前に定寸の刀は実戦では使いにくい、戦国時代には2尺7寸~3尺超の刀と2尺くらいの片手用の刀が使われていたと書きました。
江戸時代の定寸は2尺3寸くらいです。
平和な時代だからわざと戦いにくい中途半端な長さに幕府が規定したのではないかという人もあります。
一理あるとは思います。
他にも公式な場で差す刀には小柄と笄を取り付けますが、これをつけると刀の抜き差しが難しくなりますし、戦国時代には防水のために刀の柄巻と鮫皮に漆を塗っていましたがそれも禁止されています。急に雨が降ってきたりしたら大変だったと思われます。
しかし、一概に使い難くしただけとも言えないような気もします。
長い刀を腰に差すと抜くのがとても難しいのです。
私の身長は165センチで持っている刀が刃長74.4センチ。
これをベルトに差したまま抜くと、かなり難しいです。
ギリギリ可能ですがスムーズに抜けません。
平均身長155センチの江戸時代の男性が腰に差して無理なく抜ける長さの上限くらいが定寸になったのではないかと、個人的には思います。
戦国時代の長寸の刀というのは、腰に差すのではなくて背負っていたのです。
↑佐々木小次郎で検索したら出てきたイラストです。小次郎の刀は3尺強くらいと伝わります。こういう長寸の刀はこんな感じで担いでいたのです。
ただ、こういう長寸の刀を持つ武士は多数派ではなかったと思います。
2尺くらいの腰刀と、槍などの長柄武器を持っていたと思われます。
「一番槍」とか「槍働き」とか、そういう言葉が残っておりますので。
槍がおそらく最多で、他に薙刀や長巻、そして長柄武器のかわりに長寸刀を持つ武士もいたという程度に考えるくらいが妥当なのではないかと考えます。
多数派ではないけど、絶対数でいうとそれなりに多かったという感じだと思います。
また、槍ほどかさ張らないので城攻めなどの時に背負って移動したりするには他の長柄武器よりも持ち運びがしやすかったとも思います。長柄武器よりも携帯性に優れていたので長寸刀を好む武士もいたのでしょう。
では、いつ頃から定寸の刀が普及したのか。
一説には織田信長が2尺3寸くらいの刀を好んだからという話があります。
時代的にも戦国時代の末あたりの刀から磨り上げられていない定寸刀を見かけるような気もします。
戦場で下士卒が使う刀ではなく、身分の高い武士が平時に身に着ける刀として流行り出したのではないでしょうか。
平時であれば腰に差して抜きやすい長さが一番でしょう。
本当に信長がはじめたのだとすると、信長らしい合理性があるようにも思います。
戦国時代までは太刀を平時でも腰に佩いていたわけですが、これでは抜き難いしちょっと邪魔です。
実際に腰に刀を差してみればわかる事ですが、刀を腰に落とし差しにすればさして邪魔になりません。しかし閂差しにしたり、太刀のように佩いたりすれば鞘の先端が振り向く度に大きく振れて、慣れないとガンガンぶつけてしまいます。
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戦国時代のもう一つの刀が2尺くらいの刀。
現在でも茎が短い刃長60センチ強くらい末古刀が多く現存します。
片手で使いやすい長さである事と、甲冑を着た状態で抜ける長さの上限がこれくらいだったようです。
甲冑用に大小の打刀(模擬刀)を買おうかと検討中です🤔
— ヒロト/運動神経悪い侍 (@hirotouken_biz) May 29, 2021
居合で使う2尺4寸を差したら抜刀に苦労したので、大刀は2尺2寸くらい?とか考えています。
薙刀などの長物を持つことや、甲冑で守りが素肌より固いことを加味すると、大刀が長大である必要は無い気もするので…
どなたか教えて欲しい_φ(・_・
↑甲冑を着てコスプレをしている人が2尺4寸の刀は抜き難いと書かれています。甲冑を着ると関節可動域が狭くなるので2尺くらいの刀でないと抜くのが難しくなるのでしょう。
↑甲冑のお店
この刀はあくまでも補助武器だったと思います。
戦場での死傷の原因として刀によるものはとても少ないのです。
頻度の少ない格闘戦に使ったり、打ち取った敵の首を切断したりするのに使ったのだと思います。
また、戦場ではなく敵地での食料調達など乱暴狼藉を行う時には長柄武器より刀の方が使いやすかったはずです。戦場で使う機会は少なくても、行軍・宿営・占領などを含めた軍役全般では刀の重要性は高く、それゆえに「数打ち物」と呼ばれる刀が大量に生産されたのでしょう。
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江戸時代の初め頃には時代の空気もまだ殺伐としていて佐々木小次郎のように長寸刀を普段から持ち歩く武士も多かったのでしょう。そういう武士が1人いれば自分だけ刀を短くするわけにもいかず、不覚をとらないよう不便だけど自分も長い刀を持ち歩く。
その連鎖を断つために長寸刀の携帯を禁止したり定寸という規定を設けたりしたのではないでしょうか。