連日30℃超えの暑さの中、
「安平の歴史は台湾の歴史」とも言われる古都・安平に行ってきました。
安平は1624年にオランダ人によって占領され、
10年後にこのZeelandia(ズィーランディア)城が築城されました。
(今はこの城壁しか残っていません)
1662年に明の鄭成功(てい・せいこう 長崎県平戸市生まれ)がオランダ人を駆逐して安平は漢民族政権となります。
その後の清朝時代、城は破壊されて安平は荒れ果てていきますが、台湾は東西の貿易の重要な中継地となっていきます。
その時代の地図。
これ、どうやら日本のようです
1858年に清は第二次アヘン戦争に負け、
露・米・英・仏と天津条約を締結。
外国人が台湾に次々に商社を開設します。
彼らは台湾の仕入れ業者と提携し、その主な輸出品は砂糖・ウコン・龍眼落花生・ごま油などで、主な輸入品はアヘンでした。
イギリスによる商社「徳記洋行」は、長く安平で経営を続けましたが、1895年の日本統治後に始まる専売制度によって貿易額が激減して撤退します。
西洋の建築物は、次々に日本の会社や政府の庁舎に転用されていきます。
ちなみに、私の父は子ども時代に家族で台湾に駐在しており、終戦で日本に引き揚げてくるまでは、お手伝いさんのいる豊かな暮らしぶりだったのだそうです。
(引き揚げ後は食うや食わずのビンボーのどん底で、父はやっとのことで高校を卒業してノンキャリ銀行員になります)
さて、300年ぶりに「台湾光復」の時がきて
この辺りは「安平古堡」と呼ばれるようになりました。
面白いのが「安平樹屋」(ツリーハウス)。
元はイギリスの商社「徳記洋行」の倉庫でしたが、後に「大日本塩業株式会社安平出張所」の倉庫となります(終戦まで)。
廃墟好きには堪らない
湿度が高いほどガジュマルの枝と幹から出る気根の発達は著しくなります。
ガジュマルの根からは石灰岩を溶かす根酸が分泌されるため、砂糖と水と灰が含まれたレンガの壁を這い上がって絡みつくというわけ。
迷路のようなツリーハウスの中を歩き回るのは
すごく楽しかったです。
シェムリアップのタプローム遺跡を思い出しますね。
しっかし暑くてバテバテ
かき氷を食べよう❗️
「安平豆花」の本店です。
泊まっている台南のホテルの近くにも支店があるけれど、ぼろっちい本店の方が風情あり。
暑いので豆花(トウファ)じゃなくて
新鮮牛奶雪花冰(ミルクかき氷)にしよう。
おばちゃんがガリガリ氷をかいてくれます。
遺伝子組み換えでない豆にこだわっているそう。
写真だとよくわからないけど、
ものすごいボリュームです。
ほぼカレー皿ですから
でも美味しくて美味しくてペロリだよ〜
安平で、このあと私はドジを踏むことになるのですが、長くなったのでまた次回。。。。