おはようございます!
昨日のジャイアンツは鬼門の神宮で快勝でした。
連敗の悔しさを少しだけ払拭できました。
それにしても混んでたな…さすがお盆。
今日は終戦記念日ですね。
日本の復興のきっかけは、昭和天皇の戦後の全国御巡幸だと言われています。
昭和21年から昭和29年まで、全国を足かけ8年半かけて行われたそうです。
その中で、昭和24年の佐賀県の因通寺というお寺への御巡幸でのこと。
そこには戦争の孤児たちがたくさんいたそうです。
一部屋ずつまわり、子どもたちを励まします。
一番最後の部屋まで来たとき、陛下は直立不動の姿勢をとられ、そのまま身じろぎもせず、ある一点を見つめられます。
その部屋には女の子が一人いました。
その女の子の手には、二つの位牌が胸に抱きしめられていました。
陛下は、女の子に向かってこう尋ねました。
「お父さんとお母さん?」
女の子が答えます。
「はい。これは父と母の位牌です」
これを聞かれた陛下は、はっきりと大きくうなずかれ、
「どこで?」
とお尋ねになります。
「はい。父は、ソ満国境で名誉の戦死をしました。母は引揚途中で病のために亡くなりました」
陛下は「お淋しい」と、それは悲しそうなお顔で言葉をかけます。
しかし陛下がそうお言葉をかけたとき、この女の子は口元を引き締め
「いいえ、淋しいことはありません。私は仏の子ですから」
女の子は続けます。
「仏の子は、亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土に行ったら、きっとまた会うことができるのです。
お父さんに会いたいと思うとき、お母さんに会いたいと思うとき、私は御仏さまの前に座ります。
そしてそっとお父さんの名前を呼びます。
そっとお母さんの名前を呼びます。
するとお父さんもお母さんも、私のそばにやってきて、私を抱いてくれます。
だから、私は淋しいことはありません。
私は仏の子供です」
そのとき、陛下の目から、大粒の涙が一つ、二つ、眼鏡を通して畳の上にこぼれ落ちたそうです。
皇居にお帰りになられた昭和天皇は、この時のことをこう詠まれました。
「みほとけの教へまもりてすくすくと生い育つべき子らに幸あれ」
この御製は因通寺の梵鐘に刻まれているそうです。
どうか平和な世の中でありますように…
今日も最幸の一日をお過ごしください!

