ふるさとは、遠くにありて想うもの、か?
先日、ふと思い立って生まれた街に行ってきた。
本来は別のところへ行くつもりだったのだが、
JRのダイヤがメタメタになっていて
電車がいつ動くのか全く見当がつかないので
先に進むの諦めて、折り返しがてらに寄ってみた。
姫路から山陽電車に乗って数分、
飾磨駅に降り立つと・・・、
うーん、見事な寂れっぷり。
寂れているというのか、
人の気配を感じない。
うまくは言えないが
何となく恐怖感を感じるほどの
人気のなさだった。
今の私の寓居も
シャッター通りに近い商店街の中にあるが
ここの寂れっぷりは半端ではなかった。
多少車が通るが、それも駅のそばだけ。
後はひたすら気だるい空気が流れるのみ。
姫路から特急で一駅でこの落差。
ふるさとは遠くにありて想っているのが一番なのか?
私の生まれた産婦人科は盛業中のようなので
良しとしておくか・・。
この街には20数年来会っていない親戚の家があり、
その家の前でおばらしき人とすれ違ったのだが、
これだけの年月顔を見ていないと本人なのか
全く確信が持てなかった。
共々に年をとったもんですな。
ところで、JRがどうにもしようがなかったので
山陽電車で帰ったのだが、
車両に相当ガタがきている感じだった。
嗚呼、こんなところにも悲哀が・・・。