3.11 | 恵美酒吉外備忘録

3.11

2011年3月11日14時46分、何をしていただろうか。


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私はやり残しの仕事があったので、午前中だけヤミ出勤し、丁度帰宅するための電車の中、しかも缶ビールを飲んで寝過ごし野洲駅から守山駅駅まで戻るための列車の車内だったと思う。
正直揺れには全く気付かなかった。


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自宅のテレビで大きな地震があった事を初めて知ったが,安全帽をかぶってカメラの前に立つアナウンサーと,阪神大震災の時、早朝から深夜まで青ざめた顔でニュースを読み続けたNHKの宮田修アナウンサーの記憶を対比させ「関東はやる事が大袈裟だ。」と正直思ってしまった。



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しかし、現実はそれをはるかに超えていた。
「仙台市若林区荒浜地区で100人から200人の死亡を確認。」という一報が流れた時、一瞬「えっ?」と思うと同時に
背筋が凍る感覚、あるいは気が遠くなる感覚だった。


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10代の頃、日航ジャンボ機墜落事故が発生し、一度に520人もの犠牲者が出る事故があるのだと恐怖を感じ、20代の頃に発生した阪神淡路大震災では、それを上回る6,434人もの人命が奪われ、そしてかつて住み、見慣れていた街がいとも簡単に崩壊してしまう事
に虚しさを感じつつも、私が生きている間にもうこれ以上大きな災害は
起こらないだろうと漠然と思っていた。
三陸地方では確か震災の1年程前にチリ地震の津波の被害を受けていた記憶がある。比較的津波を意識している地域でもこれだけの犠牲が出る事に愕然としたものだった。


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ひとまず1年が過ぎた。もう20年近く前に月刊カメラマンで連載されていた「とんびの眼鏡」の中に「正直言ってもうたくさんだ・・・、と思った 戦争を憶いだす代物とつらをつき合わせるのはもうごめんだ。」というくだりがあった。被災者はやはり思い出したくない人も多いだろう。

辛ければ忘れてもよいと思う。

ただ15,854の犠牲が一つも無駄にならないならば・・。