私は古い刀より新しい刀の方が好きというか、自分で買うなら新しい刀の方が良いです。

 

刀剣愛好家でそんな嗜好の人は他にほとんどいないかもしれません。

 

日本刀愛好家の大半は古美術品としての日本刀が好きなはずですから。

 

ひどい人になると「現代刀に価値はない」なんて言う人までいます。

 

確かに中古で売却する時の売却額でいうと本当に資産価値はないのですが・・・

 

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私が新しい刀の方が好きなのは感覚的なものですが、理由をつけようと思えばそれらしい理由もあります。

 

武器愛好家の私としては古い刀は強度が信用できないのです。

 

斬れる刀が欲しいから古い刀は嫌だという事です。

 

明確な理由は「研ぎ減り」と「金属疲労」

 

これを考えてしまうと、例え虎徹や清磨の正真銘の刀であっても「斬れる刀・頑丈な刀」とは思えないのです。

 

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研ぎ減りについてですが、日本刀は強度を持たせるためにハマグリ刃にされます。

 

研ぎ減りすると肉(鉄)が減ってハマグリ刃の膨らみがなくなり、最終的にはフラットグラインドに近い形状になるはずです。

 

ハマグリ刃のふくらみの部分の鉄(平肉)が減っても、ヤフオクや刀屋のサイトの写真を見てもわからないのではないでしょうか。

 

重ねの厚さが薄ければ研ぎ減りしているように感じますが、重ねはそのままで平肉だけ減っている場合は数値には現れません。重ねも元が何ミリかは知りようがないのですが・・・

 

日本刀は使わなくても年月が経てば表面が曇ってきます。

 

特に昔は錆び止め油が植物性の油しかなかったので、古い油は酸化して錆の原因になります。

 

油を塗って放置すれば錆の原因になる反面、古い油をとるには打ち粉で拭う必要がある。

 

打ち粉は砥石の粉なので、繰り返すと曇ってきます。

 

ある程度曇れば研ぎ直される。

 

このサイクルを数百年経て古い刀は現存しているはずです。

 

研がれる度にハマグリ刃のふくらみの部分の鉄(平肉)が減ります。

 

そこまで大事にされなかった刀は錆びが出るまで放置されて、錆が出たら研ぎ直されたかもしれません。それはそれで肉(鉄)が減ります。

 

研ぎ師は刀の平肉を落とさないように注意して刀を研磨する、、、という事になっていますが現実は、、、

 

 

そんな事はお構いなしに 肉置を取り去っている”研屋”ならぬ”減らし屋”が多くいる事も事実であるが・・・

 

↑刀屋さんのサイトをみると、こんな感じのようです。

 

刃こぼれが出ればそれを消すために焼き刃・身幅も狭くなります。

 

重ねや身幅や焼き刃が減っていれば研ぎ減りはわかりやすい部分もありますが、平肉が落ちているかどうかは販売サイトではわからないでしょう。実物を見ろといわれそうですが、近隣に刀屋がそんなにあるわけでもないので難しい。それに刀屋ってすごく入りにくいうえに、平肉のつき方まで見ようと思うと手にとって見る必要があるでしょう。

 

 

 

↑特に日本刀は構造的に外側の皮鉄が硬いので、これが減ると曲がりやすくなるはずです。

 

ちなみに、自分の手元にある新作刀は見た目にもハマグリ刃の丸さがわかりますし、油を塗る時に指先でその丸みをわかりやすく感じます。ヤフオクで買った新刀期のものらしき40センチ強の脇差からはそれを感じません。脇差ですので元がどの程度だったのかはわからないですが。。。

 

「刀は打ち刃・脇差は切り刃・短刀は刺し刃」という言葉があったように思います。

 

脇差や短刀なら古い刀でも良いかなとも思うのですが、ある程度の長さの刀であれば平肉が確実にある新作刀の方が良いと思われてならないのです。

 

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金属疲労について

 

刀は何度か曲がるとコシが抜けて曲がりやすくなります。鉄の棒でも鉄板でも同じです。細い鉄の棒を曲げたり戻したりしてみればわかると思いますが、だんだん柔らかくなって曲げやすくなってきます。

 

だから過去に曲がった事のある刀はまた曲がりやすいし、何度も曲がるとコシが抜けて曲がりやすくなったり一方向にだけ曲がりやすくなってしまう。

 

刀が過去に曲がった事があるかどうかは見た目ではわかりません。場合によっては「撓え」が出るそうですが、それも研磨すれば消えます。

 

古い刀が過去に曲がった事があるかどうかはわかりません。

 

「わからないから信用できない」と思ってしまうのです。

 

刀は使われれば曲がるものらしいので、過去に使われた刀は曲がった事があるんだろうと勝手に思っています。

 

古い時代よりも、日中戦争~終戦までの期間に数万を超える古今の日本刀が軍刀に仕立てられて、そして少なくない数が使われてしまっているようです。かなりの古名刀まで使われてしまったようで、本阿弥の折り紙つきの正宗まで使用して曲げられてしまっています。

 

当時書かれたという文書などをみると、実戦というよりは軍刀に仕立てた日本刀を遊び半分・興味半分くらいの気持ちで試し斬りに使っていた人が多そうに思われてなりません。試し斬りというのは戯れに木や鉄兜に斬りつけたようなものから、中国人の斬殺に使ったようなものまで多数です。

 

また、斬るのに向いていそうな刀は戦後に武道家が試斬に何度も使っているのではないかとも思ってしまいます。

 

日本刀というものは使えば曲がるもので、曲がったら直して使う物のようです。

 

だから古い刀が曲がった事があるのは仕方のない事なのですが、自分のお金で買うのなら確実に曲がった事のない刀が欲しいと思ってしまうのです。もちろん価格との兼ね合いもありますが。

 

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古い刀もよそで鑑賞するのはむしろ好きなのですが、身銭をきって買うとなると私は新品の方が斬れそう・丈夫そうで良いと思ってしまいます。もちろん、両方買えるほどお金がないからそう思うだけです。

 

 

 

古い刀は強度が弱そうな気がしてしまうのですが、もちろん上記した事は全部私の妄想です。

 

刀の強度がどうとか、コシが抜けてたら嫌だとか、専門家がみれば失笑レベルの話だと思います。

 

そもそも、法的にも現実的にも日本刀は武器ではありません!

 

日本刀の価値は歴史的価値と美術的価値です!

 

しかし、刀が「用の美」なのであれば健全な新しい刀の方が美術性が高いようにも思えたりもするのですが、そういうものでもないのでしょうか・・・

 
 

 

ちなみに、戦争で日本中が一度焼け野原になってしまった事を思うと最近は再刃の事も少し気になるのですが、長くなるのでやめときます。