第一義

ときいて、

と答えたみなさま、

野望をお持ちですなぁ~!!

 

そうです、

義の国と言えば

上杉謙信公であります 

 

Gacktの謙信祭りは、
もりあがっただろうなぁ〜🔥
ワタシ的には、
阿部ちゃん謙信が脳内デフォルト✨
 
 

そのお膝元に住む

友人、藤壺の宮

訪ねて行ってまいりました。

(なぜ藤壺の宮かはこちら→☆彡

 

まずは、

枌そばで腹ごしらえ!!

海藻を練りこんだお蕎麦は

のど越しつるっつるキラキラキラキラ

 

藤壺の宮

数年前からこの地にお住みであり、

お仕事の関係で

史跡にもお詳しいとのことで、

案内してもらうことに。

 

まずは

春日山城に参陣じゃ!!!

 

しかし

 

!!!!

あの階段を上っていかねば

謙信公にはあえないのでござるか?

 

直江兼続たちも登ったのであろう

この急坂を

更年期女子2名をつかまえて

このような試練をお与えになるとは

御屋形様も

お人がお悪うございまする!

しかし、

登り切った先には

城下や日本海を見渡せる

ステキな景色がキラキラキラキラ

 

春日山神社も新緑がきれいで

心が洗われましたクローバークローバー

この神社は

明治期に建てられたようなのですが、

とても歴史を感じましたよ~。

 

そして、

 

謙信公!!!!!!

なかなか近づけてはくれませぬ。

 

さすがに、

春日山城の天守跡までは

行く気にならず、

(かなりの登山道、のように私たちには思えた)

謙信公のご尊顔を拝しまして、

城を後にした次第。

 

ワタクシとしては

ここらへんでお茶でもコーヒー

という不真面目極まりない

思いでおったのですが、

そこは藤壺の宮、

まだまだ許してくれませんでした(笑)

 

 

次は

浄土真宗の祖、親鸞

越後に流されたときに立ち寄ったとされる

居多神社へ。

 

社殿は火災で燃えてしまったらしく

新しい建物が立っていましたが、

林の感じとか

以前は大きい神社だったんだな~と思われ、

優しいエネルギーを感じました。

主祭神が大国主命

ってところも、越の国らしい~。

 

そろそろお茶でもいかがですか??

という言葉を聞くこともなく、

その後は

春日山城の堀が発掘された

ちかくの施設へ。

 

そこで、

謙信公の生涯を

簡単にまとめた映像をみまして、

どうして

義の人と言われたかを

知ったのであります。

 

私欲で領土を拡張する

というのではなく、

「助けてくれ」と言われれば、

どこまでも助けに行くという、

とんでもなく

義の人なのであります。

それも、

その遠征距離が半端なくてね~。

 

だって、

川中島だって

なかなかの距離ですよ?

それもフォッサマグナを越えて

長野方面とか、

あわよくば太平側まで?とか、

実は「どこでもドア」持ってる?

としか思えないし、

 

この日の

ワタクシが経てきた道程を考えたら

親知らず子知らずの海岸を

越えまくって手取川とか

正気とは思えん!!

 

そして

それについていく家臣も

すごいよね!!!

どれだけ御屋形様命なんだ??

 

でも、

敵に塩を送られちゃ~、

惚れないわけにはいくまい!

ってことで、

ワタクシもこの数時間で

謙信公LOVEとなりましたラブ

 

そして、

歴史好きのワタクシのために

この限られた時間で

ここまでの史跡案内をしてくれた

藤壺の宮も、義の人だなと。

何事も

郷に入れば郷に従え

ですね、宮!!

マジで楽しかったです!!

 

ブラタモリならぬ

がっつりタモリ的な

義の国訪問でしたが、

お元気な藤壺の宮のお顔も見れて

大満足な時間でございました。

 

その日は、

次男のアパートに泊まる予定

だったので、

帰りは

下道をのんびりと走って

日本海を満喫しました音譜音譜

 

 

それにしてもですね。

Gacktが謙信だったのって、
内野聖陽が山本勘助だった、
風林火山の時なのね。
(↑大河知らない人には、意味不明な文章)

そして、

その時の信玄は亀次郎・・・。

謙信も信玄もいろいろあったようですが、

元気になってほしいものです。