または、つらい思いをするくらいなら知りたくないか。

 

私は時と場合を問わず、常に「知りたい」派。

 

元気だった夫が突然死したときは、

警察から「解剖させてもらいたい」と言われ、誰にも相談せず「はい」と即答した。

(後から親戚にああだこうだ言われたけど、みんなの意見なんか聞いてたら紛糾してややこしくなるのが必定だから、私ひとりで即決しました。

北関東の夫の老親族達には「なんかものすごい嫁さんだな」と言われました)

 

私は、どんなにつらくても悲しくても、一体何が起こったのか、事実はどうなのかを知りたい。


そういう性分なので、

真実を追求するドキュメンタリーが好き。


 

…というわけで、最近読んだ本です。


『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』

早川書房

リチャード・ロイド・パリ―著  濱野大道訳

 

 

「つらい事実は知りたくない」という人にはおススメできないです。

読まずにいたほうが、たぶん幸せに生きられる。

 

私にとってはこれは知るべき事実だったし、読むべき本だった。読んでよかった。

(実は息子に薦められて知ったのだけれど)

 


在住20年の英国人ジャーナリストによる、

宮城県石巻市立大川小学校で、「あの日あの瞬間に何があったか」を綿密な取材を通して記したルポ。


 

一部抜粋します。


「日本では、家を出るときのお決まりのやり取りがある。

出かける人は『行ってきます』と言う(文字どおりに解釈すると「どこかに行って、再び帰ってくる」という意味)。

-中略-

『行ってきます』には、必ず戻ってくることを約束する感情的要素が含まれているのだ。」

 


しかし、津波が襲った瞬間に学校の管理下にあった74人の子ども達は二度と帰ってこなかった。


地震直後に学校へ子どもを迎えに行けなかった(行かなかった)ことを、親たちは毎日毎晩悔やみ、自分を責め続けて苦しむことになる。

 

地震直後に速やかに校庭に避難した生徒達と教師達は、津波に襲われるまでの51分もの間、何をしていたか。


「先生、山さ上がっぺ。なんで山に逃げないの?…」と言った児童に対し、担任教諭は静かにするように注意し、その場にとどまるように言ったという。


どうして、74名の生徒と10名の教師は死ななければならなかったか。

 

「我が子は学校にいるから大丈夫、きっとどこかに避難して助けを待っている」と信じていた親達は、情報が錯綜する中、震災の翌々日に徒歩でやっと現場にたどりつき、そこで地獄をみることになる。

 


再び、抜粋。

「…泥のなかから遺体を引っ張り出し、道路脇に並べていった。」

「遺体の扱いと同じくらい慎重に、特徴的な四角いリュックサックも泥のなかから引っ張り出され、道路脇に並べられた。名前とクラスが記されたこの『ランドセル』は、日本のほとんどの小学生が使う鞄だった。」



地震当日、休暇を取って自分の子どもの卒業式に出ていて、最高責任者である校長は生き残った。

そのこと自体は何も悪くなかったし、責められる事柄ではなかった。


しかし、親達が泥と瓦礫の中を我が子の遺体を探しまわっていた時に、校長は学校に姿を現さず、泥で手を汚すことも一切なく、震災から6日後に記者やカメラマンを引き連れて現場に来たという。


学校にいた11名の教諭のうち唯一生き残った男性教諭は、地震発生の翌朝に避難所で我が子を探す親に目撃されるも、放心状態で何も語らず、その後姿を消す。



震災から4週間後に教育委員会が開いた説明会は荒れに荒れた。

そして、生き残った男性教諭が卒倒しそうになりながらしどろもどろで行った弁明は、そのほとんどが嘘だったことが判明する…。



突然子どもを失うだけでもこんなにつらくて悲しいことはないのに、そこからさらに二次的、三次的に遺族達は苦しむことになる。 




文化や民族性の違う英国人から見た、客観的で冷静で詳細なルポである。

(「憑依」についての記述など一部は、個人的にはやや受け容れにくいものではあったけれど)



文庫も出たようなので(ハヤカワ文庫NF)、

「真実を知りたい」派の方にはご一読をおススメします。