30年以上前、新聞の小さな求人広告で

私達は集まったのだった。


結構な人数が来ていたけれど、

教科の試験と面接の後、

10人ぐらいが残ったようだった。


その中に、私より20歳近く年上の

ものすごく博識の女性がいた。

担当教科の知識だけでなく、

歴史でも一般常識でも何でもござれの

生き字引のような人だった。


コロナ禍の前は、週に何度か出社して仕事をしていたので、ちょくちょく顔を合わせていた。


ある時、仕事上で彼女から質問をされた。

何故今さらそんなことを?というような内容だったため、首を傾げながら答えた覚えがある。


後日、別の仕事仲間から、

彼女からまったく同じ質問をされた旨を聞いた。


「おかしいよね…もしかして」


嫌な予感は的中した。

初歩的な質問が繰り返されるようになり、

彼女の表情には焦りの色が濃くなっていった。


そんなある日。

数日見かけなかったので、

「お久しぶりです。お元気でした?」と

声をかけると、

「あら〜久しぶりね!あなた来てた?

最近全然見かけないから心配してたのよ」


ごく普通に数分お喋りした後、

私は御手洗に行った。


戻ってきた私に、

「あらーmocoさんじゃないの!

久しぶりねえ。全然見かけないから、

どうしたかと思って心配したわよ」


背筋が凍った。


こわばった表情の私を見て、彼女は

自分が何かまずいことを口走ったのに気づいたようだった。

「ほんとお久しぶりですね」と私が言うと

もう彼女は何も言わず、寂しげな笑顔を見せた。


それが彼女と会った最後の日。

もう私達が会うことはないだろう。


実母が認知症になった時のことを思い出す。

後から思えば、母はひとりで

恐怖と不安と焦りに苛まれていたのだった。

自分に起きている真実を認めたくなくて、

毎日通って世話する私に八つ当たりしたり、

暴言を吐いたり、もうむちゃくちゃだった。


母や彼女の身に起きたことは

「明日は我が身」である。

その日が来るのがいつなのか…

鳥肌が立ちそうなほどに恐ろしい。


さんざん家族を困らせた借金大魔王の父は

「なんや最近酒が不味いんや」と言い出した時には膵臓癌の末期だった。

全然可愛がってくれなかったくせに、

「なんで今日は来んのや」と私に依存した。

私が足をさすり声をかけると止まりかけた心拍が持ち直すので、最期は黙って居ないふりをした。


「苦しまずに死ぬなんてズルいよね」


断然父親似の私なので、死に方も似たい。

「気づいた時は手遅れ」でありますようにと

心から思っている。