私、4歳。

神戸・山の手のカトリックの幼稚園に通っていました。


E・ルチアという意地悪なシスター(日本人)が副担任でした。

学級担任はとても優しい美しい先生で

「mocoちゃんはいい子ね。大好き」と言ってくれていました。

私も担任の先生が大好きでした。


ある時、意地悪シスターが

「私のことを嫌いな人は手を挙げて」と言うので私はきっぱり堂々と手を挙げました。

そしたら「今、手を挙げた人は出て行きなさい。もうここに居なくていいです」と言って、挙手した私と数人のクラスメイトを教室から追い出しました。

後から思うと、クラス担任の先生がお休みの日だったかもしれません。


泣いている子もいましたが、私は特に何の感情も抱かず(むしろニンマリして)、園庭で早弁をしてしまうとすることもないので帰宅しました。


怒られるかもしれないと思って、母には何も話しませんでした。(私は秘密主義の子どもでした)


しかし他の子達の親が騒ぎ出してこの一件が明るみに出ることとなり、すでに他の件でも苦情がいくつも来ていたらしく、当該シスターは修道院に戻って謹慎・再研修となりました。

(そのことは大きくなってから母に聞いて知りました)



シスター以外には特に嫌なこともなかったのですが、私は毎日幼稚園に遅刻していました。


4歳の女の子がひとりで1kmほどの道のりを歩いて通園していたのですから、今思うとのんびりした時代でした。


ちゃんと間に合う時刻に家を出発していましたが、私は毎日遅刻していました。

なぜかというと坂の途中の原っぱに白黒の牛が繋がれていて、それを見ることを楽しみにしていたからです。

(今考えると「戦後か?」という風景ですが、昭和40年代の神戸市なんてそんなものだったのです。当時住んでいた家は垂水駅から徒歩5分ぐらいで、周り中がK銀行の借り上げ社宅でした)


気が済むまで牛を見てから再び歩き出すので、

だいたい30分〜1時間ほどは遅刻していたでしょうか。

みんなが折り紙だのお絵描きだのをほぼ仕上げる頃に到着していたように記憶しています。

先生は毎朝ニコニコして「mocoちゃん、おはよう」と迎えてくれていました。

昔のことなので、幼稚園側も私の遅刻をたいして気にも留めていなかったようで、家に連絡することもなかったのです。


毎朝、私は機嫌良く牛を眺めていましたが、

園から帰る頃には牛はいなくなっているのでした。

ある時「あの牛はどこに行ってしまうのか」が気になって気になって仕方なくなりました。

それで、牛がどこかへ行く現場をおさえるべく、腰を据えて見張ることにしたのです。

お弁当は持ってきているし、水筒もある。

平べったい大きな石に座って私は見張りを続けました。


そしたらさすがに園では私が来ないことを

心配したようでした。

通園路を捜索され、私はたやすく発見されてしまいました。


それですべてが母にバレてしまったのです。

母は呆れ返っていましたが、優しい担任の先生が

「怒らないであげてください。mocoちゃんは動物が好きなだけなのです」と庇ってくれたおかげで、特に叱られなかったような気がします。


結局牛がどこに行ってしまうのか見届けられないまま、私は遠回りの園バスで通園させられることになりました。


子ども心に「自由を奪われた」感が強烈に残りました。


その後の人生で、何年もかけて少しずつ外側から矯正され、自分でもこれじゃ世の中に通用しないだろうと悟って日和ったため、型にはまったつまらない人間になってしまいました。


ちょっと残念な気がしています。