↑いまさらですが有名な雑兵物語をはじめて読みました。現代語訳が出版されています。

 

 

近所の図書館に行ったらアマゾンで売られている2019年版が貸出中でなかったのですが、1980年の旧版があったので借りてきました。文庫本じゃないだけで内容は同じはずです。

 

↓旧版

 

うちの近所に大きな図書館があるのでこういう本は大抵買わなくても読めるのが嬉しいです。

 

この雑兵物語は複数人の雑兵が自分の体験談を語りながら戦場での心得を教えるという体で書かれています。

 

著者も書かれた年代も不明なのですが、1600年代の半ばから後半頃に書かれたものだと言われています。

 

1637年の島原の乱、その前だと1615年の大阪夏の陣が最後の合戦ですので、成立年代を考えると本当の意味での体験記ではないのかもしれません。でも内容はとてもリアルです。少なくとも当時の生きた情報を集めたものである事は読めばわかります。

 

このブログは刀のブログなので、この雑兵物語の中から刀に関係のある内容だけ紹介してみます。意味が通るように適当に私が書き直しています。

 

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鉄砲足軽

(鉄砲の弾を撃ち尽くしたら)刀を抜いて敵の手と足を狙って斬りつけろ。正面から刀で打つと(雑兵の)なまくら刀はひんまがってしまうぞ。

 

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弓足軽

敵が死ぬほど近くまでよってきたら、弓の先につけた「はずやり」で鎧の隙間を狙って刺せ。そのあとは刀でも脇差でも抜いて敵の手か足を狙って切れ。正面から兜を切れば刃が欠けるし切れないぞ。

 

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槍足軽

大脇差という刀は首を切るにはひどく不便なものだ。鎧のうえに小脇差を差すというのはもっともな事だ。

 

(敵に)馬乗りになって左手で敵の首元を押さえて右手だけで大脇差を抜こうとしたら、刀を差した上帯が緩んでいて刀が鞘ごと半分ぬけてきた。脇差の刀身が2尺あるのに鞘がまだ1尺抜けずに残っていてどうにもならない。刀身をねじって鞘を割り引っこ抜いた。本当に厄介な事だ。今風の刀の鞘は帯からずり落ちないようにつける反り角(返り角)が邪魔だからとつけていない。もし反り角があったらうまく上帯に引っかかってもっと早く刀が抜けただろうと思った。

 

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金銀で飾った刀や脇差を持っていると寝ている間に味方に首をとられるというぞ。

 

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草履取

サムライ衆は鎧の上から刀と脇差を差すが、そのためには皮の腰当が必要だ。俺達(雑兵)が腰当を使う事などとんでもない。俺達のようなまっすぐな刀を鎧の上から差したら2尺ほどの刃渡りの刀も抜けないものだ。俺のようにすれば楽に抜けるぞ。鎧を着る前に帯に刀と脇差を差して、その上に羽織を着るように鎧をかぶって着るんだ。

 

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日本の国中が長い間平和で、刀の刃を下向きに差して抜きやすくする事もなくなった近頃は、鉄なべの柄のように反り返った刀はおかしくて、反りが強いと歩くときに踵に当たるからと武士も棒のように真っすぐな刀を差している。そんな刀を鎧の上帯に差しているとなかなか抜けない。

 

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押し倒されたので下から脇差で差してやろうと脇差を抜こうとしたが大鍔が引っかかって脇差が抜けないでいるうちに首を切られてしまった。戦の時はなんでも目立つ方が強そうに見えて良いと、脇差に大きな釜のフタのような大鍔をつけてそれに金箔のかざりまでつけていた。

 

又もう一人は組打ちになって戦う時に下に組み伏せられたが小刀を抜いて鎧の間から突っ込み簡単に刺し殺した。

 

そのほか、馬に乗ったサムライが刀を抜くのを見ていると、みんな刀を抜くときに自分の乗った馬に切りつけてしまい怪我をした馬がずいぶん多かった。あの様子をみると鉄なべの柄のような反り返った刀は馬の上で抜くのに良いし、小さな脇差は便利に使えるから、これらの刀は鎧の上から差しておいても良いと思う。鍔のない小脇差を鎧の上に差したら抜く時に手間がかからずすぐに抜けて良いだろう。また、大きめの小刀を一本差しておいても役に立つ。もし小脇差を落とした時には代わりに使えるので役に立つ。

 

鎧の上に大きな刀・脇差など差さぬものだぞ。

 

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↑板腰当4950円

 

↑板腰当6600円

 

刀を鎧の上につけるにはこの皮の腰当というものが必要で、鎧の上から刀を差すと2尺の刀でも反りが少ない刀だと抜きにくいとの事。

 

この腰当があれば打ち刀拵えの刀でも太刀のように佩けるわけですね。

 

しかし、それでも反りの少ない刀を馬の上で抜くと馬を切って怪我させてしまう武士がたくさんいたと書かれていますね。古い時代の太刀は反りが強いですが、鞘から抜きやすくするためという理由もあって反りが強かったのかもしれませんね。

 

私の刀は75センチ弱で反りは浅めです。刀を腰に差してみても抜き難いのがわかります。長さと身長(リーチ)のせいだと思っていましたが、それだけではなくて反りが浅いことも関係しているのでしょうね。

 

しかし、反りが深いと使い難いわけです。だから時代が下ると反りが浅くなるのだと思います。抜きやすさと抜いた後の使いやすさは両立し難いのかもしれません。

 

あと、この雑兵物語では小脇差について良く言っているのが目に付きました。

 

現代の基準でいうと

小脇差:30センチ台

中脇差:40センチ台

長脇差:50センチ台

 

こんな感じだと思いますが、たぶんこういう基準ではなくて、短めの脇差という意味で「小脇差」と言っているのではないでしょうか。2尺の刀を長脇差と書いてあったりもしますので、脇差という言葉は江戸時代の規定以前のもので厳密な長さで言っているのではないのでしょう。脇差というのはサブウェポンの刀という意味だと思います。

 

例えば3尺の大太刀が主武器で2尺の刀を腰に下げている人は、2尺の刀は脇差なのだという意味です。槍足軽にとっては槍が主武器なので2尺の刀を「大脇差」と言っているのかもしれません。

 

2尺の大脇差では首を切り落とすのに不便なので小脇差もあると良いというのは、武士が大小の二本差しになった理由なのでしょう。

 

小刀というのは短刀の事だと思いますが、同様に1尺以上のものでも江戸時代以前は短刀(小刀)です。現在だと寸延び短刀と言われるものです。こういうものもあると良いと書かれていますね。

 

それ以前の時代の武士も太刀と短刀または腰刀を身に着けていたので同じことだとは思うのですが、雑兵レベルでも同じになったのは前時代との差異なのかもしれません。

 

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