七夕・天の川「大幡は天照の手を引いて宇佐嶋へ」

「天照・織り姫」から

一緒にいるの、このままずっと
沈むことなき、私の想い
あなたは私のもの、ずっと私のもの
私だけのもの

あなたの心を独り占めできたなんて
なんと幸せ・・・


「大幡・彦星」から

二千年前から愛してる
二千年たったら、もっと恋しくなった
二千年後も愛してる
ずーっと

愛がある限り、何度も生まれ変り
時のかなたに、魂を蘇らせる
君の手を引いて、何度も渡るよ
天の川



※「Sabai-Million Days」の和訳から抜粋再編して作成しています
【和訳】Sabai - Million Days
うたかた 2020/05/11



 



この記事は敬愛する宮原誠一さんのブログhttps://ameblo.jp/kenbuncho2017 

からのインスピレーションです。インスピレーションというか抜粋というか、日本の神々についてかなりややこしい話になっているが、結論としては八百万でもないかな~という感じです。


私たちは普通に「天照大御神」というような言い方をして、なんとなく女神さまのような感じでとらえてますが、こういう言い方をしたときは、あとから書きますが、3人くらいの総称です。



宮原さんの話はとてもややこしいので、ズバリ言います。


大幡主(正八幡大幡主)と天照女神は夫婦です。



誤解を恐れずに言うと、伊勢の内宮には天照女神が祀られ、外宮に大幡主が祀られています。(外宮は千木が外そぎで男神ですね。)


そして外宮の向かいだったかな、猿田彦神社がありますが、猿田彦はホホデミノミコトと言って大幡主と天照女神の息子です。


つまり、伊勢は大幡主ファミリーがいるところなんです。


大幡主は国常立命とも言われ、実に多くの名前を持ってるんですね。


正八幡大幡主は多数の名称を持っておられま

す。


神皇産霊神(かみむすびのかみ)

国常立神(くにとこたちのかみ)

熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)

正八幡神(しょうはちまんしん)

儀大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)

天津国玉神(あまつくにたまのかみ)

大海神(おおわたつみのかみ)

大綿津見神(おおわたつみのかみ)

地禄神(じろくのかみ)=十六神

大地主神(おおとこぬしのかみ)

田神(たのかみ)

土御祖神(つちみおやのかみ)=土神

稲佐神€伊奈佐神(いなさのかみ)

白日別神(しろひわけのかみ)

衝田大神(くしだおおかみ)

三郎天神(さぶろうてんじん)

玉手見命(たまてみのみこと)

安寧天皇(あんねいてんのう)

那国王(なこくおう)

塩土老翁(しおつちのおじ)

磯城津彦(しきつひこ)

壇安彦(はにやすひこ)

熊津彦(くまつひこ)

大若子(おおわくご.だいじゃこ)

天理王命(てんりおう)



で、この大幡主なんですが、あまり聞かないですね、実はこの方が本来の八幡宮の御祭神です。今ではすっかり応神天皇ということになってますが。


この大幡主、という人は倭姫(やまとひめ)~伊勢神宮を現在に場所に持ってきた人、この方と一緒に活躍されたそうで、とても強かったらしいですね。


この大幡主は、博多櫛田神社に主祭神として祀られています。同時に天照女神、とスサノウノミコトを相殿に祀ります。


スサノウノミコトは大幡主と天照女神の義理の息子です。


イザナギとイザナミの子供がスサノウノミコトですが、イザナミが大幡主と再婚して連れ子になるのです。


大幡主と天照女神の子供がアカル姫ですが、そのアカル姫とスサノウノミコトが、結婚して生まれたのが市杵島姫命ということらしいです。



簡単に書いてもこれですから。


ここらで結論を書いておきます。


大幡主ファミリーが、日本という国を作ったんです。他の神様はこの大幡主ファミリーにかなり置き換えられると神様の数もスッキリしてくるようです。


七夕というのも古代は大幡主と天照女神のはなしだったようです。(冒頭の動画)

また、


天照大神とは(天照三神)

天照大神(大日要員=ヒミコー天照女神)

豊受大神(豊の宇賀神一大幡主)

天照国照彦大火明命(競速日=猿田彦=天照

大神)


ここで卑弥呼の出自もあきらかになるのです。


さらに

馬頭観音(正八幡大幡主=天御中主)

如意輪観音(猿田彦=-大照男神)

十一面観音(白山姫=大照女神)

であり、大幡主と白山姫(天照女神)は夫婦神で

あり、その子が猿田彦大神なのです。

猿田彦大神は天照国照彦天火明衛玉鏡速日命

(あまてるくにてるひこ あめのほあかりくし

たまにぎはやひ)となります。


つまり、古代、大陸から大幡主と天照女神の夫婦が大きな船にのって白山辺りに上陸したのでしょう。


またそこから船に乗って九州に行ったと思われます。その大きな船を陸上で移動させたことがあって、それが、祇園山笠の祭の起源になっていると思われるのです。



冒頭にあるように、日本の国つくりは、天照女神の愛の物語であったのかもしれませんね。


今一度、私たちは、日本という国の成り立ちを思い起こして、軌道修正した方がよいのかもしれませんね。


以上、妄想族の独り言でした。

そうそう、博多櫛田神社の写真をのせておきます。大幡主と天照女神の愛の証しに。








ではまた。


寒くなって来ましたね。11月にはいると、紅葉が楽しめますよ。