空気のように当たり前
空気のように当たり前に存在するものがあると思う。
例えば、私の産まれた街姫路には建物をぶち抜いてそびえ立つ橋脚やコンクリートの橋梁、更にそれがビルを貫いたりしている。
いわゆる姫路モノレールである。
私が産まれた頃に営業休止になったので現役の姿は見たことがない。ただ当たり前の様に橋脚とレールが建物を貫いている。最近では流石に撤去が進んでいるがそれでも当たり前の様に風景に溶けこんでいる。
よく、列車の車窓から京都タワーが見えると、「京都に来た。」と実感する人がいるそうだが、
私の場合は、旧大将軍駅跡、所謂公団高尾アパートを見ると姫路に来たと実感する。
先進的過ぎたかもしれないモノレールの痕跡は大して話題にもならなかったが、20年程前かつての駅跡にテレビカメラが入り現代遺産か何かについてのトークをしている番組を見た。その背景にモノレールの車両が映っていて、まだ車両が残っていた事に驚いたものである。
この時テレビに映っていた車両だが一年程前に一日だけ公開された。ゆくゆくは整備の上展示されるらしい。
今までひっそりと眠っていたものが当たり前の様に展示され、街に当たり前の様に存在する橋脚や橋梁はいずれひっそりと消えていくのだろうか。
当たり前に目を向けておこうと思うのである。
ところで姫路モノレールの車両と智頭急行のHOT7000型貫通型車がなんとなく似ていると思えるのは気のせいだろうか・・・。 姫路つながりでどうも気になってしまう。
