入り150~。
 
それが中古になると無鑑査刀匠の刀でも50~60万円くらいで買える事がある。
 
 
それなのに、なぜ新作刀が良いのか。
 
以下は私なりの理由です。
 
 
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理由はひとつで、確実に健全だからです。
 
古い刀は古刀~現代刀にいたるまで前の持ち主・過去の持ち主がどういう事をしているかわからない。
 
刀は使えば曲がるもの、曲がったら直して使うもの。
 
でも過去に曲がった刀はコシがぬけて曲がりやすい。
 
 
↑また研ぎ減りして皮鉄が減った刀は曲がりやすい。
 
 
 
曲がった刀を直しても痕跡は残らないし、元々の重ねの厚さはわからないから数値で研ぎ減りはわからないし、鎬筋~刃先の鉄は研ぎ減りしていても数値にも出ない。だから研ぎ減りの程度もわからない。
 
昭和のスノベ軍刀は美術性がないけどよく斬れると聞きます。でも過去に曲がったものであれば強度は弱いはずです。
 
針金とか細い鉄の棒を曲げてみるとわかりますが、何度か曲げ伸ばししていると柔らかくなってきます。これが金属疲労。
 
だから本鍛錬かスノベ刀かに関係なく、金属疲労がある刀は当然よわい。
 

古い刀に限らず、戦後の刀であっても試し斬りで使われて曲がった刀であれば同じです。

 
むしろ試し斬りに良さげな手頃な価格の中古現代刀というのは、過去に試斬で曲げてしまったので売りに出されているものかもしれない。なぜか平成の半ば以降に試斬する人が急増しているように思われてなりません。
 
 
だから虎徹や清磨の正真銘でも、兗洲虎徹といわれるような戦時中のスノベ刀や戦後の有名な刀匠の刀でも、いま売られている刀は強度とか斬れ味とかは新作の凡刀以下かもしれない。
 
斬れる刀が欲しいという人は、刀というより刀匠の名前ばかりを気にしているような気がしてなりません。でも間違っていると思います。根本的な部分、物理の部分で間違っているはず。
 
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上記は全部可能性の話です。確率論。
 
そんな強度が低下した刀なんて売られている刀の1%くらいしか存在しないのかもしれない。でも、ひょっとしたら30%くらい存在するかもしれない。そして、確率が高くても低くても、自分が買う刀の使用歴は知りようがない。わからないものは信用できない。だから新作刀の注文打ちが一番良い、、、というのが私の持論です。
 
 
 
私の感覚では、古い時代よりも昭和5~20年の15年間ほどの間に「数十万振り単位」の日本刀がナマクラになってしまったように思われてなりません。
 
使って曲げられたものも多そうですが、空襲で一度焼けてしまった後に再刃されたものも多いように思われてならないのです。再刃の刀は価値が9割なくなると聞きますが、強度も低下します。強度的には十分に使えるレベルかもしれないけど新作刀には劣るでしょう。
 
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刀は使えば曲がるものと聞きます。
 
①曲がれば直して使う
②何度か繰り返すとコシがぬけて曲がり癖がつき使えなくなる。
③火で刀身をあぶって冷水で急冷:熱処理で補強
①に戻る
 
繰り返すといずれ熱処理での補強が効かなくなりスクラップ。残欠として刻んで再利用。
 
近代に入ると③の熱処理での補強がされなくなります。
 
平和な200年の徳川期に失伝したのかもしれませんが、これは「再刃」と同じようなものですから美術品としての価値が激減します。再刃の刀は価格が9割下がるそうです。刀が美術品となった時代には行えない処置です。
 
 
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古美術品として日本刀を収集するのが趣味の人にとっては全く関係のない話なのですが、そもそも日本刀なんて人生でそういくつも買わない人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
 
それでも人生で一振り、日本人としてよく斬れる刀が欲しい。
 
そんな人が購入する大切な一振りであれば、私は確実に健全な新作刀の注文打ちが一番なんじゃないかなと、そう思う次第です。
 
あと、出生とか成人とか結婚とか人生の記念にするものであれば、言うまでもなく我が国の宗教的な視点から新作であるべきです。
 
 
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